表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

第三章 晩餐のあと

地下の部屋は、仕事が終わると急に静かになる。


先ほどまで響いていた声も、今は石壁に吸われたかのように消えていた。


拘束椅子の男は力なく項垂れている。身体に残るのは疲労だけで、損傷はひとつもない。皮膚は滑らかで、骨も関節も完全に整っている。


まるで何も起きていないかのようだった。


ルミエラ・ヴァレンティスは男の手を軽く持ち上げ、指の動きを確認する。


問題ない。


彼女は小さく頷いた。


「これで大丈夫です。しばらく休めば落ち着きますよ」


気遣うような声だった。


男は返事をしない。ただ虚ろな目で空間を見つめている。彼の呼吸だけが、ここに現実が残っていることを示していた。


記録係が書類をまとめる。


「任務完了です。ありがとうございます」


ルミエラは丁寧に一礼する。


「お役に立てて何よりです」


それだけ言うと、彼女は扉へ向かった。


地下室を出ると、冷えた空気が肌を撫でた。階段を上るごとに湿った匂いが遠ざかり、鉄の気配も薄れていく。


足音が一定の間隔で響く。


来た時と変わらない歩調。


仕事が終わっただけだ。


それ以上の意味はない。


地上へ戻ると、王城の空気は穏やかだった。夜の灯りが廊下をやわらかく照らしている。


侍従が深く頭を下げる。


「今夜もありがとうございました」


「こちらこそ、お世話になりました」


形式通りの礼。


それで全てが完結する。


王城の門を出ると、夜風が頬をなぞった。街は静かで、遠くから酒場の笑い声がかすかに聞こえる。


誰もがそれぞれの夜を過ごしている。


ルミエラもまた、その一人だった。


歩きながら、彼女は外套の内側に触れる。


そこには手紙がある。


白い封筒。整った文字。


――エドモンドより。今夜の晩餐にご招待します。


役目を終えた合図。


街灯の下で封を切る。


中身は空白だった。


文字は最初から存在しない。


ルミエラは静かにそれを眺める。


驚きはない。


この手紙は“連絡”という形式を取った目印に過ぎない。


エドモンドという人物は存在しない。


ただ仕事を示す名前。


それだけだ。


彼女は紙を折り、街灯の火にかざす。


炎がゆっくりと封筒を飲み込み、灰は夜風に溶けた。


それで終わり。


帰路は静かだった。


月光が石畳を照らし、彼女の影を長く伸ばす。


やがて辿り着いたのは、教会から少し離れた小さな家だった。飾り気はなく、整えられた住まい。


扉を開けると、生活の静けさが迎える。


外套を掛け、水で手を清める。


今日一日の痕跡は、もう残っていない。


ルミエラは椅子に腰を下ろし、短く息を吐く。


疲労という感覚は薄い。ただ、“仕事が終わった”という認識だけがある。


それで十分だった。


灯りを落とし、寝台に横になる。


瞳を閉じる。


地下の声も、教会の祈りも、同じ距離で遠ざかる。


夜は静かに流れていく。


やがてまた、光が訪れる。


彼女は目を覚まし、癒すだろう。


今日と同じように。


何の違いもなく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