第1話 学校で一番有名な女の子の隠し事
「にゃー。にゃー。にゃー」
いつものように姉が経営する喫茶店のカウンターに立ち、俺――獣坂虎太郎は洗い終わった皿を拭きながら、茫然と眺めていた。見知った間柄ではないが、よく見慣れた女の子がウチの喫茶店にいるネコと見つめ合い、ネコ語を話しているところを。
ウチの店は『モフモフ喫茶』。ネコだけでなく他にも色々な小動物がいるにもかかわらず、女の子は頑なにネコの前から動こうとしない。
「にゃー。にゃー。にゃー」
膝を曲げてしゃがみ込む女の子は、俺が通う学校のブレザーを着ていた。面識がないから気づかれることはないけど、有名人の見てはいけない顔を見てしまった気がする。なにしろ今、ネコとお話を試みている女の子は、塩対応で有名な『切り裂き姫』と呼ばれる女の子なのだから。
本名は桐咲姫。あだ名は名前のもじり。
一言ならクール系和風美少女と言ったところか。セミロングの黒髪に切れ長の目、頭にはいつも深めの白いキャスケット帽を被り、体型はいわゆるスレンダー体型。一見するとかなり可愛い部類に入るが、その見た目に騙されて言葉でバッサリと切り殺された男は数知れない。
そんな校内の有名人の恥ずかしい姿を目の当たりにしてしまった。
「皿洗いも終わったし、俺はちょっと在庫整理してくるわ」
カウンターに立ち、お客さんの相手をしていた姉貴に一声掛けてから店の奥へ。
これでこの店に俺がいることは気づかれないはずだ。別に常連というわけでもないし、もう店で会うこともないだろう。ここに俺がいることがバレていたら、確実に口止めに動かれていた。まあハナから人に話すつもりなんてないけど。
友だちもいなく、学校では孤高のぼっちで美少女な優等生。そんな子がネコと似非ネコ語で会話を試みていたなんて。口が裂けても言うつもりはない。なにしろ昔から動物に関わるとロクなことがないし、動物好きそうな彼女とはあまり関わりたくもない。
「そもそもこのバイトだって、本当はウチの双子がやることになってたはずだろうが」
それなのに気づけば、俺が週四で向こうが週三。土日は向こうが請け負ってくれるからいいけど、それにしても中学生の方が高校生よりは割と暇なはずだろうが。そもそも今日だって、強引に頼み込まれた形だし。やっぱり家族とはいえ、動物との相性は最悪だ。しかもそのおかげで――
「余計な光景を目撃しちまったな……」
***
午後八時過ぎ。仕事も終わり、店の後片づけをしてから退店。
姉貴は現在店の上にある三階の部屋に動物たちと暮らしているため、俺とは一緒に帰らない。つまり帰り道は俺一人なわけなんだが――
「あなた、いつまで私を待たせるつもりだったのかしら」
二階にある店へ続く階段を下りてみると、そこに不機嫌そうな顔をした先ほどのネコ語女が立っていた。相変わらず頭に被った帽子を脱ぐことはなく、腕を組んでこちらを鋭い目つきで睨みつけている。
俺に特殊な性癖でもあれば、ご褒美になったかもしれないが、生憎と俺の性癖はノーマルである。だから一切、彼女には特別な感情も抱いていないわけで。
「本日も来店ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
学校のブレザー姿で桐咲の前を通り過ぎ、一応の営業メッセージだけは入れておく。
ここで待ち伏せされた時点で、俺が店員というのはすでにバレているはずだから。
「待ちなさい。あなたに話があるのだけれど」
「心配しなくても、お客様の秘密は外部に流したりは――」
「言葉だけで簡単に信じられると思う? それもよく知らない男子の言葉なんて」
相変わらず鋭い一撃だ。よく知らない……一応同じ二年生なんだが。いや、たしかに同じクラスになったことはないんだが。それでも女子から知らない人呼ばわりされれば、大概の男子は深く傷ついてしまう。なにしろ基本、自分はある程度モテるなんてバカな勘違いをしている生き物なんだから。
我ながら自意識過剰も甚だしいな。
「つまり何か? これからお茶でも付き合えばいいのか? 悪いけどウチ、門限があって21時までに帰らないといけないんだよ」
もちろん、ウソである。この面倒くさい状況から逃げるための方便でしかない。
門限? 何それ、食えるの状態だ。良くも悪くもウチは放任主義。おかげで妹二人のじゃじゃ馬っぷりも極まっている。姉貴なんて今はおっとり系美人だけど、昔はバイクを乗り回していた元ヤンだし。たぶん、四人兄弟の中で一番まともなのは俺だ。
「というわけでまた明日、学校で会ったら話そうぜ」
軽く手を振り、桐咲に別れを切り出す。
最後に「本日営業は終了しました」と言い、その場を離れようとすると。
「このまま返すと思う?」
俺の肩を掴み、帰宅を阻まれた。
「しつこいぞ。いい加減にしろよ」
振り払おうと思えば、あっさりと振り払えそうな手。
それでも力業に出ることなく、冷静に桐咲の方を向いて応対する。
「あのな――」
その時だった。
四月も半ばというのにまだ肌寒い風が、深めに被っていた桐咲の白い帽子を攫う。帽子がコンクリート地面を転がる中、俺が目にしたのは――ケモミミだった。
帽子の下に黒いネコの耳みたいなものが生えていたんだ。
「お前、それ……」
高校生になって以降、ネコの耳はもう飽きるぐらい見た。だからこそ断言できる。桐咲の頭に生えているのは間違いなくネコ耳だと。
しかしこんなファンタジーを信じられるほど子供ではない。きっとキャスケットの下に付け耳でもしていたんだろう。……それはそれで違和感が半端ないうえ、明らかに耳がピクピク動いてるけど。
「……見た?」
地面を転がる帽子を拾いながら、桐咲の冷ややかな声が夜の街に響く。
ここで否定したところで無駄なのは丸わかりだ。
「あ、安心しろ。獣坂さんは誰かの秘密を吹聴するような人間じゃ――」
帽子を拾い、軽く払ってからまたネコ耳を隠すように帽子を被った桐咲がこちらを睨んできた。その威圧感に圧倒され、こちらは黙らざるを得なくなる。学校でもこんな鋭い目で人を睨んでいるところは見たことがない。
そして彼女は月明りが照らす夜道で静かに告げた。
「話をしましょう。私の秘密に関する大切な話を」




