第2話 『ケモミミシステム』
桐咲に強引に連れられ訪れたのは、モフモフ喫茶『アニマル』から少し行ったところにある公園のベンチだった。夜八時過ぎということもあり、子どもは一切いない。いるのはほとんどがアベックばかり。ただし俺と彼女の間にはそのような甘い雰囲気は一切なく、ただ重々しい空気が広がっていた。
「この症状が出るようになったのは高校の入学式前、一人暮らしを初めてすぐの頃よ」
街灯の白い光に照らされながら、桐咲は俺が先ほど偶然にも見てしまったものについて語り出す。すなわち、ケモミミについて。
「最初に生えたのも今日と同じネコの耳だったわ」
「まるで他の動物の耳も生えるような言い草だな」
「生えるわよ。犬はもちろん、狐やクマなんかも」
あまりにも淡々過ぎる言い草に、嘘くささは感じられない。これで嘘ならすごい嘘つきだ。しかし俺も先ほど、実際にこの目で実物を確認している。桐咲の艶やかな黒髪の中から生えた二つの黒いネコ耳を。
「ちなみに生えてくる時間も生えている時間もランダム。一日中生えていることもあれば、一〇分ぐらいしか生えてない日もあるわ。ただし生えない日はないうえ、生える耳もランダム。今のあなたと同じように、悩みの種でしかないわね」
「……今、地味に俺のこと罵倒しなかった?」
「当然でしょ。女性の秘密を暴くなんて……」
「いやいや。あれはどう見ても完全な事故だっただろうが」
むしろ、帽子をちゃんと押さえていなかった桐咲が悪いまである。
それに想像できるかよ、まさか学校で一番の有名人の頭にケモミミが生えているなんて。たしかに入学当初から帽子を被っているのは不自然だったけど、自由な校風が売りのウチの学校だと先生もあまり咎めたりしない。おかげでたぶん、俺以外まだ誰も気づいていないはずだ。
「まったくもって難儀な現象だな。それで今もまだネコ耳は健在で?」
「さっきようやく消えたわ」
人一人分の感覚を空けて隣に座る桐咲が、あっさりと帽子を脱ぎ捨てる。本人の言う通り、そこには動物のような耳など一切なく、幻とまで言われた帽子をキャストオフした彼女の頭部が広がっていた。
「この耳のことでわかってることはあと二つ……」
それから右手の人差し指と中指を立たせ、一つずつ紹介された。
一つは耳が生えている間限定で、生えた耳と同じ種族の動物と会話ができること。
もう一つは生えた耳によって、現れやすい感情のパターンが大きく異なるらしい。
「特に二つ目が問題なのよ。ネコは私の素と酷似している部分があるからいいのだけれど、犬とかになるとその……人懐っこい性格になるみたいで……」
学校で切り裂き姫と揶揄される塩対応で毒舌な女の子。高校生活も一年が過ぎ去り、未だにその冷たい態度と刺々しい物言いが彼女のイメージだ。それは決して揺らぐことなく、今も俺だけでなく学年全体に知れ渡っている。
そんな彼女が人に懐くなんて到底思えない。
「試しに今、イヌ耳を生やして見せてくれよ」
「絶対に嫌よ。あなた、私の感情傾向を変えて何をするつもり」
桐咲が自分の肩を抱き、ベンチの隅まで距離を取る。
少なくてもそんな慎ましやかな胸に興味を覚えるほど、欲求不満ではない。これは単純な好奇心から来るものだ。……本当だよ。
「まあ事情は大体理解したけど、それでその話を聞いた俺にどうしろと?」
「なんてことはないわ。あなたはただ、このことを誰にも公言しなければいいのよ」
「全部話したうえでそれを言うのか?」
ならいっそのこと話さずに、ケモミミを見たことだけを口止めすれば良さそうなものだが。
「好奇心で周辺を嗅ぎ回られる方が目障りだもの。先に事情をすべて話したうえで口止めすれば、あなたの場合は理解してくれるはずよね」
