起震打鯰
謀略奇計全書 補遺八十五巻
「鯰打造成篇 附・起震打鯰秘訣」
起震打鯰の計
『荀子』正論篇に次の一節があることは言うまでもない。
「天下之患、無不有其所由起。起而弗治、亂之源也」
――荀子 正論篇第十八
(天下の患いは、必ずその起こるところがある。起きてそれを治めなければ、乱の源となる)
荀子はここで民心の安定と統治の根本的な関係を示した。患いが起きた時、民は必ずその原因を求める——しかし荀子が論じ残した問題がある。「患いを治めよ」とは言うが、「いかにして治めることのできない患いに対して、民心を収める外形だけを与えるか」という問いへの答えが、正論篇において明示されていないのである。この欠落を補完し、「どうにもならない災厄に際して、スケープゴートを叩くことで民心に一応の収まりをもたらす術」として完成させたのが「起震打鯰の計」に他ならない。
起震打鯰の本義は明快である。地震は止められない。しかし鯰は叩ける——これが起震打鯰の核心に他ならない。民は怒りと恐怖を抱えた時、その感情の向かう先を必要とする。向かう先がなければ、怒りは権力へと向かう。しかし鯰という叩ける対象を与えれば、怒りは鯰へと向かい、権力は安泰を保つ。これが荀子の正論篇を二千年かけて完成させた結論である。
【第一段 ―― 「感情の転嫁」の確立】
起震打鯰の計を史上初めて意識的に体系化した人物として、後世の謀略家が異口同音に挙げるのは、漢代の宮廷に仕えた謀臣・打鯰子に他ならない。打鯰子が直面した問題は、大洪水という誰の責任でもない自然災害が引き起こした民の怒りであった。洪水は治められなかった。被害は甚大であった。民の怒りは皇帝と官僚機構へと向かい始めていた。打鯰子は洪水を止めることを断念した。代わりに「怒りの向かう先の設計」に専念した。
第一に「鯰の選定」――叩かれるべき鯰は、三つの条件を満たさねばならない。民が怒りをぶつけやすい存在であること。実際に多少の非があること。叩かれても権力の根幹を揺るがさない存在であること。第二に「叩く行為の演出」――権力が鯰を叩く様子を、民に明確に見せる。叩く行為の可視性が、民の怒りの解消において最も重要な要素である。第三に「収まりの確認」――鯰を叩いた後、民の怒りが一定程度収まったことを確認する。収まりは完全でなくて構わない。「一応の収まり」で十分である。
『打鯰秘伝録』(漢・打鯰子撰、推定)より――
「地震は叩けない。洪水は叩けない。しかし鯰は叩ける。民が叩けるものを叩いた時、叩けないものへの怒りは半ば収まる。鯰を与えよ。民は自ら叩く。これを起震打鯰と謂う。治められぬ災いに対して、治めた形を作ることが、統治の真髄に他ならない。」
「治められぬ災いに対して、治めた形を作る」——この外形の演出こそが起震打鯰の第一核心である。打鯰子はここに起震打鯰の謀略的原型を確立したのである。
【第二段 ―― 安政江戸地震と鯰絵への理論的昇華】
打鯰子の理論から千数百年を経た江戸時代、起震打鯰の理は日本において最も洗練された文化的形態をもって完成を見た。
安政江戸地震は安政二年十月二日(1855年11月11日)の夜に発生した内陸地震で、7,000人以上の死者が生じた。
7,000人以上の死者を出した未曾有の災害に対して、江戸の民はどう反応したか。
民衆は客観的事実よりも社会的事実、言い換えれば想像力を駆り立てるような情報を求めた。その要求に応えたのが鯰絵であった。
