【改訂版】2話
私は、あの日のことを忘れたことはない。
「どうして……どうして女は騎士になれないのですか……!」
「傷がついては嫁ぐ際に困るからですよお嬢様」
「ならば私は一生誰にも嫁ぎません!!」
ずっと憧れていた騎士に性別が女だからなれないと知ってこれでもかというほど泣いたあの頃。無茶苦茶な駄々をこねて侍女や家族を困らせた。
顔をぐちゃぐちゃにして泣き、スカートは握りしめていたおかげでシワシワになった。ふて寝をするように布団に潜り込んでまるで白いおまんじゅうのように丸まって侍女の心配する声にも癇癪を起こした。
だってずっと騎士になることを当たり前に夢に見ていたんだ。かつて父が活躍したように、兄のような立派な騎士のように、自分もそうなりたい。そうなるんだと思っていた。
騎士団に所属する兄を、父が訪問する時たまにわがままを言ってついて行った。父が訪れれば皆父に稽古を願い、模擬戦が始まる。普段穏やかな2人が真剣な面持ちで剣を振る姿は幼い私には何よりもかっこよく見えた。
私は1度兄に聞いたことがある。
「お兄様!お兄様はどうして騎士になったの?」
「……それはね、大切な人を守るためだよ」
兄は私の目線に合わせるようにしゃがみこみ剣だこの出来た大きな手で私の頭をぐしゃぐしゃと撫ぜた。
その時の兄はきらきらと眩しく輝いていて、その背中に憧れた。
私も騎士になって誰かを守るのだとそう決めた。でも、それは叶わぬ夢でしかなかったのだ。
私が現実を受け入れられなくとも時は進み、定例のお茶会の日が無情にもやってきてしまった。
お茶会に泣き腫らした目で出ると、殿下ともう1人の幼馴染み、アンジェリカ様が心配そうに私に駆け寄った。2人より年下な私はいつも妹のように可愛がられてきた。私は幼馴染みに格好悪い姿を見せまいと泣くことを耐えつつ、目が赤い理由を話した。
「それは辛かったわね」
「でも、法律で決まっているんだ。諦めるしか……」
「クロヴィス様!」
「うっ……ごめんルイーズ」
殿下はこの頃、空気を読まずに思ったことを素直に言ってしまう方で、よくアンジェリカ様に怒られていた。
殿下を叱ったアンジェリカ様は私の手をとって優しい眼差しで私を見つめた。
「ねぇ、ルイーズ!こういうのはどうかしら」
「なあに?」
「将来、私の騎士になるの!」
「でも、クロヴィス様もなれないって……」
「だから、私たちが法律を変えてしまえばいいわ!」
「そんな無茶な……ごめん」
アンジェリカ様の鋭い視線に気づいた殿下は言葉を言い切る前に謝った。幼い頃から私たちの力関係はいつだってずっとアンジェリカ様が1番上だった。
「女性の護衛騎士になら女性でもなれるようにすればいいのよ!」
「確かに、女性しか入れないところでも女性騎士がいれば一緒についていけるから安心かも。着替えや湯浴みなんかの時は侍女しか側にいられないからね……」
その提案には流石の殿下も一理あると賛同した。私にはそんなこと思いつきもしなかったことだった。
「約束しましょ!私とクロヴィス様が結婚したら、貴女は私の騎士になるの!」
「……うん!私、アンジェリカ様の騎士になる!」
「約束よ!」
この頃、殿下はアンジェリカ様との婚約が内定しており、デビュタントを済ませれば婚約発表がされることになっていた。だから、私は私がアンジェリカ様の護衛騎士になればずっと3人でいられるのだと思っていた。
そんな未来はある事件によって永久に叶わないものになった。
「アンジェリカ様が、亡くなった……?」
あの約束をした日から、私は騎士になるべく厳しい鍛錬をするようになった。父や兄から手ほどきを受け、騎士団の訓練所に赴き練習相手になってもらった。
きっと相手をしてくれていた騎士の方々は可愛い子供のお遊びだと思って付き合ってくれていたのだと思う。それでも良かった。お遊びであろうと剣を握る練習になる人に斬り掛かるための練習になる。真剣に相手をしてもらえなくとも、他の人が対戦をしているのを見学することが出来れば見て学ぶことが出来る。
父や兄がどう思っていたのかは分からないが、娘だからといって鍛錬の際は甘やかすことはなかった。出来なければ叱られ、何が駄目だったのか指導された。
「ルイーズ、軸がブレている。そんなのだとすぐに体勢が崩れるぞ」
「突っ込めばいいわけじゃない。待つこと、そして引くことも覚えなさい」
「焦るとすぐに右足に力が入る癖を直せ」
「斬り込むのを躊躇うな。その一瞬でお前は大切なものを失うことになる」
「力で勝てない相手に力で挑もうとするな。考えろ、お前の武器は何なのか」
その全てを私は貪欲に吸収した。
兵法書も訓練書も医学書も読んだ。人はどう動くのか、何を考えて動くのか、効率の良い訓練の仕方、鍛えるために必要なもの、人体の急所。様々なことを学んだ。
それでも、私の大切なものはこの手をすり抜けていった。
「嘘、ですよね……?アンジェリカ様が亡くなっただなんて……」
アンジェリカ様が亡くなった。その事実は父によって聞かされた。
それは耳を疑いたくなるような信じたくない現実だった。
アンジェリカ様が亡くなったのはあの約束をしてから6年ほど経ち、デビュタントを済ませ殿下の正式な婚約者と発表されてから2年経った、べたべたとした空気が肌にまとわりつく暑い日だった。
嵐で倒壊した地域への慰問から帰る道中のこと、見た目では分からなかったぬかるみに車輪が嵌り滑り落ちるように崖へと馬車ごと投げ出され、乗っていた者は運良く生き延びたのは侍女だけだった。
咄嗟に隣にいた侍女を守るようにアンジェリカ様は動いたのだとか。本当は私が守らなければならなかったのに……!と嘆く侍女を誰が責められようか。
守るべき人に守られ生き残ってしまった絶望。それはきっと計り知れないだろう。だけど、それでも
「私が、私がお守りすると誓ったのです……。必ずアンジェリカ様の騎士になると、そう約束したのに……!!」
アンジェリカ様の葬式は盛大に行われた。人望の厚かったアンジェリカ様を偲ぶ人は多かった。声を上げて泣く者もいた。
それをぼぅっと遠くから眺めている私の手を殿下が痛いくらいに握る。
殿下は涙を見せなかったが、その目は赤く潤んでいた。花に囲まれて土に埋められていくアンジェリカ様を一時も見逃しはしないとずっと瞬きもせずに見つめる殿下の手を私も強く握り返した。
その日から、私と殿下は繋いでいたものがちぎれたように、自然と疎遠になっていった。