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アメリカ合衆王国(The United Kingdoms of America)  作者: カトーSOS


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第2章-3 メディア君主制:大衆が創る「王」の構造

※本稿は思想実験としての風刺的随筆です。

実在の人物・制度への支持や否定を目的とするものではありません。

ただ、もしアメリカに王がいたら――という想像を楽しんでいただければ幸いです。


「報道は民主主義の柱である」――アメリカでは、そう教えられてきた。

しかし、21世紀の報道はもはや“柱”ではない。

それは祭壇であり、国民が新たな王を即位させるための装置である。

メディアが王冠を作る

かつて王の権威は血統と神話に支えられていた。

現代の王は、そのどちらも持たない。

代わりに、露出と物語によって神話化される。

この構造こそ、メディア君主制の本質である。

ヘンリー王子夫妻がアメリカ社会で巨大な注目を浴びたのは、

彼らが「王族」というよりも、「完璧なストーリー」を持っていたからだ。

恋、葛藤、脱出、再生――。

それはまるでハリウッド映画の脚本であり、

メディアはその物語を王位継承の儀式のように演出した。

視聴者は記事を読むことで“戴冠式に立ち会う”感覚を得たのである。

ニュースが“情報”から“物語”へと変質するとき、

報道は宗教的役割を取り戻す。

人々は事実よりも「語られるべき物語」を信じ、

真実よりも「共感できる象徴」に膝を折る。

アメリカはこの段階に、完全に到達している。

王を創るのは人民

かつてヨーロッパでは、王が人民を祝福した。

しかし現代アメリカでは、人民が王を選び、王を作り、王を祝福する。

これは政治ではなく、感情の民主主義である。

ソーシャルメディアが「いいね」を冠として与え、

炎上が「失脚」を告げる。

アルゴリズムが国民投票を代行し、

クリックが権威を授ける。

ここにおいて、王権は完全に可視化された感情経済へと変貌した。

この構造のもとでは、もはや王の資格は問われない。

血統も、功績も、思想も不要である。

必要なのは、共感される物語と、許される弱さ。

アメリカの新しい王は、強者ではなく“語られる者”であり、

王冠は金ではなく、ストーリーによって鋳造される。

王の再生とメディアの病

メディア君主制の問題は、王を創る力と、王を壊す快楽が同居していることにある。

創造と破壊のサイクルが速すぎるため、

象徴が定着する前に消費されてしまう。

ゆえに、アメリカは“永続する王”を持たない。

すべての王が一時的であり、すべての信仰が短命である。

ヘンリー王子夫妻の人気も、やがて別の王に移るだろう。

だが重要なのは、人々が王を欲し続ける限り、メディアは次の王を作り続けるということだ。

それは中世の王権が宗教に依存したように、

現代の王権が情報経済に依存していることを意味する。

メディア君主制とは――

国家の象徴を失った社会が、自らの虚無を癒すために生み出した感情の王政である。

そしてその構造の上に立つ王たちは、

常に民衆の祝福と破壊のはざまで揺れ続ける。


最後までお読みいただきありがとうございます。

ご感想・レビュー・ブックマークが次回執筆の励みになります。

次章では「象徴の逆輸入とアメリカの精神的王政」をテーマに、さらに深く掘り下げていきます。


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