その瞬間は、前触れもなく訪れた
恋愛物との出会いは小学5年生のとき。リビングの床に転がっていた姉の漫画を、何気なく手にとった。
やけに大きくてきらきらな目は好きになれなかったけど、すぐに話に引き込まれた。
胸がぎゅーっと絞られる感覚。切なさに目の奥が熱くなる。少年漫画で戦闘シーンばかり読んでいた俺にとって、初めての経験だった。
「おい恭!いこうぜ」
「おう」
放課後、野球部の練習はキャッチボールから始まる。
恋愛物にはまっていることは、姉と理子以外には知られていない。だから学校では、俺は多分ごく普通の男子高校生だと思われていると思う。
スパッ
乾いた音がグランドに響く。
何球か投げて調子が上がってきたところで、隣にいたシバ(苗字は柴山)が話しかけてきた。
「おい恭!お前3組の高井さんと仲いいのか?」
高井は理子のことだ。
「理子?幼なじみだよ」
「ふーん。付き合ってはいない?」
「いない!」
「おれ、高井さんのことが好きなんだ」
「え!!!!!まじ!?」
思わずシバの方を見た。その瞬間、耳の横あたりをボールが勢いよくすり抜けていった。
「恭!!!ぼーっとすんな!!」
一緒にキャッチボールをしていた森が怒鳴る。
「すまん!!!」
勢いを失わずに転がっていくボールを追いかける。
油断したなー。それにしてもシバのやつ、理子のことが好きなのかー。いつからなんだろう。後で聞くか…
やっとのことでボールに追いつくと、すぐ近くに陸上部の走り高跳びのマットが見えた。前には人が立っていて、ちょうど今跳ぼうとしているところらしかった。
同じクラスの藤崎 望だ。全然話したことがないやつだ。いつも無愛想で暗いやつという印象があった。
なかなか動き出さない。いつ踏み出すのだろう。少し暖かみを帯びた春の風が、薄茶色の髪を揺らす。短パンから伸びる脚は、すらりとしていて程よくきれいに筋肉がついている。
きれいだ。つい見惚れていると、藤崎は少し体を後ろに傾けてから、一歩を踏み出した。
勢いよくというよりは、テンポ良く弾むように、半円を描く。
1、2、3、4、 123!
軽やかに7歩を進むと、空の青に飛び上がった。
スローモーション。それは一瞬の出来事だったけど、静止画のように一枚一枚俺の目に焼きついた。
きれいだ。俺は彼から目を離せなかった。
ポスッと音を立てて着地した彼が、マットから降りると、こっちを見た。
目が合った瞬間、気まずさと恥ずかしさとよくわからない興奮で胸が一気に熱くなる。
でもすぐに目を逸らされる。彼は興味ないという感じで、そこを去ろうとする。
あ、何か言わなきゃ。そう思って、
「お前すごいな!!!トビウオみたいだった!!!」
そう言ったそばから後悔した。もっと他の表現はなかったのか。自分の表現力の無さにがっくりくる。
「そんなこと言われたの初めてだわ。魚か」
そう言うと彼は少しだけ表情をやわらげた。
その瞬間俺は気づいた。俺は藤崎望に恋したことを。
森が俺を呼びにくるまで、そのままそこを動けなかった。