4話 お手並み拝見
ラディーク黒嶺にたどり着いた二人の前に物々しい鋼鉄の門が立ち塞がる。
ここから先はギルドから発行された許可証がなければ立ち入ることができない。何も知らずに黒嶺に入り魔獣に襲われる一般人の事例が後を絶たないからだ。
門の前で佇むファレン達に無機質な衛兵が近づいてきた。鎧の擦れる金属音が辺りに響く。
「通行許可証を提出しろ」
二人の前に立ち塞がり抑揚のない声で要求を出す衛兵。ファレンよりも頭一つ分大きい図体には十分な威圧感があった。
エリアスは適当な返事をするとギルドで受け取った受注証明書を衛兵に手渡す。雑に仕舞われてシワだらけになった証明書。
衛兵は書類を十数秒確認すると静かに頷いた。
「よし、二人とも入っていいぞ」
衛兵から許可が下り重々しい音を立てて門が開かれる。開いた門の隙間からは荒々しい山道が覗く。今まで歩いてきた平原とは雲泥の差だ。これまでとは違う厳しい道程になることが見て取れる。
「ここからは魔獣が出るからな。気をつけろよ」
「はい」
改めて気を引き締めるファレン。その顔には冒険者としての覚悟が貼り付いている。その返事を聞いたエリアスは門の中へと足を踏み出した。
◆ ◆ ◆
切り立った岩壁に面するラディーク黒嶺の山道。曲がりくねった道は足場も悪い。肌寒い風が横から吹き付ける。
そんな荒れた山道を息も絶え絶えに進んでいくファレン。靴底に石のゴツゴツとした感触が伝わってくる。暗い空へ近づいていくような感覚が彼女の身体を重くした。過酷な環境が彼女の体力を余計に奪う。
登るのに必死な彼女に対してエリアスは涼しげな表情だった。流石はベテラン冒険者といったところか。息を切らすことなく身軽に進んでいく。
素早いとはいえファレンを置いていくような速度では進まない。流石の彼でもそういった最低限の気遣いは一応できるらしい。前を行くその背中は彼女を少し安心させた。
ファレンの吐息が砂利の音に混ざる。彼女は自分の足取りに集中した。
歩みを進める二人のすぐ隣は崖だ。足を滑らせれば二人の冒険は終わりを告げるだろう。そんな危険な状況が神経をすり減らす。ファレンが蹴った小石が奈落へと消えていった。
黒嶺を登れば登るほど地上に広がる景色は小さくなっていく。崖から見下す平原は深緑の海のようだ。
「ああっと」
突然エリアスが声をあげて立ち止まった。ファレンを腕で遮り制止する。
歩くのに必死でずっと足元を見ていたファレンは驚いて顔をあげた。その妙な声に若干の憤りを覚えながら顔を上げる。
「……どうしたんですか?」
「さっそくお出迎えだ」
そう言いながらエリアスは道の先を指差す。そこでは黒狼の群れが道を塞いでいた。
奴らは何かの赤黒い塊に群がり蠢いている。ファレンたちのいる場所からはよく見えないが生き物の死体だろうか。周辺の地面には血溜まりが広がっている。死体が放つ独特の臭いが鼻を刺す。
黒狼たちは仕留めた獲物から肉を貪り飢えを満たしている。聞こえてくるのはベタベタとした不気味な水音と獣の唸り声だ。
食事に夢中な奴らは二人にまだ気がついていない。
「4匹か。やり過ごすのは無理そうだな。倒すしかない」
そう言いながらエリアスは得物を抜き戦闘の準備をする。鞘から顔を覗かせる無骨な銀色の剣が鈍く光った。
「ファレン、武器は持ってるか?」
「はい。一応、この短剣はあります。でも流石にあの狼は倒せませんね」
ファレンは懐に忍ばせていた護身用の短剣をエリアスに見せる。古びた小さなナイフは本当に頼りない。いくらなんでもこれを当てにするわけにはいかないだろう。
エリアスは短剣を一瞥するとファレンの背後へと視線を移した。
「そうか、ならファレンはあそこで見てろ」
エリアスは近くの岩を指差し隠れるように促す。ちょうど人間一人が隠れられる都合のいい岩。
ファレンは一言返事をすると岩陰へ身を隠しエリアスの様子を窺う。その手に短剣を握りしめて。
彼女が身を隠したことを確認するとエリアスは剣を構える。さっきまでの飄々とした雰囲気は鳴りを潜め真剣な眼差しで黒狼たちを捉えていた。彼の背から放たれる静かな殺気をファレンは感じ取る。
