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民明書房刊 役に立たないネコのコトワザ図鑑   作者: ロータスシード


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こたつネコ

炬燵猫こたつねこ

挿絵(By みてみん)

現代の日本家屋において、炬燵布団の内部深くに全身を沈め、熱気の中で表情一つ変えず、溶けるがごとく弛緩しきった状態で眠り続ける猫の姿——これを愛玩動物の気紛れと解する向きは、古代エジプト第四王朝期に確立された苛烈な肉体鍛錬法「熱篭陣ねつろうじん」の存在を、根本的に看過していると断言せざるを得ない。

時はファラオ・クフ王治世、紀元前二五六〇年頃。ギザ台地において史上最大の建造物たるクフ王の大ピラミッドの建設が開始された。後世の者が単純に想像するような奴隷労働ではない——建設を担ったのは、王直属の精鋭労働部隊「石積神兵せきせきしんぺい」であり、彼らに課せられた選抜試験の苛烈さは、いかなる武術の修行をも凌駕するものであった。

ギザ台地の灼熱は凄まじい。日中の砂漠地表温度は七十度を超え、通常の人間が石材を運搬できる時間は一刻(約三十分)にも満たない。この限界を突破すべく、建設総監・熱篭堅壁ねつろう けんぺきが考案したのが「熱篭陣」である。

訓練の方法は単純にして過酷を極めた。

志願者を、通気口を一切持たぬ分厚い獣皮製のテントに封入する。テント内部には炭火を置き、外気温をはるかに超える熱気を充満させる。志願者はこの中で一切の抵抗を放棄し、身体の力を完全に抜き、熱と一体化するよう命じられた。

重要なのはここである——熱に抗えば気が消耗し、体力は急激に失われる。しかし熱を己の内部に完全に受け入れ、気の循環を熱流に同期させた瞬間、人体は熱を消費するのではなく、熱から気を逆吸収する段階へと移行する。これを「熱同化ねつどうか」と呼んだ。

熱同化に達した者の外見は著しく特徴的であった。全身の筋肉が完全に弛緩し、骨格すら溶けたかのように姿勢が崩れ、表情から一切の緊張が消え——傍目にはただ溶けているとしか形容できない状態に陥る。しかしその内部では気の吸収と蓄積が最大効率で進行しており、この状態から立ち上がった者は、灼熱の台地において常人の十倍の持続力で石材を運搬することが可能となった。

クフ王の大ピラミッド、カフラー王のピラミッド、メンカウラー王のピラミッド——**ギザの三大ピラミッドは、熱篭陣によって熱同化を習得した石積神兵によってのみ建設が可能であった。**この事実なくして、あの建造物の存在を合理的に説明する手段は、現代科学においても未だ存在しない。

さて、ここで一つの問いが生じる。

いかにして、この秘伝がナイルの河畔から極東の島国へ、しかも猫という生物の本能へと転写されたのか。

答えは、エジプトにある。

古代エジプトにおいて猫は神聖なる存在であり、石積神兵の訓練場には常に数十匹の猫が自由に出入りしていた。彼らは日々、熱篭陣の訓練を至近距離で観察し続けた。テントの隙間から差し込む熱気に自らの身体を晒し、人間の「溶ける」技術を、本能の奥深くへと刻み込んでいったのである。

猫がいかなる熱源に対しても——炉端であれ、日向であれ、そして炬燵であれ——完全に弛緩し、溶け、熱と一体化するのは、紀元前二五六〇年のギザ台地における選抜訓練の記憶が、種を超えて継承された結果に他ならない。

炬燵猫とは、三千年の時を経てナイルから渡来した、熱同化の正統後継者である。


【図版説明】

熱篭陣 訓練テント断面図 ——熱流循環と気逆吸収の模式——

テント内部の熱流(実線)が志願者の身体輪郭に沿って循環し、気逆吸収点(黒点)において体内へと転換される過程を示す。なお本図の右下隅に、原典作成者と思しき人物が走り書きした小図が残存しているが、その形状が「炬燵布団の断面に猫が収まった上面図」と完全に一致していることについて、発見者たる著者は当初、砂漠の蜃気楼による錯覚を疑ったという。疑いはすぐに晴れた。

【参考図版】ギザ三大ピラミッド建設記録壁画(部分)

カフラー王墓副葬品中に発見された彩色壁画。石材を運搬する石積神兵の足元に、計七匹の猫が描かれている。うち三匹は明らかに「溶けた」姿勢を取っており、残る四匹は神兵の動作を凝視している。研究者が長年「装飾的モチーフ」と分類してきたこの壁画の真の意味が、本書によって初めて解明されたと言っても、過言ではあるまい。



