(第20話)セドリック殿下の覚醒とこれからの人生~スカイ王国~
『聖女シエナはそもそもクラウド王国民であり五年前にスカイ王国に誘拐されていた』
クラウド王国が世界中に公表したその事実は、僕が今まで信じていたものすべてを壊すほどの衝撃だった。
「いくらなんでも事実ではないですよね!? 父上! シエナをクラウド王国から拉致して五年近くも監禁していただなんて!! そんな……そんな非道なこと……スカイ王国がするはずが……」
「セドリック煩いぞ! 今は今後の対応を話しているのだ! それにしてもたかが十歳の小娘がまさか真実に気づいておったとは……。アランなんぞに対応を任せるのではなかったわ!」
……認めているじゃないか。父上は知っていたんじゃないか。
そんなまさか。シエナが、スカイ王国民ではなかったなんて。
疑うこともなく信じていた、僕の信念の前提がすべて覆った。
シエナがスカイ王国のために祈ることは当然だ、なぜならシエナはスカイ王国民なのだから。
シエナは僕の婚約者になれて嬉しいに決まっている、なぜならスカイ王国の王妃になれるのだから。
何の奇跡も起こせないシエナには価値がない、なぜならシエナは祖国であるスカイ王国の役に立てないのだから。
ははは。なんだそれは。全然違うじゃないか。
そもそもの前提が、全然違うじゃないか。
シエナはスカイ王国民ではなかったんだ。
スカイ王国に母親を殺されて無理やり連れてこられたクラウド王国民だったんだ。
シエナは、ただの純然たる被害者だったんだ。
それなのに僕は何をした?
腹を空かせたシエナを怒鳴りつけ、『自分が生まれたのはラナー村』だと主張した時には『頭が悪い』と罵った。
王宮でどんな扱いをされていたのか見て見ぬふりをして、その存在を無視した。
僕は、シエナに、被害者であるシエナに、なんてことを……。
挙句の果てに『偽聖女』だと断罪して、国外追放した。
……いいや、きっとそれだけは正しい判断だったんだろう。
帝国でのパーティーでのシエナの溌溂とした顔を思い出す。
僕がシエナにしたことで唯一正しかったことは、偽聖女だとクラウド王国に追放したことだけだったんだろう。
きっとそれは、シエナがずっと待ち望んでいたことだったから。
たったひとつだけでもシエナにとって正しい判断をしていたという事実に安心した。
「セドリック! お前がよりにもよってクラウド王国に聖女を追放したからだぞ! どう責任をとるつもりだ!」
まるで言いがかりのような怒りを僕にぶつける父親に、以前までの畏怖の念は感じなかった。
「シエナをクラウド王国に追放することは、事前に国王にも許可をとっています。シエナの祖国がクラウド王国だと知っていたのに許可をしたのはなぜですか?」
「くっ。それは……」
「まさか忘れていたんですか? シエナがもともとクラウド王国民だったことも、拉致したこともすっかり忘れていたわけではないですよね?」
「セドリック! 口を慎め! もういい! 今回の件も含めた罪でアランを公開処刑する! 王家は何も知らなかったで通すしかないだろう!」
馬鹿か。そんなことで収まるはずがないだろう。
「国王陛下もアランと一緒に死んでください」
「セドリック……? 自分が何を言っているのか、分かってるのか!」
「聖女を拉致して虐げていたのですよ? 王家の影を一人処刑して済むと本当に思いますか? 当時十歳だった僕に責任を擦り付けることだって不可能だ。責任をとれるのは国王しかいないでしょう」
「ふざけるなっ!! そんなこと認められるわけはないだろう!!」
「公爵はどう思いますか?」
アイリスの父親を見つめると、彼は悔しそうに唇を噛みしめながらも答えた。
「……セドリック殿下に……賛同します……」
この会議の前に、公爵には通告していた。
アイリスから僕への差し入れのハーブティーから検出された違法な成分について、場合によっては不問にしても良いと。
他の重鎮達についても、出来る限りの対処をした。
そもそも帝国との直通ルートを開通させたクラウド王国は、もはや格下の国なんかではないのだ。
そんな国を相手におざなりな対応ではすませられるはずがないことは、さすがに国王以外は皆気づいていた。
国王を処刑してクラウド王国に誠意を見せることで可決した。
「セドリック!!! お前は、王位を手に入れるために、親を殺すのか!!!」
「これから没落していくであろうスカイ王国の国王になること、それが僕への罰です」
まさか父親を殺す判断をするだなんて、数日前ですら僕には考えられなかった。
だけど、スカイ王国の国王である自分の父親が、他国の聖女を拉致していた。
そしてそれに比べれば些末なことかもしれないが、信じていた婚約者は僕に思考を鈍らせる違法薬物を盛っていた。
その事実は、僕の今までの考え方や価値観・信念そのすべてを覆すほどの衝撃だった。
その衝撃が、僕を覚醒させた。
僕は、自分の犯した罪にやっと向き合った。
たとえ拉致された被害者であると知らなかったとはいえ、僕はシエナに一体何をした?
