米屋の女房
パアーン!…貧民窟の路地の奥。余所者がきましたよと銃声が鳴る。
「うるさいね!用が済んだら、とっとと出て行くよ!」
背に乳児を背負い、生まれて間もない三つ子の赤ちゃんを乗せた乳母車を押しながら、路地をズンズンと早足で突き進む奥方が居た。米屋の女房が足を止めたのは看板のない名無しの酒場。わき道を回り裏手にある勝手口に突き進む。…扉の脇にへたりと座り込む乞食が「アー」と無気力な声を上げ、米屋の女房を空ろな眼差しで見上げた。
「店主!店主!」ドンドンドン!「名無しのゴンベ!居るんだろ!夕べ、うちの人が夜中に出て行ったよ!あたしゃ寝たふりしてたけど、知ってんだい!仕事したんだろ!さっさと稼ぎよこしな!」
がちゃ。ドアが、遠慮がちに開き、目やにをつけた還暦間近の主がしょぼしょぼと顔を出す。
「はて?どなた様でござんしょ?あたしも八十を過ぎてからすっかり物覚えが…」ぽりぽりと頭をかき。「何いってんだい!米屋の女房だよ!久しぶりだね!急いでんだい、うちの人の稼ぎを寄越しなっ!」
「はてさて何のことやら~…」主は乞食の鉢に銀貨を落としドアに引っ込もうとしたところ、米屋の女房はバッグから出刃包丁を取り出しドアの隙間に突っ込んだ。
「今朝方、子供が四人とも流行り病の高熱にうなされるんだよ!病院に行くにも金がないんだよ!子供の命がかかってるんだ!こっちも命がけなんだよ!」女房は必死の形相だ。ぺと。店主が女房の額に手を当てる。
「あれれ、お熱はございやせんが…」女房はキッと手を払いのけ
「このスケベじじい!あたしじゃないよ!子供だよ!」
「へえへえ。」店主はもさもさと赤子の口に小指を入れ喉をみたり、脈をみたりとおろおろしたが、「こりゃ、いかん。」慌てて義足をもつれさせながら奥へと引っ込んだ。
パン!パーン!銃声が鳴る。
「ああ、うるさいね!用が済んだらとっとと出て行くっていってるだろ!」路地裏で腕を組み靴をトントンさせていると、店主が重みのある小袋を持って現れた。女房に袋を渡し。
「これで勘弁してやってくだせぇ」へこへこと頭を下げる。女房は袋の口を開き、
「まぁ!…こんなに!これなら解熱剤が買えるよ!…良かったぁ。」女房はやっと肩の力が抜けたかのようにうっすらと目に涙を浮かべた。小袋から小さな銀貨を三枚ほど選り分け、つまみ出すと店主に渡し
「これ、うちの人につけてあげておくれ。」お小遣い。
店主がありがたや~と女房の手を自分の手で包み込み撫で撫でしながら銀貨を受け取った。女房はさ!と手を引っ込め
「もう、触るんじゃないよ!…あこれ、今朝の残り物だけど、よかったら食べてよね。」バッグから包みを取り出し店主へと渡した。
「 じゃあね、店主、元気でね。」女房は用が済んだらさっさと乳母車を押し路地を抜けてゆく。歩くたびにくりんくりんのお尻を店主は眩しそうにずっと眺めていた。その姿が消えれば、はあぁぁと深いため息をついて乞食の傍らにへたりこんだ。
「怖ー…。」 「アー」乞食がうなる。乞食の鉢に5人分の通行料の小袋をどさりと入れた
「腹減ったね。」店主は包みを開けるとおにぎりが六つ。一つ乞食に持たせ。自分もパクついた。塩がいい塩梅で粘りのあるいい米だ。
「 …大金持って逃げた奴さん。女房と子供が居るから事故に見せかけてくれって言うの。…米屋、人情あるだろう?話にのっちゃってさ~、もたもたしてる間にとんずらされて、今血眼になって探し回ってるの。」もぐもぐ。カァカァ。どこかでカラスが鳴いている。
「遅いね、米屋。」もぐもぐ。乞食がアーと声をあげ、残りの四つのおにぎりを包んだ。懐にしまい、鉢を持ってふらふらと立ち上がる。
「知らせてくれるの?」「アー。」
「ありがとよ。」(乞食はふらふらと路地裏に消えた。)