少女義経伝
この小説は歴史上の人物に対して大きな改変をしています。また、歴史認識もいい加減です。もし、不快に思われる可能性のある方は回避して下さい。
よろしくお願いします。
五時間目。給食食べて遊んだ後の授業。ご飯食べて運動した後の時間。眠く
なって当然だろう。皆元吉男は睡魔と戦っていた。絶対に負けられない戦いだ
った。教壇には実母である皆元時子が立っている。母はとても怖かった。学校
で間違って「お母さん」などと呼んだ事など一度もない。家で先生と呼んだ事
は度々あった。
戦いは徐々に劣勢に立たされていく。吉男は力を振り絞って目を見開き、天
井を見上げた。天井は見えなかった。代わりに白っぽい布のようなものが見え
た。
「え?」
当然それは落ちてくる。吉男は受け止めようとした。体は小さいけれど、座
間中の卓球部のレギュラーである。運動神経には自信があった。きっちり受け
止めた。しかし、腕力はなかった。椅子ごと後ろにひっくり返る。ものすごい
音が教室中に響き渡った。
後頭部と背中の痛みと胸にのしかかる重みにもがき苦しみながら教室中の生
徒が集まってくるのを感じていた。もちろん教師もだろう。やばい、何かうま
いいいわけを……吉男は自分に何が起こったのか理解出来ないまま焦りまくっ
ていた。
「何?何が起こったの?」
聞き慣れた母の声が聞こえてきてびくっとする。が、怒ったような声ではな
く、あまり聞いた記憶がない戸惑った声だった。吉男はほっとした。
やれやれ。痛い。重い。何が乗っかってるんだろう?吉男は少し落ち着いて
きた。
「先生、私見てたんですけど空中にこの子が突然現れて皆元君の上に落ちたん
です」
なるほど。子供だった。吉男と同じぐらいの背格好をした少女が乗っかかて
いた。時子はその子を抱き上げ、床に寝かせた。吉男はようやく解放され、安
心して頭と背中の痛みに苦しみのたうちまくった。もちろん誰も構ってくれな
い。皆、突然現れた少女に注目している。
「……うーん」
少女はすぐに意識を取り戻したらしい。
「大丈夫?痛い所は無い?」
時子がそう尋ねると少女はうなずいた。
「うむ。怪我はしておらぬようじゃ」
少女が喋った事にクラス中がほっとした。
「そう、それはよかったわ」
時子が微笑む。その顔を見て少女も安心したかのような笑みを見せた。
「……ここはどこじゃ?」
少女にとっては当然だろう質問をする。時子は困ったような表情になった。
「座間中の二年四組の教室……と言っても分からないかもしれないわね……。
あなたの名前を聞いてもいい?」
時子のその問いに少女ははっきりと答えた。
「私の名前は牛若丸」
時子は校長先生と相談してくるから、と少女と一緒に教室を出た。この学校
の校長は吉男の実の祖父でもあった。
残された教室は自習だひゃっほうなどという雰囲気にはならず、ざわざわと
皆話し合っている。そしてちらちらと吉男の方を見る。タイムスリップ。SF
でしか聞いた事の無い単語が飛び交っている。さすがは現代っ子、皆納得し始
めている様子だった。今は牛若丸というのはあの牛若丸なのかとか、タイムパ
ラドックスがどうのとかそういう話題になっていた。そしてちらちらと吉男の
方を見る。
吉男は頭と背中の痛みがようやくおさまってきたところでそれどころではな
い。皆の話をぼんやり聞いているだけだった。
そして時子も少女も戻らぬまま放課後になった。
「おなか空いた……」
七時を過ぎてもまだ時子は帰って来ない。空腹で苦しむ吉男。しかし、吉男
には時子の帰宅を待つ以外の選択肢は許されてなかった。
八時まで待って帰って来なかったら、後でどうなろうともコンビニへ行って
……そんな悲壮な決意を吉男が固めた時、車の音が聞こえた。
「ただいま~。ごめんね~遅くなって。晩ご飯は買ってきたからすぐ支度する
ね」
少女と手をつないだ母はそう言った。
「おかえりなさい……」
そんな事よりご飯より吉男は少女を見つめる。目を丸くして。
少女も吉男を見つめていた。目を丸くして。
顔を見合わせるのは初めての二人。二人は瓜二つであった。
「でね、お父さんはどうなるのか落ち着くまではこの学校の生徒として生活す
ればいいんじゃないかって言ってくれてね……」
寿司、唐揚げ、餃子、サラダ。味噌汁だけは作ったようだ。
「でも、生徒として生活するにも準備がいるだろうって話になってね……」
待った甲斐は十分にあっただろう。空腹にごちそう。むさぼるように食べ
