5話 依頼達成
黒狼の群れを退けてから30分。山道を進み続けた二人は開けた高原へと辿り着いた。
ファレンの目の前に広がるのは一面の白い花園。風に舞う白い花びらが彼女たちを出迎える。ほのかに甘い花の香りが彼女を包み込んだ。
この高原を埋める白い花すべてが白神草だ。
「無事に来られてよかったですね」
何事もなくここまで辿り着けたことに安堵するファレン。
そうだな、と言いながらエリアスは花園に座り込み足を伸ばす。流石の彼にも疲れが出てきたのだろうか。
くつろぐ彼を見て緊張が解けた彼女も身体を伸ばす。息を止めて腕を伸ばしながら唸り声をあげるファレン。じんわりとした開放感が体に広がっていく。
「じゃあ早く集めてしまいましょう。雨も降りそうですし」
さっきまでよりも空が暗く肌寒い。湿っぽい空気に雨の気配を感じる。確かに降られると面倒だろう。
一息ついた彼女は麻袋を取り出して採取に取り掛かろうとする。
ファレンは花園にしゃがみ込んで白神草を丁寧に摘み取っていく。白い花でいっぱいになっていく麻袋。目的の物は拍子抜けするほどあっさりと集まった。後は持ち帰って納品すれば依頼完了だ。
「エリアスさん、なんでここまで来たのかそろそろ教えてくださいよ。白神草なら十分集まりましたよ」
採取を続けながら問いかけるファレン。
彼女は過去の出来事を忘れない性格らしい。エリアスが初めに言った約束を覚えている。
しつこい彼女の性格にエリアスの口元が歪む。
「…………」
彼は座り込んだまま黙って空を見上げている。再びはぐらかすつもりなのだろうか。話しかけているファレンの方を見ようともしない。
そんな彼に呆れたファレンはため息をついて立ち上がる。
白神草をかき分けながらエリアスに近づいていく。
葉の擦れる音が彼を追い詰める。
「さっき約束したじゃないですか」
ファレンは彼の前に仁王立ちになって視界を塞いだ。バツが悪そうに俯くエリアスは頑なに目を合わさない。そんなエリアスの態度にファレンの眉間が歪む。
彼女は目の前にしゃがみ込むとエリアスの顔をジッと覗き込んだ。
「だんまりはもうダメですよ?」
彼女の大きな赤い目はエリアスを捉えて離さない。首を傾げながら問い詰める。息が触れるほど近い距離で圧をかける。
その眼力に観念したのか彼の口がゆっくりと動いた。
「それは……」
彼がやっと口を割ろうとしたその時、辺りに巨大な咆哮が響き渡った。身体の芯にまで触れるほどの、誰も聞いたことのないような爆音。
地が裂けるようなその轟音に花園全体が震えた。
轟く咆哮に驚いて周りを見渡すファレン。彼女はこんな恐ろしい声を聞いたことがない。強大な魔獣が現れたのかと警戒するが周りには何もいない。見えない脅威に息が荒くなる。
緊張で強張った彼女の体に巨大な影が落ちた。
突然起きた異様な状況にファレンは反射的に空を見上げる。
「なっ……」
彼女の目に飛び込んだのは天を翔ける黒い影。
世界を埋め尽くさんばかりの黒竜が空を舞っていた。
翼に巻き起こされた突風が白い花びらを巻き上げこの場を圧倒する。
もし襲われでもしたらひとたまりもない。ファレンは頭を押さえて姿勢を低くし花園に身を隠した。
強烈な風圧が身体を地面に押し付ける。嵐が来たかのような状況に思わず目を瞑り歯を食いしばった。
「ううっ……」
とにかくその場をやり過ごそうとファレンは身を小さくして必死に耐える。緊迫した状況に自然と息が止まり体は凍りつく。
そんな彼女の耳元で何度も花を踏み締める音がする。突然エリアスが黒竜に向かって走りだしたのだ。
「え……エリアスさん!」
突然の行動に彼女は面食らう。思わず呼び止めるが彼の足は止まらない。
息を荒げながら必死に追いかけるエリアス。しかしいくら走ろうとも空を飛ぶ竜には当然届かない。黒い巨体はエリアスからみるみる遠ざかっていく。
二人に気づかなかったのか、それとも矮小な人間など意に介さなかっただけなのか。
生物の頂点に君臨する黒竜は山の頂上へと飛び去っていった。
事なきを得た二人に戻る静寂の空気。
花園の中に身を潜めていたファレンは身体を起こしエリアスに駆け寄った。
「どうしたんですか?」
ファレンが話しかけても何も答えない。ただただ黒竜が飛び去った空を見て立ち尽くす。
ファレンが彼の本意を察するにはをそれだけで十分だった。
「もしかしてエリアスさんの目的は……」
おずおずと問うファレンにエリアスはゆっくりと振り向く。その顔には憎悪の色が浮かんでいた。
そうだ、と低い声で答えた彼は話を続ける。
「アイツは幼馴染の仇なんだ」
「幼馴染?」
「ああ、俺が初めて組んだ仲間だよ。一緒に夢見て、冒険者になって、この霊峰に入ったんだ。それであの黒竜に襲われて……」
