第2章-1 “ロイヤル”の再定義:セレブ文化が生んだ擬似王制
※本稿は思想実験としての風刺的随筆です。
実在の人物・制度への支持や否定を目的とするものではありません。
ただ、もしアメリカに王がいたら――という想像を楽しんでいただければ幸いです。
アメリカが建国以来、最も巧みに輸入し、最も巧妙に変質させたヨーロッパ文化――
それが「王室」である。
もとよりアメリカには、王も貴族も存在しない。
その代わり、セレブリティ(名声者)という新しい階級を生み出した。
それは血統ではなく、注目によって成立する支配構造であり、
貴族社会が世襲によって再生されたように、現代アメリカはメディアによって王制を再現したのである。
たとえば、ハリウッドスターは「映画という宮殿」に住む貴族であり、
大統領一家は「民主主義の仮面を被った王族」として扱われる。
ファーストレディのファッションが話題になるとき、
それは単なる衣装ではなく、“王妃の儀礼”としての注目を集めている。
アメリカ人は王を持たない代わりに、王の代替を日常的に演出しているのだ。
この擬似王制の中で、「ロイヤル(royal)」という言葉は再定義された。
それはもはや王室の称号ではなく、“完全無欠に輝く存在”への称号である。
スーパースター、億万長者、成功者――彼らは皆、ロイヤルである。
だが、それは制度的な権威ではなく、視聴率とフォロワー数に裏づけられた即時的王権にすぎない。
アメリカでは“選挙”と“トレンド”が同義化した。
大衆が押す「いいね」の数が、王冠を意味する社会になったのである。
この構造を“民主主義的君主制”と呼ぶこともできる。
それは理念としての自由を維持しながら、感情としての王を再構築する装置である。
王を否定した理性と、王を渇望する感情が、同一空間で共存している。
アメリカのメディア文化は、まさにその矛盾の上に成立した“宗教”である。
この意味で、ハリウッドやポップカルチャーのスターたちは、
単なる芸能人ではなく、神話的存在の継承者である。
彼らは王の代わりに祝福され、スキャンダルによって断罪される。
その“告解”と“赦し”のサイクルは、かつて教会が担っていた社会的儀礼を再演している。
ゆえに、アメリカのセレブ文化とは、
「民主主義が作り出した最も洗練された王制」であり、
「神の代わりに群衆が王を創る宗教」でもある。
その信仰の延長線上に、やがて“本物の王族”がアメリカ社会に登場したとき、
人々がそれを抵抗なく受け入れたのは、必然だったのである。
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次章では「ヘンリー王子現象:反王制の地に現れた王族の幻影」をテーマに、さらに深く掘り下げていきます。