地震発生から約2ヶ月の期間に、地震鯰と鹿島大明神の俗説を題材として描かれた鯰絵が江戸市中に出回った。直後には地震の鎮静化を期待して、鹿島大明神が地震鯰を押さえ込んでいる鯰絵があるが、江戸市中で再建工事が始まると、一時的に復興景気が生じて、地震鯰は世直し鯰として描かれた。
幕府の出版許可を受けないまま発行された鯰絵には、タケミカヅチに全国のナマズが謝っている図、町人たちが一丸となってナマズをこらしめている図が描かれた。
民衆も地震神話が迷信であることを理解しており、鯰絵は被災者の不満解消および安心を得るための商品として時流に乗って爆発的に売れた。
ここに起震打鯰の核心がある。民衆は鯰が本当に地震を起こしたとは信じていなかった。しかしナマズを叩く絵を買い、ナマズをこらしめる場面を眺めることで、「叩けないものへの怒り」に一応の出口が与えられた。
鯰絵の多くは、震災により巨利を得た大工、左官や材木商などを風刺しており、よく当時の世相を表していた。
さらに鯰絵は進化した。地震というどうにもならない力への怒りは、震災で利益を得た者への怒りへと転化された。鯰は自然の象徴から、社会的矛盾のスケープゴートへと昇華したのである。打鯰子が「鯰を与えよ。民は自ら叩く」と喝破した通り、江戸の民は幕府が与えなくても、自ら鯰を見つけ、自ら叩いたのである。
『江戸災害民心論攷』(民明書房刊、昭和五十八年)はこれを評して次のように断じている。
「鯰絵が示したのは、起震打鯰の理の民間的自律的完成である。権力が鯰を与えたのではなく、民衆が自ら鯰を発見した。地震という叩けないものへの怒りが、鯰という叩けるものへと自然に転化した。民の想像力が、起震打鯰の理を自ら完成させたのである。」
【第三段 ―― 「鯰が絵から這い出す時」——起震打鯰の暗黒面】
起震打鯰の理において、最も重要かつ最も危険な分岐点がある。鯰が絵の中の象徴から、現実の人間へと這い出す瞬間に他ならない。
絵の中の鯰は叩いても血を流さない。しかし現実の鯰は血を流す。この一線を超えた時、起震打鯰の計は謀略を超えて、人類史の最も暗い章を生み出してきた。
中世ヨーロッパの魔女狩りにおいて、鯰は疫病・不作・社会不安という「地震」に対する魔女という「鯰」であった。治められない疫病への恐怖が、魔女という叩ける存在へと転化した。叩き返せない無力な者が選ばれた。これが起震打鯰の第一の暗黒実例である。
ユダヤ人排斥において、鯰は経済的困窮・社会的閉塞感という「地震」に対するユダヤ人という「鯰」であった。第一次大戦の敗北・インフレという誰も解決できない構造的問題への怒りが、ユダヤ人という叩ける存在へと転化した。最終的にホロコーストという、起震打鯰の理が生み出した最大の暗黒へと至ったのである。
関東大震災における朝鮮人虐殺(1923年)は、起震打鯰の理と注水起震の理が最悪の形で融合した事例として、後世の研究者が必ず言及しなければならない事案に他ならない。地震・火災・津波という「叩けない災い」が関東一円を壊滅させた時、「朝鮮人が井戸に毒を投げた」という流言が震災発生から数時間以内に広まった。この流言の構造は、注水起震の逆用——水が凶器として使われたという虚偽——を起震打鯰に結びつけた最も悪質な変形に他ならない。朝鮮人という「叩ける鯰」に流言という「起震の水」が注がれた瞬間、6,000人以上とも言われる人命が失われた。
この三事例に共通する構造は何か。
怒りの強度——災害・敗戦・飢饉など、怒りが極限まで蓄積していた
鯰の無力さ——叩き返せない存在が選ばれた
情報の欠如——混乱の中で流言飛語が広まった
権力の黙認または煽動——自然発生的な怒りに権力が乗っかるか、あるいは積極的に煽った
