第10話 野菜畑と男の意地
件の料理長の畑は、農業に従事している人たちに言わせればそれほど広いわけではないんだろうが、僕からするととても一人で管理するのは難しいんじゃないかと思うほど広かった。
きちんと手入れがなされ、雑草ひとつなく整然と並んでいる野菜畑。ざっと数えただけで二十種類以上ある夏野菜は、幾つかの株は枯れ始めていたけどまだ半分以上が実りをもたらしてくれる様子だった。それに葡萄や別の蔓性の果物は、野菜畑の脇の三本の木々の間に上手く組み上げられた支えの下に、まだ熟れてはいないもののたくさんのたわわな果実を実らせている。
この畑ひとつで城内の人間のすべての胃袋を満たすことは到底無理だろうが、兄さんや僕の食事には優先的にここの収穫物を使っているそうで、余程神経を使って兄さんや僕の健康を考えてくれているんだろうと思うと僕は何だか申し訳ない気分になった。
胡瓜畑の横のブルーベリー畑の木々には、少し枝に触っただけで果実がこぼれて地面に落ちるほど青い実がなっていた。タティに促されて恐る恐るそれを口の中に入れると、その実はとても熱かった。もしかしたら舌が火傷するんじゃないかと思うほどの熱さで、僕は驚いてタティの顔を見た。
するとタティはくすくす笑って、空に手を翳して言った。
「まだ秋と言うには、お日様が強いですからね。
でも、瑞々しくて、甘くて、とっても美味しいわ」
「うん、美味しいね……」
僕らはまずブルーベリーの実を山ほど摘み、それから近くの枯れ始めているトマトの木からも、まだ鳥に啄ばまれていない実を選んでかごの中に収穫した。
「季節的に、もうトマトは終わりなのかもしれませんね。
何だか傷んでいるのばかりですよ、アレックス様」
タティはそう言って、気が進まないような顔をしたけど、僕はこう答えた。
「平気さ、煮ちゃえば分からないよ」
何しろ僕は野菜が好きだけど、その中でもいちばん好きなのはトマトだとはっきり主張できるくらい好きだったからだ。
トマトの数がもう少ないことと、他に目移りしたくなるほど野菜があるので、タティと話して、作るのはトマトをベースにした野菜スープにすることにした。風味の問題で、そこに鶏肉を入れるか入れないかで僕とタティが更に話しあっていると、城のほうからパーシーが走って来るのが見えた。
彼は息を切らしてすぐに僕らのところまでやって来て、僕が手にしているかごの中にトマトが入っているのを見つけると慌ててこう言った。
「ああ、やっぱりトマトですか。しかし、いけません。それはもう、アレックス様のお口に入れるべきものじゃないんです。日焼けしていたり、傷みかけておりますから。
今年はもう、トマトは終わりなんです。それは枯らしてしまう予定なので」
「でもトマトが食べたいんだ」
「ええ、貴方様がトマト好きなのは俺もよく存じております。ですからこうして走って来た次第で。
午前中に、最後の収穫をしたものがあるんです、そこにあるよりは多少は状態のいいものが、あのう、自分用に……ですからそれをご提供できたらと思いまして」
「まあ、ありがとう料理長さん」
タティがお礼を言うと、パーシーは照れたように笑って、それからそのまま城壁の向こうに出て行こうとした。厨房も食料保存のための保冷室も間違いなく城内にあるのに、いったい何事かと思って僕が呼び止めると、彼は立ち止まって答えた。
「ああ、いえ。近くの清流に冷やしているんですよ」
「冷やす?」
「ええ、これが意外といけるんです。でも勿論、アレックス様は構わずスープにしてやってください。生食できる品種と言っても、そっちのほうが胃腸にもずっと安全ですし。
とにかくそういうわけで、今からひとっ走り、ちょっと取って来ますので」
そして再び走り出そうとするパーシーを、僕は呼び止めた。
「待って。それなら僕が取ってくるよ。君は夕食の下拵えとか、することがあるんだろう?」
「いえ、しかし」
「僕はどうせすることないんだ」
「ですが……、今は護衛の方がどなたもいらっしゃらないのでは」
そう言ってパーシーが、お節介にも僕の周りをみまわしたので、僕もさすがに少しむっとして答えた。
「平気だよ。君がたった今、丸腰で出て行こうとしたような場所だろう。僕は君と同じ成人男性で、僕の腰には剣がある。
分かったら、場所だけ教えてくれる?」
「は、はい」
そして僕は、パーシーからトマトの在り処を聞き出して、それを取りにいくことにした。
「あっ、わたしもお供します」
タティがそのままパーシーと話し込んだりしないで、僕の後を追いかけて来てくれたことには少しほっとした。
城の裏手には少々規模の大きい森林があって、そこには川が流れている。幅も狭ければそれほど深くもない小川なので、万が一足を滑らせたって、溺れるなんてことは考えられない。
何より子供じゃあるまいし、誰からも保護対象として見られていることから、僕はいい加減脱却を図りたかった。
これと言うのも兄さんがいつまでも僕を子供扱いしているせいで、パーシーみたいな奴にまで心配をされるような、こういう格好悪いことになっているのだ。