エリーゼちゃん
黄色いカバンに黄色い帽子、雨が降れば黄色の傘に、お弁当にも黄色いおかずが多かった。夢や楽しみの数を指に折るなら際限なく人の手も借りるようなものだった。
ワタシがまだ園児だった頃、六歳にしてはマセた子どもだったとも思うが、同じクラスにピアニカ少女がいて、少なからずの思慕を抱いていた。毎朝、花壇の花を手折り、その子のそばへ。
その子は毎休み時間、一音も乱れることなく「エリーゼ・・・」を弾くので、只者ではないなとは思っていたが、いつの頃からかアダ名は「エリーゼ」になっていた。その意味のわからない園児も多くいたが、皆そろってそう呼んだ。先生達もその子の表現豊かな演奏にだけは一目置いて、毎朝、担任は鼻唄を転がしながらオルガンを磨くことが日課となった。その度に私が預けた一輪が無慈悲に捨てられた。
また音楽会の主賓ともなり、他の園児たちのお上手な「きらきらぼし」に耳汚し、鼻高そうなその子の両親が園長先生と体育館の隅で相談事をしているのを耳にしたこともある。ゆうぼう、なのだそうだ。そして、たぐいまれ、なのだそうだ。
「エリーゼちゃん、遠くに引っ越すんだって?」
「ハンカチを持ち歩くように」夏休み前?いつだったか心無いクラスメートの女の子がクラス中に言いふらした。最初は確信的な話題ではなかったが、子どもたちは一時騒いで、どうやらトウキョウ、とかって所にピアノを習いに行くんだと知ると、納得もして、一ヵ月後の引越しを待った。落ち葉が地面を埋め尽くすころ、そういう時期判断で、童心にわかれを、思い思い下手糞な文字で誤字のあふれる絵手紙を綴った。
自宅から三分、バスの通り道で、モダンな構えの家の前に引越しトラックが停まっている。いつもピアノが聴こえてきていた、エリーゼの家だった。四tonトラック、分解されたグランドピアノの部品が幅を利かせて楽譜やらのダンボールが二箱、周りには同級生たちが年齢に見合った人形やらぬいぐるみやら用意していたが、ワタシは母親気に入りの家の小洒落た爪切りをこっそり拝借して、適当な封筒に包んだものを手紙と共にプレゼントした。行く末のピアニストに期待や押し付けがましさを何も考えずに「がんばって」と一声掛けた。少女は少女らしくあることを嫌がるように手を振るのを嫌がった。いつかまた別の形で、トラックはその時のその時に大切であった物を連れ去って行った。彼女は夕飯前にはトウキョウに着いたらしい。電話には照れ臭さもあったが、
「次はショパンの練習の練習をするの」と言うので、意味は分からなかったが音楽のことだと思い、
「ピアノが立派だったね」と稚拙で無難な返答をした。
暫くの間、思いの外、季節の移り変わりは静かでゆっくりだった。エリーゼは記憶から遠く薄れて行き、幼年時の忘れ物となった。青年時に新聞の芸術欄で思い出し、気紛れで音大に行った同級生の拙い演奏会に耳を出すも、やはりどんな演奏技術も彼女の感性の前では波打ち際の砕け散った貝殻のざわめきにしか聞こえなかった。それを靴で踏みつけた時と同じ音だ。エリーゼは少なくとも波と波の間の一瞬の静寂を表現していた。
給料の使い道を制限される、大人になった。家庭を持った。しかし腑に落ちない胸の不足感が耳の奥に座し、或る時には眠る間際にも風邪に魘される朝にも無性に彼女の演奏を聴きたくなった。テレビに紹介されるような、世に才能が溢れさえすれば至極特別だったエリーゼの演奏を身近に感じられるのに。しかしこの歳になってもピアノの演奏会に足を運ぶのはその為ではなく、娘の品評会に鼻高々として、持ち帰る物が無いのも分かっていながら、本物の才能に打ち崩された、耳慣れた、落ちぶれた優越へのささやかな慰めだ。「私のパパです」。
それは今想えば下卑たちんけな悪趣味だった。一線で弾いている彼女を追い駆けるほど常識を弁えない訳ではないが、娘にはピアノを、自分にはその領収書を誇らかに与えた。夕暮れにはあの別れの電話を思い出してしまう。でも一曲の合間にすぐに忘れる。爪切りは決別の彼岸此岸を繋ぐ掛橋を通行止めにした。ホールでの演奏を聴きに行く度に幼年時代の無邪気な悪美が鮮やかに思い起こされ、カレンダーを捲る回数は失われていく本来永久の物である音楽性をまた別の存在契機に踏み込ませた。テレビの中のエリーゼは映画の登場人物のように格差社会に留まらず、もっと遠く、異次元を旅する飛行船の操縦士だった。
三十年経った。連絡を取れない訳ではないが、聴衆としての役目をきちんと果たそうと、AV機器に掛ける金は惜しまず、向こうからの電話を待つ位置と弁えた。ワタシの娘には絶対音感が在った。ハミングには、そんなもんだろう、強弱やテンポさえキャプチャーを適えた。しかしピアノに対面すると音列の物真似の域を出ない。また、その中庸からはみ出すことないようお行儀良く教育をした。このことは娘には内緒で、悦に入る彼女のプライドも傷付けないようにした。
「パパ、お腹が空いた。」
致し方なく娘をレストランに食事に連れて行くが妻には内緒だった。
「パパ、あのピアノの、見たことある人はだれ?」
「知り合いで、お前にも前に紹介したよ」
「ふーん。おぼえてない」
今思えば最初の失恋だったのかもしれない。記憶が窮屈で欠落している部分もあって定かではないが、それも気持ちが行き来したり一報通行や行き違いがあった訳ではないと括る。結局はどちら寄りの思慕なのか、今もまだその踏ん切りが付かないのも、自分の成長に歯止めの掛かった歳から慣れ始めた。夕暮れにショパン、妻がワインに酔って、テープで演奏を聴く。
「何か懐かしいわね」
とイヤリングを外しながら言うが、素知らぬ顔で
「ああ、歳を取ったんだよ」
とグラスを傾けて相槌を打つ。
忘れ物を取りに帰るなんて幼少時に幾らでも在るだろう、しかし、気付かねばまだマシ。殊して忘れた振りを続け歩を進めるのにも妻の独り善がりな思い出話につまらぬ相槌を打つのも、毎日幾度と無く音楽を耳にし、いつの間にか同じ絶対音感を持ってしまった自分には我が娘の音資の体たらくさが、面影の彷徨うままに程好く心苦しい事であった。娘は音大に行かせないしスカンジナビア航空を使うこともない。それは世紀の大演奏家を前にして、必ず、口笛の上、野暮なこと言うまでもなくこちら側の公用語で偽善と律然を交えた「幸せ」の在り処なのだ。「シャツの襟が曲がってる」有難い世話焼きは今もまだ必要だった。
―――エリーゼちゃん、遠くに引っ越すんだって?―――
そうだった。そこには置いてきぼりにされたワタシがいた。向こう側に手を振って、振り続けて、いつかその距離に慣れ親しんでしまうことに胸が苦しめられ、はるか向こう、一人で闘い続けるエリーゼが私の友人である事も釈然としないまま記憶の彼方に閉じ込め、社会折衷の虚しさや遣る瀬無さが、娘のピアノ弦が断ち切れるまでザワザワ胸騒ぎとして何ものにも触れられない指先に残った。娘はピアノを売った金を車を買う頭金にした。形容のない風や水が入り混じり合って世界に流れて行くように、いつの日かエリーゼは天才と凡庸の境目を無くした。