る。見ると少女も自分に負けないぐらいの勢いで食べている。
「文字とか算数とかやっぱり現代とは違うみたいなのよね。だからしばらくは
吉男は学校を休んで美子に国語と算数を中心に小学生からの勉強教えてあげて
ね」
夢中で食べる吉男にすぐには理解できない言葉が飛び込んできた。吉男は箸
を止め、時子を見る。
「よ、よしこ?学校を休む?え?」
「牛若丸ちゃんの現代での名前よ?皆元美子。美子もそれでいいって。気に入
ってくれたみたいよ?」
吉男は少女を見た。言われて赤くなって下を向いている。しかし、その間も
箸と口は休まない。おっと負けてられない。吉男も箸を伸ばす。
「あなたの双子の妹だから。ちゃんと優しく仲良くしてね」
家族の団らん。吉男と美子はぎこちないながらも時子を間に挟んで会話を進
めていく。少しずつ打ち解けていく。笑顔が自然に出るようになる。時子は微
笑む。ボーン、ボーン。
「あら、もうこんな時間?お風呂入って寝ましょ」
そこで時子は止まる。
「あ、美子は現代のお風呂って分からないわよね……。吉男、美子と一緒に入
って教えてあげなさい」
「え?ええええ!?」
吉男は戸惑う。中学二年生である。男と女の違いを心と体で意識し始めるお
年頃である。美子を見た。うつむいていた。
「え、えーと……。一緒に入らなくても説明は出来るし……」
自分の意志とは裏腹にそんな言葉を呟く。
「馬鹿ね。冗談よ?本気にしたの?エロい事でも考えたの?いやらしい!エロ
息子!」
……そんな事だろうと思ったさ。吉男は自分をなぐさめる。気にするな、
俺。負けるな、俺。
「美子は私と一緒に入りましょうね~」
しかし、美子は顔を上げない。時子はおや?と美子の肩に手を置く。
「私は風呂には誰とも一緒に入れんのだ。私は裸を決して見られてはいかんの
だ」
泣きそうな顔。
時子は美子を抱きしめた。
「女だってばれちゃうから?」
美子はびくっとした。
「いいのよ。言ったでしょ?ここはあなたの住んでいたところとは違う場所。
あなたはあなたのまま。何も隠す事なんてなくて、堂々としててもいいの。こ
こではあなたは自由なのよ」
牛若丸がタイムスリップしてきてその牛若丸は実は女の子だった。
布団に入り吉男は今日の出来事を整理していた。
牛若丸は日本人にはおなじみのあの牛若丸で俺の双子の妹でこれから一緒に
暮らすんで俺が勉強を教えないといけなくて……。
うつらうつら。
優しくしてあげなきゃいけなくて……仲良くしなきゃいけなくて……。
こっくりこっくり。
守ってあげなきゃいけなくて……。
いつのまにか吉男は眠りに落ちていた。
あいうえお。あっと言う間に美子はひらがなをマスターしていた。漢字ドリ
ルもどんどん埋まっていく。
「焦らなくてもいいから。休憩いっぱいとってゆっくりね」
お昼ご飯の準備もばっちりの時子の言葉。小学生の時の教科書の山。うー
ん。吉男は休憩を美子に言い出すタイミングをつかみかねていた。
「お昼ご飯にしようよ」
その言葉が出るまで休憩は言い出せなかった。漢字ドリルも計算ドリルも全
て埋まっていた。
「この時代の食べ物はとても美味いのぉ」
にこにこ。ぱくぱく。
「元の時代の食べ物って……って言うか美子は自分が違う時代に来たってちゃ
んと納得してるんだね」
「いや、私も信じられなかったんじゃが……」
もぐもぐ。
「時子様が……いや、は……母上様が信じられないのは自分もなのでお互い様
だからちゃんと受け入れるように、とおっしゃられて……」
うーむ。教室を出てから家に帰ってくるまでに母は今の状況をきっちり解決
してしまったらしい。やっぱり怖い。
「今は私がいた時代より千年ぐらいたった時代らしいの。……私がいた時代の
ことも記録に残っているだろうか」
午後は予定に無かった歴史の授業になった。
美子は熱心に聞く。
「それでは源氏は平家を倒して……」
美子はほっとしたような、肩の荷が降りたような笑顔。
教科書に義経の名前があっても牛若丸の名前は無い。吉男はもちろん何も言
わない。
「私はな……実は女なんじゃ……」
美子は語り始めた。教室に現れた時クラス全員が、自分は母と一緒に帰って
きた時一目見たときから、この子の事を女の子としてしか認識してなかった事
なんて美子が自分に心を開いて自分語りをしてくれた事に比べたらどうでも良
かった。
「じゃがの、鞍馬天狗の連中がの……」
若様は源氏の大事なお血すじ。ですから男として育ち、もしもの時には一族
