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第八章 静けさの先に

翌朝のパン屋は、いつも通りの賑わいだった。


焼き上がりを知らせる鐘の音。

香ばしい匂いが店いっぱいに広がる。


ノエルは生地を捏ねながら、昨夜の光景を頭の中で反芻していた。


「……やっぱり見間違いじゃないと思うんだ」


ぽつりと漏らす。


ガイルが腕を組み、ちらりと視線を向けた。


「王城に入っていくルミエラちゃん、って話か」


「うん」


「昼なら分かるさ。聖女だ、王城に呼ばれることもあるだろ」


「でも夜だよ」


「いやいや、単に見えただけじゃないのか? 好きすぎて」


「違うってば」


ノエルは少し赤くなって言い返す。


マルタがくすっと笑った。


「夜道で金髪を見たら、全部ルミエラちゃんに見えちゃった、とか」


「違うってば……」


「ほら、考えすぎよ」


マルタが軽く手を振る。


「ノエルはルミエラちゃんのことになると、すぐ気になっちゃうんだから」


ノエルは口をつぐむ。


理屈では分かる。


でも――。


「……そう、なのかな」


「……あ」


ガイルが帳簿を閉じた。


「今日はちょうど教会への配達だったな。」


「気になるなら、聞いてみたらいいんじゃないか?」


「はい」


胸の奥が少し落ち着かないまま、ノエルはパン籠を抱えた。



教会は昼の光に満ちていた。


祈る人々の静かな声。

柔らかな空気。


奥から、見慣れた金髪が揺れる。


「こんにちは、ノエルさん」


「こんにちは、ルミエラさん」


昨日と何も変わらない微笑み。


パンを渡しながら、ノエルは小さく息を吸う。


「あの……昨日の夜なんですけど」


「はい?」


首を傾ける仕草は穏やかだ。


「王城の近くで、ルミエラさんに似た人を見た気がして……」


ほんの一瞬。


それだけの間。


「そう、なのですか?」


不思議そうな目。


「私は昨夜は家におりましたが……見間違いではありませんか?」


自然な声音。


取り繕った様子はない。


「……ですよね」


ノエルは苦笑する。


「変なこと聞いてすみません」


「いえ」


ルミエラは柔らかく微笑んだ。


「気にかけてくださって、ありがとうございます」


それからは、いつもの会話だった。


パンの出来。

街の話。

小さな笑い声。


穏やかな時間が流れる。


何事もなかった一日。



夜。


家に戻ったノエルは、窓辺に立って外を眺めていた。


昨日と同じ時間。


頭では理解している。


見間違いかもしれない。


それでも――。


「……やっぱり気になる」


小さく呟く。


確かめるだけ。


それだけだ。


ノエルは外套を手に取った。


静かに家を出る。


夜の街へ。


そして王城へ続く道へ。


知らないうちに、一線へ近づきながら。


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