第102話 冷酷なる伯爵(3)
「あら、伯爵様。女が妊娠するって、そんなに軽いことではなくてよ」
その沈黙を破るように、ルイーズが兄さんに意見した。
「豚と一緒にするなんて随分だわ。殿方にはお分かりにならないでしょうけど、とってもつらいものよ」
「それは知らなかった」
それに対し、また白々しい口調で兄さんが応じた。
「初耳だな。つらかったなどという話は」
それで僕は、タティとの結婚の話のときのように、ルイーズがまた助けてくれるのではないかと思い、一縷の期待を込めて彼女に視線をやった。目があうと、ルイーズは僕ににっこりと微笑んでくれた。彼女というのは本当に、何にも勝るような美しさだと思った。だからきっとこの状況を助けてくれるものとばかり思って、僕は縋る思いで彼女の次の言葉を待ち望んだ。
だけどルイーズの次に続く言葉は、僕の期待とはいささか異なったものだった。
「アレックス様が怯えていらっしゃるわ。可哀想に、よっぽど心細い思いをなさったのよ。彼女に妊娠を告げられて。困って、子羊みたいに罪の意識に震えて……、きっとどうしていいか分からなかったのね。
確かに女性を妊娠させるというのは、とても重大なことだものね……、もし、本当に妊娠しているならのお話ですけれど」
ルイーズは悪戯っぽく兄さんを見上げた。
「ほう、ルイーズ。ではおまえはこの売女が妊娠していないと言うのかね。只の狂言であると?」
既に結論が分かっているかのような顔をして、兄さんは言った。
ルイーズは頷いた。
「狂言とまで言っては可哀想だわ。彼女は本気でご自分が妊娠してしまったと思っているんですもの。きっと何日も思い悩んだのじゃないかしら。
つまり妊娠をしてしまったと勘違いをしていらっしゃるの。思いやりのない殿方による性交渉は、本当に困ったもの。遊び好きのお嬢さん方には、そういうことって、ときどきあるんじゃないかしら」
それに対して、エステルは悲鳴のような声をあげた。
「そんなっ、何言ってるのよ、そんなの嘘よ!」
「あら、本当のことよ」
ルイーズが微笑むと、エステルはまたカイトと言い合いをしていたときのような強い調子でルイーズを怒鳴った。
「何がっ……、勝手に人の身体のことを決めつけないでよ、お婆さん!
わたしは本当に妊娠しているわっ、それをどうして、だって悪阻だってしたのよ……!」
「貴方の信じられない気持ちは分かるわ。でも、可哀想だけれどそれは嘘ね」
「嘘じゃないったらっ、そんなにすぐばれるような嘘で、わたしがこんな場所に来られるほど浅はかだと思うのっ?」
「ええ。残念だけどそう見えるわ」
ルイーズが左手を頬に添えておっとり頷くと、兄さんがふっと噴き出した。それが何よりエステルを傷つけたようで、彼女は顔を真っ赤にしていっそう声を張り上げた。
「何よっ、わたしが言っていることは真実よっ、決まっているじゃないっ!
あんたは単に嘘だってことにしたいだけのことなんでしょう、わたしには分かるわ。あんたはわたしが平民だからそうやって馬鹿にして、話をまともに聞かなくてもいいと思っているんでしょうっ!
それともそうだわ、あんたはわたしがすっごく可愛いから、それに嫉妬しているんだわ!
ああ、ようやく分かったわ、あんたはわたしがあんたより若くて美人だから、ギルバート様やアレックス様の関心を盗られたくないからそう言っているのね!
これだからババアの僻みってほんとに醜くて嫌になるのよ、だからわたしを気に入らないってことなんでしょうっ!」
「困った方ね…、そんなふうにご自分の意地悪で底の浅い考えを喧伝して、後で恥ずかしい思いをするのは貴方だということが、貴方はまだお分かりにならないのね。
でも誰もが貴方と同じ世界で生きているわけじゃない……、それにね、そんなふうに大声を出しても――、残念ながら事実が貴方の思った通りにはならないのよ」
「そんなことはないわよ、わたしは妊娠しているんだから。だからわたしはアディンセル家の一員になるのよ」
「あら、強情な方。
ね、貴方、人からよくそう言われるんじゃありません?」
「何があらよ、ババアが気取っちゃって。ほんとは悔しくてたまらないくせに、わたしに気安く笑いかけないでよっ!
あんた、今に見てなさいよ。ギルバート様の前でわたしを馬鹿にしたこと、絶対許さない。後であんたにも、たっぷり罰を与えてやるからっ!」
「困ったお嬢さんね。でも貴方、妊娠していらっしゃらないのよ」
「しているわよっ」
「いいえ。だって、もししていたら、今頃は貴方、そうやって生きていられないわ。アディンセル家の胎児を身ごもったら、大抵女性は死んでしまうもの」
ルイーズは言うと、それまでの何処かエステルをからかっているのではないが、エステルの口汚い罵りを右から左へ受け流すような気軽な微笑みを浮かべていた表情を、いきなり引き締めた。
するとそれまでは色気過剰なだけの、大した重要人物でもない、確かに類稀な美貌ではあったが兄さんの権威があるからこその女という顔をしていたのが、突然羨望すべき知性を持つ魔術師の顔となった。