彼女が殺気を感じた瞬間、エリアスは右脚を強く踏み込み黒狼たちへ駆け出す。地面に亀裂が走ると同時にエリアスの姿が消え周囲に土煙がたちこめた。
その中に鋭い閃光が輝いたその刹那、黒狼の首が一つ宙を舞っていた。群れの中の一匹を斬り飛ばしたのだ。黒狼たちに赤い血飛沫が降り注ぐ。気づけばエリアスは狼達の向こう側に駆け抜けていた。
じっと見ていたファレンも一瞬のことに思考が追いつかない。驚きのあまり目を見開いて固まってしまう。エリアスの俊敏な動きを前に周囲の時間が凍りつく。
「……まず一匹」
エリアスは刃に付いた血を振り落とすと黒狼たちに向き直りもう一度剣を構える。
今回は警戒して不用意には動かない。さっきの不意打ちとは状況が違うからだろう。互いに睨み合い、緊張の糸が張り詰める。
黒狼たちは怒りを込めた低い唸り声を上げた。その口からは貪っていた血肉混じりのよだれが滴り落ちる。爛々と輝く黄色い眼光がエリアスを捉えた。
数秒睨み合った後、先に動いたのは黒狼だった。群れの中で一番大きな個体がエリアスに襲いかかる。彼の急所に牙を突き立てようと首元へ飛びかかった。よだれを撒き散らす巨大な顎がエリアスに迫る。
「遅い」
身を翻し突進を躱すとそのまま身体を回転させ黒狼の横へと回り込む。その勢いのまま剣を振り下ろすと銀色の斬撃が黒狼の首を叩き落とした。血を流し地面に落ちる黒狼の死骸。その鈍い音がファレンの耳にも聞こえた。血肉の生々しい不快な音だ。
獲物を仕留めたエリアスは黒狼たちに向き直る。一瞬で仕留められた群れの首領が彼の背後に横たわる。首を失ったその無残な最期に黒狼達はたじろいだ。この人間には勝てないことを悟ったのだ。残った奴らは威嚇しながら山道の向こうへと走り去っていった。
戦場の中に一人残されたエリアスは空を見上げて一息つく。
「もう出てきていいぞ」
剣を収めながらエリアスはファレンに声をかけた。先ほどまで纏っていた殺気はもう消えている。
安全を確認したファレンは短剣を懐にしまい岩陰からゆっくりと姿を現した。彼女はエリアスに駆け寄ると称賛の言葉をかける。
「すごいですね。速すぎて見えませんでした」
ぱちぱちぱち。
わざとらしい拍手をしながらエリアスを称える。その声にはあまり感情がこもっていない。
感情を表に出すのが下手なのだろうか。
「やっぱり1級の方は頼りになりますね」
「そうだろ? もっと褒めてもいいんだぞ」
「さっきの狼たちは何を食べていたんでしょうか?」
エリアスを無視して血溜まりの中に横たわっている物体にファレンは近づく。
ズタボロになった肉の塊。彼女の目に飛び込んできたのは無残に食い荒らされた人間の遺体だった。
「う……」
遺体は見慣れているはずのファレンだがあまりの凄惨さに思わず顔を顰める。
目を見開いたまま絶命した男性。腹を食いちぎられ骨が露出している。希望に満ちていたはずの冒険者が辿った末路だろう。周囲には血に塗れた遺品が散乱していた。
立ち尽くすファレンの側にエリアスは近づく。やっぱりな、とため息をついて遺体の前にしゃがみ込んだ。
「これは酷いな」
「……この方、お一人でここまで来たんでしょうか?」
「いや、一人じゃさっきの衛兵に止められるはずだ。たぶん組んでたパーティメンバーに見捨てられたんだろうな」
遺体を見下ろしながら淡々と話すエリアス。冒険者にはよくあることだ。
この冒険者は信じていた仲間に見捨てられ絶望の中で息絶えたのだろう。恐らく最後まで仲間に助けを求めながら生き延びようとしたに違いない。彼の死に顔に貼り付いた悲痛な表情がそれを物語っていた。
互いに信頼関係のないパーティも多い。大半は烏合の衆だ。命の危険が迫ればあっさり見捨てられる。
仲間といえど所詮は他人。それはファレンとエリアスも変わらない。その事実が彼女の不安を増長させた。
「……じゃあ行くか。白神草はもうすぐだ」
エリアスは立ち上がりこの場を離れようとする。やはりこういったものは見たくはないのだろうか。彼は遺体から逃げるように立ち去った。
「そうですね……」
ファレンはそう言うと彼の後ろを静かについていく。歩き出す直前、一瞬だけ遺体に目をやり口元を歪ませるエリアスに彼女は気づかなかった。




