(第18話)アイリスの誤算~スカイ王国~
『聖女シエナはそもそもクラウド王国民であり五年前にスカイ王国に誘拐されていた』
そんな戯言をクラウド王国が世界中に公表したと聞いて、思わず笑ってしまった。
それが何だというの?
たかが平民がどこで産まれたのかなんて、世界に公表するほどのたいした問題ではないでしょうに。
そんなことよりも私は、未だにあの帝国のパーティーでの屈辱が忘れられなかった。
シエナが、たかが平民でスカイ王国で無能だったことは純然たる事実なのに、私はそれを主張しただけなのに、帝国の皇太子であるルイ殿下に叱責されたのだ。
しかも庇って欲しくて見つめたセドリック様は、あろうことか私を怒鳴ったうえに、シエナに謝罪までした。
どうして? どうして? どうして?
何もかもがありえなかった。
花が咲いたからって何なの? どうして皆がシエナなんかを褒め称えるの?
そこにいるのは私のはずでしょう? セドリック様との『真実の愛』の主役である私であるはずでしょう?
世界中の王子・王女から羨望の眼差しで見つめられて、会場の中心で称賛の拍手を送られるのは、スカイ王国の王太子の婚約者であり、公爵家の娘である私のはずでしょう?
それなのに、どうしてあんな平民なんかが。
悔しい。悔しい。悔しい。
だけど何よりも悔しかったのは、野獣みたいなクラウド王国の子爵の息子を気持ちよく責めた後で聞こえた言葉。
「たかが公爵令嬢が、聖女様のパートナーに無礼な……」
たかが!? たかが公爵令嬢ですって!?
そんなこと今まで一度だって言われたこともない、一生言われることのないはずだった言葉。
このパーティーに招待されているほとんどの人間が、私より身分が高いか同格であることは理解していた。
だけど、シエナは違うでしょう?
今までたかが平民だと見下していたシエナよりも自分が格下だなんて、決して認めたくなかった。
そのうえシエナのパートナーだというだけの野獣よりも私の方が劣っているというの?
こんな屈辱は生まれて初めてだった。
生意気なシエナの物言いと併せて、私は自分の中から溢れる怒りを抑えることが出来なかった。
だからスカイ王国に帰って来て、国王陛下がシエナを汚そうとしていることを知って歓喜した。
「最悪身体だけでも手に入れるのだ!」
ふふふ。なんて素晴らしい計画かしら。
さすが国王陛下だわ。そうよ。シエナなんて汚してしまえばいいんだわ。
ずたぼろにして、王宮にいた時よりももっともっと蔑んで、クラウド王国で調子に乗ったこと、私に屈辱を味わわせたことを後悔させてやりましょう。
ふふふ。想像するだけで、楽しみだわ。
それなのにシエナは、スカイ王国からの招致を生意気にも拒否した。
だけど国王陛下はどんな手段を使ってもシエナをスカイ王国に誘き出すと宣言していたので、シエナは絶対にスカイ王国にやってくると私はそう信じていた。
たとえクラウド王国が公表した『誘拐』が事実だとしても国王陛下がもみ消すでしょうし、たかが平民のシエナがスカイ王国の国王陛下からの招致を拒否出来るはずがないんですもの。
その時にはシエナをどうやって貶めようかしら。
出来るならあの野獣も手に入れたいわね。
私に屈辱を味わわせた二人を散々に嬲ってあげなくちゃ。ふふふ。
もし他に問題があるとしたら、セドリック様だわ。
国王陛下の素晴らしい提案であるシエナを貶めることについて、積極的ではなかったもの。
だから前回お会いした時にお父様が入手したハーブティーを使ったけれど、今回の『誘拐』の件でまた正義感に燃えて余計なことを考える可能性があるわ。
……本当ならお父様に相談したいところだけど、『誘拐』の件で緊急召集されてから忙しそうでお会いできないのよね……。
前回のハーブティーがまだ残っているので、お父様への報告は後にして、今は取り急ぎセドリック様に会いに行ってしまいましょう。
「セドリック様。大変なところ申し訳ございません。少しでも癒しになればとまたハーブティーをお持ちしました。人気のマカロンも用意しましたので、少し休憩しませんか?」
セドリック様の執務室を訪れた私に、セドリック様はいつものように甘く笑ってくれた。
「アイリス。いつもありがとう」
あら? むしろ機嫌が良さそうだわ。最近はいつも疲れた顔をしていたのに。
「じゃあ、お茶の準備をよろしくね」
私が、連れてきた公爵家の侍女に言った時、いつもならただそのやり取りを見守っているセドリック様が言葉を挟んだ。
「アイリスにも僕と同じハーブティーを淹れてくれ。そして僕にもアイリスと同じ紅茶の用意を」
「えっ!? あっ……、あのっ」
侍女は分かりやすく動揺して、困ったように私を見た。
きっと『ハーブティーはセドリック様にしか飲ませないように』と命令しているからだろうけれど、なんて使えないのかしら。
帰ったら厳しく躾けないと。
「セドリック様に言われた通りにしなさい」
私が冷たく言うと、侍女は顔を青くしたまま準備を始めた。
