第2章-2 ヘンリー王子現象:反王制の地に現れた王族の幻影
※本稿は思想実験としての風刺的随筆です。
実在の人物・制度への支持や否定を目的とするものではありません。
ただ、もしアメリカに王がいたら――という想像を楽しんでいただければ幸いです。
ヘンリー王子夫妻の渡米は、単なる移住ではなかった。
それは、王を拒絶した国に王が再び降り立つという象徴的事件である。
彼らは、英国王室という「血統の呪縛」から解放された存在として、
アメリカ社会に“新しい自由人”の姿を提示した。
メディアは彼らを「独立した王族」と呼び、
大衆はその矛盾――“王であることをやめた王”――に強く惹かれた。
この現象そのものが、アメリカが無意識に抱える王制願望を暴露していたのである。
王の物語を輸入した国
アメリカは、独立戦争によって「王の物語」を放棄した。
だが人間は、物語なしに生きられない。
その空白を埋めたのが、ハリウッドのドラマやスーパーヒーロー神話だった。
アメリカの“物語文化”とは、神の代わりにヒーローを創る行為であり、
同時に、王の代わりに「物語上の王族」を求める心理の発露である。
ヘンリー王子夫妻の登場は、その欲望の最終形だった。
彼らは、フィクションの王ではなく、実在するロイヤル・ブラッドを持っていた。
しかもその血統を拒み、自由を選んだ――この構図が、アメリカ的理想と完全に一致した。
それは「王が民主主義を肯定した」瞬間であり、
同時に「民主主義が王を再び求めた」瞬間でもあった。
自由の象徴としての王
アメリカでは、自由は神聖視される。
しかし、自由そのものは抽象的で、形を持たない。
だからこそ、自由を“体現する存在”が求められる。
キング牧師が「夢」を語り、ケネディが「希望」を象徴したように、
ヘンリー王子夫妻は「自由そのものの物語」を演じた。
王でありながら、王を捨てる。
その逆説的行為は、自由という宗教における洗礼だった。
だがこの“自由の演劇”は、やがてアメリカの根本的矛盾を照らし出す。
王を持たない国家が、なぜ王の物語を必要とするのか。
自由を信奉する社会が、なぜ象徴に依存するのか。
答えは明快だ。
アメリカは「理念の国」であると同時に、「イメージの国」だからである。
理念はイメージによって維持され、
イメージは信仰によって支えられる。
そしてその信仰を一身に引き受ける存在こそ――王である。
ヘンリー王子夫妻は、イギリス王室を離れてアメリカへ渡ったとき、
無自覚のうちに「象徴としての王」の座に再び就いた。
それは王冠を戴かぬ戴冠式であり、
王国を持たぬ王政の誕生だった。
こうして、アメリカは再び“王を迎えた”。
ただしその王は、血統の外からではなく、自由の内側から生まれた王である。
それこそが、現代アメリカの最も精緻なアイロニー――
民主主義が、自らの理念を証明するために“王”を必要とするという逆説なのだ。
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次章では「メディア君主制:大衆が創る「王」の構造」をテーマに、さらに深く掘り下げていきます。