過去の話を語るエリアス。その先は言わず、ただ唇を噛む。
さっきまでの飄々とした態度は無くなっていた。
「あのとき俺は何も出来なかった……」
拳を握り後悔のこもった声をファレンにぶつけた。その震える声を聞いたファレンは心中を察する。
ようやく彼の目的がわかったがまだ疑問は消えていない。
「でも……黒竜を殺したいならもっと強い冒険者と組んだほうがよかったんじゃないですか?」
ファレンは自分が選ばれた理由が全く分からない。
新人冒険者など連れていてもお荷物になるだけだ。
それどころか手練れの冒険者が十数人集まったとしても黒竜に勝てるとは思えない。
聖女のファレンなどまともな戦力にならないだろう。
「今まで誰と組んでも無駄だった。何度も言われたんだ。お前の昔話なんか知らねえよって。誰も俺についてきてくれなかった」
今までのパーティを思い返しながらゆっくりと語った。
冒険者は基本的に自分の身を優先する者が多い。わざわざリスクを冒してまで他人の事情に関わろうとする者も稀だろう。
勝手な復讐心を燃やし荒唐無稽な目標を語る男に向けられる当然の反応だった。
「一人になったのはちょうど良かったんだ。誰にも文句言われないからな。でも一人じゃこの黒嶺には入れない」
「じゃあここに入る許可をもらうためだけに私と組んだんですか?」
「ああ、何も知らない新人ならついてくると思ったんだ」
ここにきてやっと白状した。
誰でもよかった、そんな事実に体から力が抜けていくファレン。騙して連れ歩いていた事が後ろめたかったのだろう。ここまで誤魔化され続けた理由がようやく分かった。
ファレンは目を細めてエリアスを見る。
「結構クズなんですね」
ハッキリとした言葉をぶつけるファレン。それはエリアスに自身の悪行を再確認させる。
「……そうだよな。悪かった。騙す形でここまで連れてきて……」
「いえ……エリアスさんの気持ちはわからないこともないですから」
冷たい水滴がファレンの頬に当たった。雨だ。暗い空から落ちる雨粒が葉を鳴らす。
エリアスは軽く空を見ると強めの口調で言った。
「ファレンはここで帰ってくれ。危険すぎる」
「本当に行くつもりなんですか?」
「ああ」
「あんな強大な相手を? 一人で?」
にわかには信じられない話だ。竜を単独で討伐するなど聞いたことがない。そんな絵空事をエリアスは本気で話している。
ファレンの目に少しの驚きが宿る。
「そのために俺は鍛錬を積んできたんだ、黒竜を殺すための五年間だった。やっとその時が来たんだ」
「へえ……」
「だからここでお別れだ。早く帰ってそれを納品するんだ。そしたら俺のことは忘れてくれ」
ファレンが手に持った麻袋を指差しながら帰るように促す。
雨に濡れた彼の姿はどこか物悲しい。このまま誰にも知られないまま消えてしまいそうな佇まいだった。
ファレンは何も言わずに麻袋を懐へしまうと改めてエリアスの顔を見る。
「いえ、私も行きます。同じパーティの仲間なんですから、ちゃんとついていきますよ」
「なっ…」
予想外の答えにエリアスは驚く。自分を騙していた相手を受け入れるとは思わなかったのだ。
罵倒されて殴られることまで覚悟していた。だが彼女は怒るわけでもなく黒竜討伐に同行しようとしているのだ。
しかしエリアスにも自分が生き残る未来が想像できないでいる。このまま連れていけば彼女も死ぬかもしれない。
彼の頭に浮かんだのは無謀の二文字だった。
「いやそれは……」
「ここまで連れてきておいて今更なに言ってるんですか。私に一人で帰れって言うつもりですか?」
「っ……」
ファレンの物言いに言葉を詰まらせる。
確かに聖女を一人で帰すのは不安が残る。途中で魔獣に出くわさないとも言い切れない。
だがこの状況を作ったのはエリアス自身だ。何も言い返すことはできなかった。
「確かに俺にはファレンを心配する資格は無いよな……」
「ええ、でもエリアスさんが私を最後まで守ればいいんですよ」
ファレンはにっこり微笑みながら彼の手を握った。雨に濡れた手は酷く冷たい。
彼女が嘘っぽい笑顔を浮かべると手の力が強くなる。
「ちゃんと責任とってくださいね。女の子はちゃんと家まで送らないとダメですよ」
その白く冷たい手はエリアスを離さない。
二人の間に広がる沈黙。ファレンはその間エリアスを見つめ続ける。
もう見逃してくれそうにないことは明白だった。
エリアスは数秒ほど考え込むと重々しく口を開く。
「……わかったよ」
「行きましょう。エリアスさんの想い、最後まで見届けさせてください」
ファレンは頷くと手を離しエリアスの隣に立つ。
霧雨に覆われ曖昧にぼやけた黒嶺。
徐々に激しくなる雨の中、二人は黒竜の棲む場所を目指し歩き始めた。