『起震打鯰暗黒史論攷』(民明書房刊、平成元年)はこの三事例を並置して次のように総括している。
「安政の鯰絵が虐殺にならなかった理由は三つある。鯰が実在しない象徴であったこと。江戸の情報網が比較的機能していたこと。幕府が実害のある暴力を抑制したこと。これらの条件が一つでも崩れた時、起震打鯰の計は謀略を超えて歴史の汚点となる。魔女狩りも、ユダヤ排斥も、関東大震災の虐殺も、全て同一の構造から生まれた。地震は同じ。鯰が絵から這い出たかどうかだけが、違った。」
【第四段 ―― 現代における起震打鯰の完成と警戒】
起震打鯰の理が、現代においていかに機能しているか、そしてその暗黒面をいかに警戒すべきかを示すことが肝要であろう。
現代における起震打鯰の最も精確な実例として識者が必ず挙げるのが、経済危機における金融機関・富裕層へのスケープゴート化の問題である。リーマンショック・コロナ禍・インフレーションという、誰も完全には責任を取れない構造的な経済危機が発生した時、民の怒りは必ずスケープゴートを求める。金融機関の経営者・大企業の内部留保・富裕層の税逃れ——これらが「鯰」として提示された瞬間、叩けない経済の構造への怒りは、叩ける鯰へと転化する。経済の本質的な問題は解決されていない。しかし民心には、一応の出口が与えられる。
SNSの炎上という現代の鯰絵もまた、打鯰子が漢代に設計した構造の現代的再実装である。誰もが感じながら解決できない社会的閉塞感・格差・不満が蓄積した時、一人の「鯰」への集中的な批判と炎上は、安政の民が鯰絵を買い求めた行為と構造において全く同一である。しかしここに現代における最大の警戒が必要な理由がある——SNSという情報環境は、鯰絵を瞬時に現実の人間へと結びつける力を持つ。絵の中の鯰が現実の人間へと這い出す速度が、かつてとは比較にならないほど速くなっているのである。
『現代民心操作論攷』(民明書房刊、令和五年)はこの構造を次のように総括して警告している。
「現代において起震打鯰の理が最も危険な形で機能する条件は、江戸時代よりも整いやすい。SNSは流言を光速で広め、アルゴリズムは怒りを増幅させ、匿名性は叩く者の躊躇を消す。安政の鯰絵は2ヶ月かけて広まった。現代の鯰絵は2時間で広まる。鯰が絵から這い出す速度もまた、かつての比ではない。民主主義・法の支配・メディアリテラシーとは、起震打鯰の暗黒面に対する、現代社会の唯一の防壁に他ならない。」
荀子が「患いが起きてそれを治めなければ乱の源となる」と喝破してより二千五百年、起震打鯰の本義は漢代の洪水対策から安政江戸地震の鯰絵へ、中世の魔女狩りから関東大震災の虐殺へ、そして現代のSNS炎上へと形を変えながら、治められぬ災いに対して叩ける鯰を提供することで民心を安定させる——あるいは最悪の場合、無辜の者を血祭りに上げる——最も古く最も普遍的な謀略として機能し続けている。
地震を止めようとするな。ただ、鯰を探せ——しかし、探す前に問え。その鯰は絵の中に留まるか。それとも這い出すか、と。
「地震は叩けない。洪水は叩けない。しかし鯰は叩ける。民が叩けるものを叩いた時、叩けないものへの怒りは半ば収まる。治められぬ災いに対して、治めた形を作ることが統治の真髄なり。されど鯰が絵から這い出す時、統治は暴虐となる。」
――『打鯰秘伝録』漢・打鯰子撰
地震を止めようとするな。ただ、鯰を探せ。しかし——その鯰が絵の中に留まるかどうかを、必ず確かめよ。
『謀略奇計全書 補遺八十五巻 鯰打造成篇』
著:打鯰斎起震子 監修:古代謀略学研究所




