スキルなしと捨てられましたが、自由を手に入れました。
割れた手鏡を持つ指先が、かすかに震えた。
映っているのは、痩せた頬。
目の下には、うっすらと影を落とすクマ。
「……これが、私……?」
十七歳の顔にしては、あまりにも疲れが沈殿している。
「……若い……!! 若すぎる!?」
思わず声が裏返った。
吉田美奈子、六十五歳。
転生により――若さを手に入れた!
――数時間前。
「スキル持ちが富を得る、か。くだらんな」
冷えた声で、ブラウン子爵が言い放つ。
「発現判定があると聞いて、
孤児院に高い金を払い、わざわざ引き取ったというのに……お前ときたら」
私の手首を、値踏みするように掴む。
「役立たずのスキルなんて不要だ。
結婚を続ける価値もない」
「そ、そんな……旦那様……!」
「書け」
突き出されたのは、離縁状だった。
無理矢理書かされた署名。
そして――
雪の中へ、放り出された。
帰る場所はない。
金もない。
頼る相手も、もういない。
白い息を吐き、泣きながら私は歩いた。
足がもつれて、転ぶ。
ああ――
すべて、終わった。
……はずだった。
「……神よ、ありがとう!!」
私は雪の中で、天を仰いだ。
「それから――捨ててくれてありがとう、元・夫!
二度と結婚したくなかったのよ!!!」
前世の夫は、親の介護をすべて押しつけ、
自分は自由気まま。
私は耐え、我慢し、働き続け――死んだ。
「この体……何もないと思ったけど……」
違う。
若さは、最高の資産だ!
気づけば、私はスキップしていた。
雪解けの道を、軽やかに。
「もう二度と、自分を犠牲にしないわ!」
今世は――
自分のために生きる!
「ここで、働かせてください!」
雪の中、屋敷を回り、頭を下げた。
断られても、笑顔を崩さなかった。
「働きたいんです!」
「……大旦那のお世話だが」
執事が、ためらうように言う。
「やります」
即答した。
こうして私は、年老いた貴族――
エルンスト伯爵の介護を任された。
「手際が悪い」
「水がぬるい」
「話し声が気に入らん」
文句はいくらでも飛んできた。
でも――
(義理の両親に比べたら、可愛いものよ!)
だってこれは、自分の金のためだもの。
前世では義理の親のために、
半ば強制的に介護の資格まで取らされた。
まさか、ここで役に立つなんて。
笑顔で対応し、丁寧に世話を続ける。
夜半、慌ただしい足音で目が覚めた。
「……大旦那さまが」
部屋に入ると、
伯爵は胸を押さえ、
咳き込んでいた。
「大丈夫です。今、楽になりますから」
上体を少し起こし、呼吸が通る角度を整える。
「……ゆっくり、息を吐いてください」
伯爵の荒い息が整う。
しばらくして、
伯爵はぽつりと言った。
「……助かった」
その一言に、胸の奥が熱くなる。
前世では、決して聞けなかった感謝の言葉。
「お役に立てて、何よりです」
返事はない。
けど、伯爵の口元が、少し緩んだ気がした。
「祖父が笑った……」
「大旦那さま、あなたの時だけ顔がやわらかいもの」
「私たち、何をしていいか分からなくて……助かってるの」
(し、幸せ……やりがいしか感じない!)
屋敷に住み込み、
稼いだ金は、すべて自分のもの。
「今日もお疲れさま」
「手、荒れてない?」
使用人たちと他愛ない会話。
(私、社会人してる! 人と話してる!!)
「休み? 一緒に街行かないか」
休日は、笑いながら外へ出た。
(自由な外出、最高!)
「このお菓子、美味しそう」
「この布、触り心地いいわね」
誰に遠慮することもなく、
好きなものを選んだ。
(自分のための買い物だなんて……何十年ぶり?)
何もない日は自室でぐーたらする。
窓の外の雪を眺めながら、毛布にくるまって伸びをした。
「ああ……神様って、本当にいるのね……」
ナッツを頬張りながら、そう呟いた。
ある日、若い使用人に呼び止められた。
「教えてください……!
大旦那さまのお世話、どうしたら嫌がられないんですか?」
「やることを一個に絞るの。
一気にやると、疲れるし怖がるから」
湯の温度、寝具の当て方、声のかけ方。
順番に説明すると、いつの間にか人が集まっていた。
(介護の考え方自体、まだ浸透してないのね)
「それ、私も聞きたい!」
「夜の咳が止まらない時は?」
「食が細い時は?」
「枕の角度を変えて……」「食事は一口サイズに……」
気づけば、廊下に小さな勉強会ができていた。
「……これ、定期的に開いてもらえませんか?」
執事が、珍しく頭を下げる。
「あなたの知識は、この屋敷だけで終わらせるには惜しい」
集会は評判になり、近隣の屋敷からも人が来た。
終わるころには、皆の顔つきが変わっていた。
「怖くなくなりました」
「明日から、ちゃんとできそうです」
その言葉が嬉しくて、私はつい笑ってしまった。
(まさか、生活の一部を教える日が来るなんて)
しばらくして、執事が言った。
「――商会にしませんか」
「……商会?」
「あなたの知識を仕事にしてみるのは」
不安は、もちろんあった。
でも――
「はい……!」
(今しかできない。
後悔したくないもの!)
そして、数年後――
私は介護の商会を立ち上げた。
夜会の灯りの下。
「……その女性は?」
ブラウン子爵が、声を震わせて問う。
「妻です」
そう答えたのは、隣に立つ男性だった。
「祖父の屋敷で働いてもらっていてね。
仕事ぶりに惚れたんです」
彼は穏やかに笑う。
「結婚はもうしない、と言われましたが……
それでも諦めきれなかった」
私は、にこりと微笑んだ。
隣にいるのは、
かつて私が介護していた老貴族の孫――
カイルだった。
「領地経営も手伝ってくれて……彼女には頭が上がりません」
「あら、あなたのおかげで、商会を立ち上げられたのよ?」
夫と目が合い、自然に微笑み合う。
「スキル?」
子爵がかすれた声で尋ねるので、私は肩をすくめた。
「手の保湿力を高めるだけのものです。
社員には大好評ですけど」
私の手を包み込むようにして、夫が言った。
「スキルって、幸せを運んでくれるのですね」
しっとり、すべすべの手を絡められ――
私たちは、その場を後にした。
「……知り合いか?」
「さあ? そろそろお祖父様、お薬の時間ね」
背後から視線を感じたが、
私は気にも留めなかった。
だって――
今の私は、
もう、誰にも縛られない。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
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