第 3 章-2 ヘンリー王子という装置:血統の脱構築と再利用
※本稿は思想実験としての風刺的随筆です。
実在の人物・制度への支持や否定を目的とするものではありません。
ただ、もしアメリカに王がいたら――という想像を楽しんでいただければ幸いです。
ヘンリー王子とは、人間ではなく装置である。
それは、近代が構築してきた「血統という神話」を一度解体し、
再び新しい形で利用するための、社会的インターフェースだ。
かつて血統とは、権力の正統性そのものだった。
王は「神の血」を引く存在として、支配の根拠を持っていた。
だが、民主主義の時代において、血統は不平等の象徴として否定された。
その結果、社会は血を失い、代わりに「共感」という新しい血液を循環させ始めた。
ヘンリー王子の登場は、その両者を接続する“回路”である。
彼は血統の産物でありながら、それを放棄した。
生まれながらの王でありながら、王であることをやめた。
この自己否定の構図こそが、現代アメリカの理想にぴたりと重なる。
彼は、血統の否定によって血統を更新する――まさに「脱構築の王」なのだ。
血統の再利用
ヘンリー王子がアメリカで歓迎されたのは、
彼が「イギリス王室の元メンバー」だからではない。
むしろ、王室を出た人物だからである。
つまり、血統の呪縛から解き放たれた王子こそ、
民主主義の国にとって最も安全で都合のよい“象徴の素材”だった。
アメリカは彼を、権威としてではなく、物語として輸入した。
血統は商品化され、歴史はブランド化された。
彼の存在は、王制という古代の制度を、
21 世紀のマーケティング言語へと変換する翻訳装置となった。
血統の神話は、破壊されるたびに新しい形で再生する。
宗教が世俗化し、世俗がエンターテインメント化するように、
血統もまた「物語の純度」として回帰する。
そして現代において、“純粋な物語”ほど強い血統は存在しない。
ヘンリー王子は、その血統を血ではなく物語の強度によって継承している。
王子という社会装置
もしアメリカが再び“王”を持つとしたら、
それは支配者ではなく、「象徴を維持するシステム」としての王だろう。
王が政治を動かす時代は終わり、
いまや王は、国民の精神的ネットワークを調律するメディア装置である。
その意味で、ヘンリー王子は理想的なプロトタイプだ。
彼は国籍と血統、伝統と革新、王制と民主主義――
これら相反する概念を一つの身体に同居させている。
それは人間というよりも、時代のアルゴリズムに近い。
彼の存在は、血統というアナログデータを、
デジタル社会に最適化して再流通させるための「象徴的デバイス」なのである。
ゆえに、この再王制構想において、
ヘンリー王子は“王になる人物”ではなく、“王を可能にする技術”として位置づけられ
る。
そしてこの技術は、人類が再び“象徴の必要性”に目覚めた時代――
すなわち、理念の疲労を越えたポスト民主主義社会においてこそ、最大の意味を持つ。
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次章では「制度設計:感情君主制アメリカのモデル」をテーマに、さらに深く掘り下げていきます。