を支え、引っ張り、戦わなくてはいけないのです。そんな事を吹き込み、剣術
や勉学を叩き込んでいったのだという。
「へえ~。でも、美子がいなくても目的が叶ったんだし、美子はもう、ここで
好きに生きていけばいいんだよね」
心の中の憤りを隠し、笑顔を作る。ふざけんな。こんなかわいい女の子に、
俺の妹に舐めたまねすんな。
「うむ」
美子は頷いたが下を向き悩んでるような表情を見せた。
「どうかした?」
吉男は心配になる。
「私はここで私として生きていけばいいんかの?」
弱々しい声。
「もちろんだよ!」
吉男は声を張った。
「本当か?ならば何故吉男は怒っているのだ?」
美子は伝説に伝えられているような本当の天才であった。ただの中学生でし
かない吉男の心情など簡単にとらえてしまう。
吉男は言葉につまった。
怒っているのはお前の周りにいた人間に対してで、お前がここにいる事に対
してじゃない。うまく言葉に出来ない。一番伝えたい事。俺は美子が大好きな
んだって事。言葉に出せない。未成熟な中学生。無力で何にも出来ない。だっ
たら……。
教師に習おう。身近にはとても素晴らしい教師がいる。
吉男は美子を抱きしめた。
「ここにいて、美子として、自分が好きなように生きて行ってくれ」
美子はやっぱり聡い。真実は真実としてきちんと伝わる。
「うむ。ありがとう吉男」
美子は吉男を抱きしめ返した。
「ただいま~。ちゃんと勉強してたかな~?」
吉男は成果を時子に差し出す。
「え?これ今日一日で?美子すごい!えらかったね~」
時子は美子の頭をなでる。美子は照れているが嬉しそうだ。
時子は吉男にはプリントの束を差し出す。
「え?何これ?」
「休む間の授業内容」
今からね。時子はにっこり笑った。
タイムパラドックス。今までそんな言葉は知らなかった。
教科書に変化は無い。歴史は変わってない?理由を考える。
……義経は架空の人物。ありそうだ。千年も昔の事なんて正確に伝わりっこ
ない。どっかのホラ吹きがもっともらしい物語をつけてでっち上げやがったん
だ。
……違う誰かが義経を名乗った。これもありそうだ。女の子を男として育て
ようとしたいかれた連中が周りにいたんだろう?美子がいなけりゃ違う誰かを
替わりにしようとするさ。いや、もともと美子は誰かの替わりだったのかもし
れない。
……。
……美子がまた元の時代に帰って行ったって可能性は0パーセントだ。あり
えっこ無い。
日曜日。ピクニック。三人ともはしゃぎまくる。明日は美子の初登校だ。
「そうそう、牛若丸は皆元美子になって私の子供になったって言ったらクラス
のみんなうんうんって納得してたわよ」
からっとしたいい天気。
「私と吉男と仲良く生活してるって言ったら男子達が怒っていたけどね」
あはははははははははは。幸せな時間。
「怒っていた女子は一人もいなかったのは母親として複雑な気持ちになったわ
……。あんたもっと男を磨きなさい」
ちょ、ちょっとあっち行ってくる。
あ、私も行く。
仲のいい双子の兄妹。花の咲き乱れるきれいな高台。
隠れていた崖。
求め合う手と手。
つながった。力まかせに引き上げる。安全な場所へ。その代償は自分。落ち
て行く。
落ちて行く。
その時、吉男を不思議な感覚が襲った。
落ちた。
「いてててててて……」
思ったより高くなかったらしい。見上げる。木が見えた。あー……あの枝か
ら落ちたんだ……。
「こっちから音がしたぞ!」
野太い声が聞こえた。
「若様!」
心配そうな声。
「いた!若様!お怪我は!?」
昔話で見た野伏とか修験者とかみたいなかっこう。あー鞍馬天狗っていっぱ
いいたんだ……。え?
「お、おい……」
天狗達に広がる動揺。
え?鞍馬天狗?記憶が蘇り、意識がはっきりしてくる。
ああ……なるほど。
天狗達は吉男の服装、胸のあたり、股間のあたりを見てざわついているよう
だった。
吉男は全てを理解した。
ああ。あんなかわいい女の子が血みどろの戦いなんてなあ。
吉男は立ち上がった。
天狗どもがざわめき後ずさりした。
血縁とだっていろいろあるんだろう?
「お、お前、何者だ!?」
そんなの許されないって誰だって思うよなあ。
だから……。
吉男はニヤッと笑った。
(神様、気が合うじゃねえか)
吉男は天狗達に向かってはっきりと言った。
「俺の名前は牛若丸」
完
お読み頂きありがとうございました。
何かありましたら言っていただけると嬉しいです。
それでは。