『古代エジプト労働術と東洋気功の接続 ——熱同化技法の大陸横断的継承——』

著・熱篭ねつろう 砂眠斎さみんさい

民明書房刊 一九九三年

第十一章「石積神兵の熱篭陣と猫科動物における熱同化本能の発生論的考察」より抜粋

【追補】猫神格化の真因、および炬燵嗜好の武術的根拠について


本章の初版刊行後、読者諸賢より「エジプトにおける猫の神格化と熱篭陣の関係をさらに詳述せよ」との要望が相次いだ。著者はこれを学術的義務と受け止め、以下に補論を付す。


クフ王の治世より二世代を経た、メンカウラー王の晩年のことである。

石積神兵の熱篭陣訓練場に、一匹の雌猫が棲み着いた。神兵たちは彼女を「ネフェル・ミウ(美しき猫)」と呼んだ。ネフェル・ミウは訓練を観察するのみならず、自ら進んでテントの中に入り、炭火の傍らに身を横たえ、完全に溶けた姿勢で眠り続けた。

神兵たちは瞠目した。

人間が三年の鍛錬を経てようやく到達する熱同化の境地に、この猫は何の訓練もなく、生まれながらにして達していた。

総監・熱篭堅壁はただちにメンカウラー王に奏上した。

「猫とは、我らが命がけで習得せんとしている熱同化を、すでに本能として完全に体得した存在にございます。これは神の技を生まれながらに宿す、神の使いに他なりません」

王はこれを聞き、即座に勅令を発した。

「エジプト全土において、猫を神聖なる存在として崇め奉ること。これを傷つける者は死罪に処す」

これが、古代エジプトにおける猫神格化の真の起源である。後世の神官たちが「猫は豊穣の女神バステトの化身」と説明したのは、武術秘伝の漏洩を防ぐための方便であり、真の理由は熱同化の完全体得者への、武人としての純粋な畏敬であった。


では何故、猫はこの能力を本能として保有していたのか。

ここに、著者が十七年の研究の末に到達した結論を記す。

猫の祖先は、アフリカの砂漠に生きた。灼熱の砂上で生存するために、猫の種は数万年をかけて熱を敵とせず、熱と一体化するという方向へと進化した。熱に抗う肉体ではなく、熱を内部に取り込み、気の循環に組み込む肉体へと。

つまり猫は、熱篭堅壁が人為的に再発明する遥か以前から、進化という名の無意識の修行によって、熱同化を完成させていた。

石積神兵が三年かけて学んだことを、猫は数万年かけて遺伝子に刻んでいたのである。これを神と呼ばずして何と呼ぼう。


そして炬燵である。

現代日本の炬燵が、古代エジプトの熱篭テントと物理的に異なる点は、布団の有無と電気ヒーターの使用のみである。本質において両者は完全に同一の構造体だ——閉じた空間に熱源を持ち、内部に一定の熱気を充満させる。

猫の遺伝子に刻まれた数万年の記憶は、炬燵を見た瞬間に覚醒する。

「これは知っている」

言語を持たぬ猫の本能が、そう告げるのである。訓練場のテントと同じ熱の匂い、同じ閉塞感、同じ熱気の充満——猫は炬燵に入ることで、数万年前に完成させた熱同化の境地へと、一瞬にして回帰する。

だからこそ炬燵猫は、あれほど深く、あれほど完全に、溶けるのだ。

あの弛緩しきった表情は怠惰ではない。あの崩れた姿勢は行儀の悪さではない。それは数万年の進化と三千年の武術秘伝が交差する、最高位の熱同化完成の相貌である。

炬燵で溶けている猫を見て「かわいい」と感じる人間の直感は、あながち誤りではない。私たちは本能的に、その姿の中に到達不可能な境地を垣間見ているのかもしれない。



【補遺図版説明】

ネフェル・ミウ像(カイロ博物館蔵・部分)

メンカウラー王治世末期の作と推定される彩色木製猫像。後肢を折り畳み、前肢を前方に揃え、全身の力を完全に抜いた姿勢で造形されている。エジプト学者たちは長年これを「座す猫の定型表現」と分類してきたが、本書の読者には既に明らかであろう——この姿勢は「熱同化完成の相」そのものであり、現代語に訳せばただ一言、**「炬燵で溶けている」**に他ならない。像の台座裏に刻まれた象形文字の解読は現在も進行中であるが、著者の私見では「もう動きたくない」と書かれている可能性が極めて高い。




『古代エジプト労働術と東洋気功の接続 ——熱同化技法の大陸横断的継承——【増補改訂版】』

著・熱篭ねつろう 砂眠斎さみんさい

民明書房刊 一九九三年初版 一九九六年増補改訂

補章「猫神格化の武術的真因と、炬燵嗜好の遺伝的根拠に関する追補論考」より抜粋




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