何度考えても行きつくのはやっぱりそこで。
『聖女だとか、聖女でないとか関係なく、一人の人間の尊厳を傷つけたことを謝罪すべきだ! です!』
あの帝国でのパーティーで、真剣な顔をして僕に向かうむさくるしい男の言葉を思い出した。
あの時、僕は彼に何も答えられなかった。
たとえシエナがスカイ王国民だったとしても、偽聖女だったとしても、温かくて柔らかい食事さえさせず痩せ細らせて、髪すら切らず、温かい湯船に浸ることも許さず、フカフカのベッドの用意さえしなかった。
改めて突き付けられたその非道な事実に、自分が見て見ぬふりをしてきたそのあまりの事実に、言葉を失ったからだ。
だけどそれでも僕は心の底で思っていた。
自分勝手にも思っていた。
それでもやはりスカイ王国民なのに、圧倒的な力を隠してスカイ王国のために祈りを捧げなかったシエナが悪いと。
その前提が、僕を支えていた。
だけどそれさえも違った。
シエナはスカイ王国に拉致されたんだ。そして本人もそれを知っていた。
そんな国の為に祈るはずがないじゃないか。
そんな国の王妃になりたいはずがないじゃないか。
……僕の罪は、知らなかったとはいえ被害者であるシエナの言葉を聞くこともなく無価値だと切り捨てたこと。
いや、知っていたかどうかは関係ない。
きっと、あのむさくるしい男が言っていたように、スカイ王国民だとか聖女だとかに関係なくシエナという個人の尊厳を傷つけたことなんだろう。
いくら王族にだって、いや王族だからこそ、平民だからといって個人の尊厳を傷つけることなんて許されないのだ。
気づくのが遅すぎた。
……僕の過去は決して消えないし、帝国でのパーティーとアイリスの『真実の愛』の詩でその愚行は世界中に知られている。
シエナの拉致に関わっていないことは僕の当時の年齢もありきっと証明出来るが、聖女を虐げて国外追放した僕が卑劣で愚鈍であるという評価が覆ることはないだろう。
更には格下だと見下していいように扱ってきたクラウド王国からの収益もなくなり、帝国や他国からの絹織物などの取引も停止されているこの状況で、スカイ王国の国王になるということがどういうことか理解している。
立ち上がった民衆に殺されるかもしれないし、他国からの侵略が先かもしれない。
それでも自分に出来うるすべてをスカイ王国のために捧げることが、僕の犯した罪への罰なのだろう。
僕のスカイ王国国王としての最初の仕事は、父親である元国王の処刑と、聖女への謝罪になるだろう。
『もうスカイ王国の誰とも会いたくない』というシエナのその望みどおりに文書にはなるが。
一人の少女のその尊厳を貶めるような扱いをスカイ王国がしたことを、国として誠実に謝罪しよう。
本当は、もしも願いが叶うなら、シエナに直接謝罪をしたいと思った。
だけど、それさえももう遅く、決して叶わない願いなのだろう。
僕にはいくらだって機会があったんだから。
シエナがスカイ王国の王宮にいた数年の間に、シエナと話をする機会なんてそれこそ僕の気分次第でいつだって可能だったんだから。
その機会をすべて放棄したのは、ただひたすらに僕自身の傲慢さだったんだから。
これからのスカイ王国の未来と自分の人生を思って、僕は静かに息を吐いた。