「公爵家の侍女がすみません。まだ新人で慣れていないのですわ。用意はさせますが、今日は紅茶の気分なので、私は紅茶を飲みたいと思います」
「新人? あの侍女は、シエナがいた時から連れて来ていたじゃないか?」
「……っ」
まさかセドリック様がたかが侍女の顔を覚えていただなんて。
機転を利かせたつもりが失言だったわ。
どう言い繕うかと考えている間に、ハーブティーと紅茶にマカロンが机に並べられた。
「せっかくだから、アイリスも一口だけでもハーブティーを飲んだらどうだい?」
紅茶の方を飲みながら、セドリック様がいつもと同じに見える笑顔で言った。
「……いいえ。私は……実はハーブティーの独特の香りが少し苦手で……」
「そうか。アイリスは、自分が苦手なものを僕に飲ませていたんだね」
「そのような言い方はっ! ……私は、ただセドリック様が少しでも癒されればと……。セドリック様のためを思って用意したのです!!」
「用意したのは公爵だろう?」
いつもと同じに見えるその笑顔を、初めて怖いと思った。
「……公爵家で用意したものですわ……」
「それで? アイリス。今日は、僕にどんな毒を垂らしに来たんだい?」
「……毒……?」
「シエナを貶めるために、僕に何をさせたいんだい?」
……誰? この方は……? 私の知っているセドリック様ではないみたいだわ……。
「セドリック様。お疲れなのでしょうか……。もし体調が悪いのでしたら、お休みになられた方が良いですわ」
「体調? 少しも悪くないよ? それに、今日はハーブティーを飲んでないから思考もハッキリしているしね」
セドリック様のその核心を突いた言葉に、息を呑んだ。
「前回のハーブティーの飲み残しを調査してもらったんだ。結果はすぐに出たよ。思考を鈍くする成分が検出された」
淡々と紡がれる言葉に恐怖を覚えた。
だけど何よりも怖かったのは、それでもセドリック様が笑顔だったことだ。
「セドリック様……」
「僕は本当に愚鈍だったんだね。信頼すべき人間を間違えたこともあると思う。きっと人を見る目がなかったんだ。でも、やっと目が覚めたよ」
セドリック様は笑顔を消した。
「まさか父上が、聖女を他国から拉致していたなんてね。信じていた価値観すべてが一瞬で崩れ去ったよ。そしてアイリス。婚約者である君からは違法な薬を盛られていた。君は僕のことなんて愛していなかったんだね。ただ自分に都合の良い傀儡が欲しかっただけだ」
「……ちっ……違います……。私は、本当にセドリック様を愛してます……。私達は『真実の愛』の主役なのですもの」
ハーブティーをセドリック様に飲ませたことに、そんな大した意味なんてなかったのに。
ただお父様から『セドリックが下手な正義感で国に損失を与えないように正しい思考に誘導してやれ』と、そう言われたから。
シエナを汚して聖女の能力を奪うことは、スカイ王国として正しいことだから。
だからお父様からいただいたハーブティーを飲ませて、シエナが聖女の力を失うことの素晴らしさを語っただけで、私は何も悪いことなんて……。
「セドリック様。まさか私と婚約破棄なんかしませんわよね? セドリック様に相応しいのは、この国に私しかいないです」
自分の声がこんなにも震えているのを、初めて聞いた。
私はいつだって誰よりも尊ばれる存在だったはずなのに。それなのに。
どうして? どうしてこんなことに……。
「婚約破棄? そんなこと出来るはずがないだろう」
セドリック様のその言葉に安堵はしたけれど、その投げやりな響きが怖かった。
「帝国のパーティーでの失態と世界中に広まった『真実の愛』の詩のせいで、君と婚約破棄をしたところで僕に次の婚約者なんて見つからないよ。もう選択肢なんてないんだよ、僕にも、アイリスにも。僕達はこのまま結婚するしかないんだ」
……選択肢がないから私と結婚するしかない?
何よ、それ。そんな仕方がないからみたいな……。
セドリック様は私を愛しているのでしょう? 愛する私と結婚することを仕方がないことみたいに言うなんて……。
「アイリスは王妃になれるよ。君は、念願通りこのスカイ王国で一番身分の高い女性になるんだ」
セドリック様は、もはやまったく笑っていなかった。
「沈みゆくスカイ王国の名ばかりの王妃にね。聖女を虐げて追放した卑劣で愚鈍な王と王妃として世界中から侮蔑されながら、僕と一生添い遂げるんだ」
……何を……? 何を言っているの? セドリック様は、何を……?
沈みゆく? スカイ王国が? どうして?
だって、シエナを誘き出して、汚して、力を奪うんでしょう? 国王陛下もお父様もそれが最良だと言っていたじゃない。
そうしたらすべて元通りになるはずでしょう?
私は! 私は、『真実の愛』の詩の通りに世界中から祝福されてスカイ王国の王妃になるはずでしょう?
それなのに、世界中から侮蔑される名ばかりの王妃になるだなんて!! そんな……そんなはず……。
いつもの優しくて甘いセドリック様は、一体どこにいってしまったの?
私は呆然と、何かが覚醒したかのように人が変わってしまったセドリック様を見つめた。




