(第11話)パーティーでの失態~スカイ王国~
「クラウド王国の聖女であるシエナ様と、パートナーのクラウド王国国境警備隊隊長であるラウス・キャンベル子爵令息のご入場です!」
会場の入り口の扉が開かれ、使用人の紹介に続いてパーティー会場に一組の男女が入場してきた。
『シエナ』という名前が聞こえた瞬間に眩暈がしたが、入場してきた女性を見て、安堵した。
なんだ。違うじゃないか。あのシエナじゃない。シエナはあんなに美しくなかった。
「……あの平民ですわ」
油断していた分、アイリスの地を這うような囁きにぞっとした。
……まさかあのシエナなのか?
だけど僕の知っているシエナのことを思い出そうとしても、うっとおしく伸びた見苦しい髪と痩せすぎた体、俯いた暗い顔しか思い浮かばなかった。
だから隣にいるむさ苦しそうな男に寄り添いながら真っすぐに歩く、痩せすぎとは言えない程度の細身のショートカットで溌溂とした印象の女性が本当にあのシエナなのか僕には判断出来なかった。
その時、ほんの少しだけシエナがよろけた。
隣の男は素早くエスコートしていた右手をシエナの腰に回した。そのおかげでシエナが転倒することはなかった。
頬を染めて隣の男を見つめたシエナが微笑んだ時、信じられないことに花が咲いた。
会場から感嘆の悲鳴が上がった。
『ただの平民ではく、癒しの花を咲かせる能力を持つ聖女だ』
いつか父が言っていた言葉が僕の頭を駆け巡った。
……そんなはず……。シエナにそんな能力はないはずだ。
なぜなら僕と婚約していた数年もの間、一度もそんな奇跡を起こすことなんて出来なかったのだから。
だから僕は、シエナを『偽聖女』と断じたのに……。
それなのに、体中を駆け巡る冷たい感覚が、僕に警鐘を鳴らしていた。
……僕は何かとてつもない間違いを犯したのではないか?
僕の頭が真っ白になっている間に、シエナはルイ殿下の元に辿り着き、改めて『聖女』だと宣言をされた。
そして、シエナが微笑んだ時、今度は会場中に花が咲いた。
それは、まごうことなき聖女の奇跡に見えた。
会場中から感嘆の声と共に、拍手が送られた。
……各国の未来を担う王子・王女達からなんのてらいもなく拍手を送られる存在。
……自分が切り捨てたであろうもののあまりの大きさに眩暈がした。
「……セドリック様……」
乾杯が終わってからも動けずにいた僕に、アイリスが声を掛けた。
……だけどアイリスの声も手も震えていた。
「ルイ殿下達に挨拶に行こうか……」
そう言って会場の中央を見た僕の視界に、ルイ殿下やユリアン様と同じくらいに囲まれているシエナの姿が目に入った。
スカイ王国では珍しいその紫の瞳は、今まで一度も見たことがない程に輝いていた。
「スカイ王国の王太子であるセドリックと、婚約者である公爵家のアイリスです」
ルイ殿下達に向かって挨拶をした僕の言葉に、周りの空気が揺れた。
「スカイ王国……? 聖女様を断罪した元婚約者の?」
「信じがたい詩を流行らそうとしていた……?」
「聖女様は幸福であるほどにその能力を発揮するはずなのに、虐げた上に『偽聖女』と断じるだなんて……」
その反応で、僕はやっと気づいた。
アイリスが流行らせた僕達の真実の愛の詩は、他国で決して好意的に受け止められていたわけではなかったのだ。
……庶民の間では分からないが、少なくとも王族には……いや、きっと貴族達にも、失笑されていたのだろう……。
あるいは昨日までは好意的に受け止められていたのかもしれないが、シエナの、『偽聖女』であるはずのシエナの、その能力が証明されたことで、僕達への評価が一変してしまったのかもしれない……。
アイリスが自己満足の為に作成したその物語が、僕達を窮地に貶めていた。
「嘘よ。シエナが本物の聖女だなんて、そんなはずがありません! だってシエナはたかが平民で……スカイ王国では確かに無能だったのです!」
あまりの羞恥に取り乱したのか、ありえない発言をしたアイリスを僕は見つめた。
怒りで顔を真っ赤にして震えるアイリスは、今まで僕が見たこともない程に醜く見えた。
「帝国の皇太子である私が認めた聖女を、スカイ王国の公爵令嬢が否定するのか?」
ルイ殿下の恐ろしく冷たい声が響いた。
アイリスは分かりやすく動揺して、助けを求めるように僕を見た。
その瞳は恐怖で震えていた。
「ルイ殿下。僕の婚約者が大変申し訳ございません。突然の事態に混乱しているようでして、本日は退席させていただきます」
何とかこの場を収めなくてはと、僕は必死で言葉を紡いだ。
……絹織物の取引の件なんてとても話せる状態ではないどころか、聖女に対する対応を早急に帰国して父上に相談しなくては……。
「謝罪は私にではなく、聖女シエナにだろう? もっとも謝罪すべきことは今のことだけではなさそうだが」
ルイ殿下の言葉は、鋭かった。
それでもこれは僕達の失態だ。シエナに謝罪してなんとか収めなくては。