「否定はしない。でもどうしてそんなに、ほぼ初対面な俺について知ってるんだよ?」
俺と桐咲は去年も今年もクラスメイトではないし、かと言ってクラスが近いわけでも、同じ小中学校出身者というわけでもない。本当に今日初めて喋った間柄だ。しかしそれにしては俺の性格をあまりにも熟知し過ぎている。
触らぬ神に祟りなし。
君子危うきに近寄らず。
この二つを体現するが如く、昔から面倒事はあえて避けてきた。
でもそんなこと、少なくても桐咲は知らないはずだが――
「あの喫茶店のネコたちに聞いたのよ、あなたの性格を。どのみち、喫茶店にいたことを口止めするつもりではあったし」
やっぱりそのための待ち伏せだったか……。
「心配しなくても客の秘密を話すほど落ちぶれちゃいないよ」
「でもあなた、本当は動物嫌いだって聞いたけど? 動物嫌いだから信用できないって」
「なら今後そのバカネコに言っとけ。そっちが噛んだり引っかかないなら、こっちもそれなりの対応をしてやるって。そもそも俺が動物嫌いなのは、向こうも俺のことが嫌いだから嫌いなだけだ」
膝の上に肘を突き、仏頂面で桐咲の言葉に反論しておく。
今日も桐咲の来店前に犬から噛まれ、ネコには威嚇され、ウサギには齧られたばかり。ウチは俺以外、全員動物に好かれるというのに一体どういう了見なんだろうか。
「そういえばあいつら、なんで俺のことが嫌いなんだって?」
「さぁ? ただ『存在そのものが気に食わない』としか聞かなかったわ」
「めっさ嫌われてるじゃねぇか……お前、少し誇張してない?」
「そんなくだらないことしないわ。あなた程度に労力を割く暇があるなら、この耳のメカニズムを解明する方がまだマシよ」
「お前はお前で、少しは俺の存在に目を向けろよ」
存在が気に食わない以前の問題だ。
そもそも存在を全否定された。さすがは切り裂き姫、俺の心もバッサリだ。
「お前、絶対に友だちいないだろ」
「別に必要ないもの。そんな定義が曖昧なもの」
脱いでいた帽子を被り、話は終わりとばかりに桐咲がベンチから立ち上がる。月明りに照らされるその後姿は絵にはなっていたが、凛々しくもどこか寂しそうに見えてしまった。でもこれは勝手な俺の憶測に過ぎない。
俺は友だちと呼べる友だちは数えるほどしかいないし、特別親友なんて呼べる代物を作る気も一切ない。ただある程度仲良くしているだけ。それはなんとなく俺が周りに流されているからだ。
友だちはいないとダメなんていう古い一般常識に。
「それじゃあ学校で会ったら、私のことは無視してね……失礼だけど、あなた名前は?」
「獣坂虎太郎だ。話をする前に人の名前ぐらいまず聞いたらどうだ?」
言い淀んでいた桐咲に自分から自己紹介を行う。
まさか名前すら把握されないまま、あんな話を聞かされてたなんて。というか動物たちも俺の名前ぐらい喋れよ。一体あいつらは普段、俺をなんて呼んでるんだ?
「ちなみに私の名前は――」
「言わなくていい。お前、自分が学校でどれだけの有名人かわかってないだろ」
校内で桐咲姫の名前を知らないやつが居たら、そいつはかなりの潜りだ。普段、必要最低限の交流しか友人たちとしない俺ですら知っているというのに。それぐらいウチの学校は桐咲姫の話題で持ちきりだ。
「校内で会っても是非、無視させてもらうよ」
こちらを振り返ることもせず、桐咲姫は夜の闇夜に消えていく。
これが仲の良い男女なら家まで送るのだろうが、俺たちの関係はなんてこともないただの同級生。それに今はただただ――
「やっぱり、動物に関わるとロクなことがない」
家に帰ってゆっくりと風呂にでも浸かりたい気分だった。




