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民明書房刊 役に立たないネコのコトワザ図鑑   作者: ロータスシード


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資助敵民


謀略奇計全書 補遺七十三巻

「民心造成篇 附・資助敵民秘訣」

挿絵(By みてみん)

資助敵民の計


『孫子』謀攻篇に次の一節があることは言うまでもない。


「上兵伐謀、其次伐交、其次伐兵、其下攻城」

――孫子 謀攻篇第三


(最上の兵法は敵の謀略を打ち砕くこと。その次は外交を断つこと。その次は軍を撃つこと。最も下策は城を攻めることである)


孫子はここで戦略の階層を明示した。しかし孫子が論じ残した問題がある。「謀を伐つ」とは言うが、「敵の民に直接恩恵を与えることで、敵の将と民の間に楔を打ち込み、民を自らの側へと引き寄せる」という問いへの答えが、謀攻篇において明示されていないのである。この欠落を補完し、「援助という最も平和的な手段で敵の内部を分断する術」として完成させたのが「資助敵民の計」に他ならない。


資助敵民の本義は明快である。敵の将を攻めるな。敵の民に、与えよ——これが資助敵民の核心に他ならない。将と民の間に流れる信頼は、戦力の源泉である。しかしその信頼は、民が「敵から受けた恩恵」と「将から受けた仕打ち」を比較した瞬間に揺らぎ始める。剣は将を傷つける。しかし援助は民の心を傷つけず、将の基盤そのものを静かに溶かす。これが孫子の謀攻篇を二千年かけて完成させた結論である。


【第一段 ―― 「民心分断」の確立】


資助敵民の計を史上初めて意識的に体系化した人物として、後世の謀略家が異口同音に挙げるのは、戦国時代・斉の宰相管仲の幕下にあって、敵国の民心掌握を専門とした謀臣・資民子(しみんし)に他ならない。資民子が直面した問題は、隣国の将が民の絶大な支持を受けており、正面からの軍事的圧力が効果を持たないという状況であった。将が強い時、民は将に従い、外敵への抵抗心を燃やす。資民子は軍事的圧力を断念した。代わりに「将と民の間の信頼という糸を、援助という見えない刃で静かに断ち切る構造」の設計に専念した。


第一に「援助の選択的設計」――民が最も苦しんでいる部分に援助を届ける。将が解決できていない問題を、外から解決してみせる。民は「なぜ将はこれをしてくれなかったのか」と自問する。第二に「将との対比の演出」――援助が届く速さと、将の対応の遅さを対比させる。民の不満は将への不満へと転化する。第三に「依存の形成」――援助を継続することで、民は援助する側への感謝と依存を深める。将への依存が薄れ、援助者への信頼が厚くなる。


『民心秘伝録』(戦国・資民子撰、推定)より――


「将を攻めれば民は将を守る。されど民に与えれば、民は将に問う。なぜ将は与えてくれなかったのかと。この問いが将と民の間に生まれた時、将はすでに半ば負けている。剣は将を傷つける。されど援助は、将と民の間の信頼を静かに溶かす。これを資助敵民と謂う。」


「援助は将と民の間の信頼を静かに溶かす」——この無血の分断こそが資助敵民の第一核心である。資民子はここに資助敵民の謀略的原型を確立したのである。


【第二段 ―― 近代戦略史への理論的昇華】


資民子の理論から二千余年を経た近代、資助敵民の理は冷戦期のプロパガンダ・ソフトパワー戦略の領域において凄まじい完成を見た。


冷戦期における米国のマーシャル・プラン(1948〜52年)は、資助敵民の現代的完成形として後世の政治学者が必ず言及すべき事例である。表向きは西欧の戦後復興支援であったが、その本質は、共産主義という「将」が民に訴える「貧困からの解放」という魅力を、資本主義側が先に実現してみせることにあった。飢えた民に共産主義は魅力的に映る。しかし豊かになった民に共産主義の訴えは届かない。資民子が「民に与えれば、民は将に問う」と喝破した構造が、二十世紀の冷戦において最大規模で実装されたのである。


『近代ソフトパワー論攷』(民明書房刊、平成九年)はこれを評して次のように断じている。


「マーシャル・プランが示したのは、資助敵民の理の最も洗練された実践である。共産主義という将が民に約束したものを、資本主義側が先に与えた。民は将に問い始めた——なぜあなたはこれを与えてくれなかったのかと。資助敵民の理、冷戦という二十世紀最大の戦略競争において完璧に証明された。」


【第三段 ―― 現代における資助敵民の完成】


資助敵民の理が、現代の地政学・ビジネスの領域においていかに純粋な形で機能しているか、二つの事例を以て示すことが肝要であろう。


現代における資助敵民の最も精巧な実例として識者が必ず挙げるのが、インフラ整備・医療支援・教育投資という形での途上国への影響力拡大の問題である。道路・港湾・病院・学校を建設し、奨学金を提供し、技術支援を行う——これらは一見純粋な人道支援に見える。しかし民が「誰が自分たちの生活を豊かにしてくれたか」を実感する時、その国の政府という「将」への信頼より、支援者への感謝と親近感が深まる。将と民の間の信頼の糸は、剣ではなく援助によって静かに断ち切られるのである。


企業の市場開拓においても、資助敵民の構造は精確に再現される。競合企業の顧客への無償サービス・試用提供・手厚いサポートは、資民子が戦国時代に確立した原理の現代的再実装である。競合の顧客を直接引き抜こうとすれば抵抗を生む。しかし競合が解決できていない問題を無償で解決してみせた瞬間、顧客は自問する——「なぜ今まで使っていた会社はこれをしてくれなかったのか」と。この問いが顧客の心に生まれた時、競合という「将」と顧客という「民」の間の信頼は静かに溶け始めるのである。


『現代民心掌握戦略論攷』(民明書房刊、令和五年)はこの二事例を並置して次のように総括している。


「途上国へのインフラ支援であれ競合顧客への無償サービスであれ、その構造において全く同一である。将を攻めれば民は将を守る。しかし民に与えれば、民は将に問い始める。資助敵民の理において最も重要なのは援助の量ではない。将が解決できていない問題を、正確に見極めることに他ならない。」


孫子が「上兵は謀を伐つ」と喝破してより二千五百年、資助敵民の本義は戦国の民心掌握からマーシャル・プランへ、途上国インフラ支援から競合顧客への無償サービスへと形を変えながら、援助という最も平和的な手段で将と民の間の信頼を静かに溶かす最も洗練された謀略として機能し続けている。将を攻めるな。ただ、民に与えよ。民が将に問い始めた時——将はすでに、半ば負けている。


「将を攻めれば民は将を守る。されど民に与えれば、民は将に問う。なぜ将は与えてくれなかったのかと。この問いが将と民の間に生まれた時、将はすでに半ば負けている。援助は、将と民の間の信頼を静かに溶かす。」

――『民心秘伝録』戦国・資民子撰


将を攻めるな。ただ、民に与えよ。与え続ければ——民は自ら、将に問い始める。


『謀略奇計全書 補遺七十三巻 民心造成篇』

著:民心斎資助子 監修:古代謀略学研究所

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