そう思った僕が口を開こうとした時、アイリスは信じがたいことを呟いた。
「私が平民に謝罪……? ありえないわ……」
それはあくまで、思わず口から溢れたであろう呟きだった。
だけど、水を打ったように静まり返っている会場では酷く響いた。
「アイリス! 口を慎め!」
思わず怒鳴った僕に、アイリスは目を見開いた。
なんだその顔は? 驚いたのは僕の方だ。
こんな場でこんな失態を犯すなんて。なんて……なんて愚かな女だったんだ……。
「シエナ……様……。アイリスが申し訳ございませんでした。偽聖女だと断じて追放したことも……精査して……改めて謝罪をしたいと考えております……」
屈辱に震えながら絞り出した僕の言葉に、だけどシエナはあっけらかんと返した。
「セドリック殿下。改めての謝罪は不要です」
その明るい響きに、僕の心が躍った。
希望を見出した僕は、思わず勢い勇んでスカイ王国でのようにシエナに畳みかけてしまった。
「それは許すということだな!?」
「許すも何もありませんよ」
だけど次にシエナからかけられた言葉達に、僕の希望は打ち砕かれた。
「安心してください! 偽聖女だと私を追放したセドリック殿下の判断は正しいですよ!」
「……はっ?」
「だって、私はスカイ王国のために祈りを捧げたことなんて一度もありません! だから、私はスカイ王国にとって間違いなく偽聖女なんです!」
シエナは今まで僕が見たこともない程の笑顔だった。その瞬間、僕の頭に花が咲いた。
……何を言っているんだ? シエナは一体何を……?
「……スカイ王国のために祈ったことがない……? 王太子である僕の婚約者だったのに? 聖女として尽くすようにあんなに教育されていたのに?」
「スカイ王国の国王陛下の命令でお母さんを殺されたのに、そんな国の為に祈るはずがないじゃないですか」
あっけらかんと、シエナはとんでもない爆弾を落とした。
「……何を言ってるんだ!? 父上がそんなことをするはずがないだろう!」
「お母さんはたった一人で私を必死で育ててくれました。だけど私達の立場はとても弱いから、もし私の力が知られたらきっと搾取されて酷い目に合う。そう思って私の力のことは村の誰にも言わずにいたんです。だけど、運悪くスカイ王国の王家の影に見つかってしまった。そしてそいつは私を無理やりスカイ王国の王宮に連れ去ろうとしました。必死で止めようとするお母さんの声が大きくて他の村人に気づかれるのを恐れて、目の前でお母さんを殺してまでも」
あまりの内容だった。
会場が揺れているように感じた。
何を言っているんだ? この女は……。何を言い出したんだ?
「嘘だ……。そんな、そんなことあるはずが……」
「お母さんを殺した者の名前はアランです。心当たりはありませんか?」
シエナは迷いのない瞳で、まっすぐに僕を見た。
……アランという名前の影に聞き覚えがあった。
長期間見かけないと思ったらシエナが王宮に来たのと同じくらいのタイミングで戻って来て、リーダーに抜擢されていた男の名前がアランだったはずだ……。
……そして、父上がシエナを見限ったのと同じくらいのタイミングで失脚した……。
「でも……まさか……そんなこと……。聖女を手に入れるためとはいえ、たとえ相手が平民だとはいえ、それでもスカイ王国の国民を殺すなんて……。父上がまさかそんな判断をするはずが……」
「セドリック殿下のその言い方だと、スカイ王国民でなければ殺しても良いみたいですね」
そう言ったシエナの声は、酷く冷めきっていた。
「私は決めていました。何があっても絶対にスカイ王国のために自分の力を使うことは決してしないと。もしも優しくしてくれる誰かがいて心を絆されたとしても絶対に! もっともあの王宮でそんな人は一人もいなかったので、私の決意が揺らぐことはありませんでしたが」
……もし、僕が。
僕がシエナともっと向き合って、シエナの心を絆すことが出来ていたのなら結果は変わっていた?
もし、僕が。
僕がシエナの話を聞くこともなくたかが平民だからと、シエナを切り捨てなければ……。
だけど、それでも……。
それでもシエナは、スカイ王国民だ!
国民が国の為に尽くすのは当然のことなのに! それなのにシエナは……。
わざと祈らなかったなんてありえないだろう。
そのうえよりにもよってこんな場所で、最悪の事実を暴露するなんて。
シエナはスカイ王国民で、スカイ王国のために尽くすべきなのに!!
母親が殺されたことくらいで、自分の生まれた国を裏切るだなんて!
「それでも自分が生まれた国だぞ! 心が痛まないのか! そんな力があるのならスカイ王国に帰ってくるべきだろう!」
思わず口をついてしまった言葉は、静まり返った会場できっと全員に聞こえていただろう。
僕とアイリスに向けられる視線が一層冷えたものになったのを感じた。
「偽聖女だと私をクラウド王国に追放したのは、セドリック殿下ですよ」
冷静なシエナの言葉に、その事実に、僕はもう何も言い返せなかった。




