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第18話 気持ち

 駅で合流した綾乃は、買い物帰りらしく紙袋をいくつか持っていた。

 顔を合わすが、何となく気まずい。「そろそろ来るぞ」と京介は改札へ急ぎ、その足で電車へ乗り込む。曜日、時間帯と混雑する条件は揃っており、座ることはできなかった。


(……ち、近い……っ)


 乗客に押され端へと追いやられ、京介は壁を背に立っていた。

 すぐ目の前には綾乃。直視できないものが眼前にそびえているため、瞳を伏して羞恥心に頬を染める。


「ねえ……藤村っ」


 ぼそっと耳打ちをするような声に、京介はビクッと肩を上下させた。


「一緒にいた女の子、誰?」

「……詞島さん。ほら、一緒のクラスの」

「えっ。何で?」


 京介のことさえ記憶していた彼女のことだ。詞島沙夜を知らないということはない。

 だからこそ、疑問に思ったのだろう。まったく接点が無さそうな二人が、一緒にいることを。


 どうしたものか。

 サプライズを計画している以上、本当のことは言えない。しかし、どう誤魔化せば納得して貰えるのかもわからない。

 彼女だとか、幼馴染みだとか、関係性を捏造すれば逃れようはあるが、それは最悪向こうに迷惑がかかってしまう。それだけは避けなければ。


「……そ、そっちこそ、何であんなとこいたんだ? もしかして、付け回してたのか?」


 質問に質問で返す。あらぬ疑いを添えて。

 たまたま居合わせて、自分に声を掛けようと思ったが、連れがいたから断念した。実際はそんなところだとは思うが、今ここで重要なのは話題を逸らすことだ。質問のないようはどうでもいい。


「えっ……? あ、えっと……」


 ふっと上目遣いで確認した彼女の顔色からは、静かな狼狽が滲み出ていた。

 なぜ視線を泳がせる必要があるのだろう。京介が小首を傾げると、綾乃は「た、たまたまっ」と語気を強めて言った。

 綾乃の白磁の肌に、薄っすらと秋の気配が染み込む。恥ずかし気に噛み締めた唇は開く様子を見せない。その熱の所以はまったく掴めないが、京介はひとまずほっと息を漏らした。


「あれ、だけどさ……」

「あれ?」

「私のこと、どうとかって。話してたでしょ」


 もにょもにょと若干口ごもりながら言った。好きなのか嫌いなのか、沙夜に聞かれた時のことを指しているのだろう。


「藤村さ……私のこと、見てたよね」

「いるって、気づいたから」

「……大事にしたいって、本当?」


 既に伏せていた京介の双眸には、今綾乃がどういう顔をしているのか映らないが、恥じらいに焦がしていることは容易に想像できた。京介もまた、同じ心境だから。

 あの言葉に嘘偽りはないが、こうして今一度確認を取られるのは中々辛いものがある。ここでまた顔を上げる勇気があるなら、もう少し直接的に感情を伝えている。


「…………ん、んぅ」


 絞れるだけの気合を振り絞って喉から溢れた言葉に、京介は深く落ち込む。

 うん、と。ただそう言いたかった。にも関わらず滲み出た音はあまりにも気持ち悪く、電車の走行音でかき消されてしまえと切に願う。


「じゃあ、好きか、嫌いかだけ……教えて」


 京介の返答が聞こえたのかったのだろう。その代わりとして投げかけられた質問に、何を言ってるんだこいつはと反射的に顔を上げる。

 そこにあったのは、照れ臭そうにしながらも真剣な表情。深海色の両の瞳は逃がしてくれそうにない。チョコレート菓子の入った紙袋の持ち手に、じわりと熱い汗が染み込む。


フツー(・・・)は、ダメだから」


 退路を塞がれ、京介はギリリと歯噛みする。


 なぜ口に出して欲しいだろうと、頭の中はそのことでいっぱいだった。

 友達として綾乃は申し分なく魅力的だし、好きか嫌いかの二択で後者を取るわけがない。嫌いな人物と友達にはならない。


「私も言うから、そしたら藤村も言ってね」


 その囁きは吹けば消えるような声量だが、京介にとっては稲妻の如き衝撃だった。

 空気よりもずっと比重の重い吐息が、頭頂部に落ちて後頭部や耳の後ろを通って足先まで垂れてゆく。自分の心臓の音が耳障りで仕方がない。

 

 頭の上で、綾乃がわずかに口を開けたような気がした。

 京介は彼女のすらりと伸びた脚を見ながら、短い呼吸を繰り返す。


「や、やめてくれっ」


 彼女の服の袖を引っ張り懇願する。吐き出しかけた言葉を、そのまま飲み込んでくれと。


「言われなくても、わ、わかるから。たぶん、僕の勘違いじゃなければ、わかってるから……!」


 友達として好きか嫌いかを告白することは、綾乃にとって造作もないことなのかもしれない。

 だが、京介にとっては違う。それが友達としての評価だろうが何だろうが、向けられている感情を明確にされた時、彼女とこれまで通り関われる自信がない。


 好かれていれば、嫌われたくないと不安になるし。

 嫌われていたら、きっと諦めてしまう。


 それならもう、曖昧でいい。灰色のままで構わない。


「……へぇ、わかるんだ」


 少し拗ねた声と共に、空いた片腕をゆっくりと京介の背中に回した。細い指はゆっくりと背中を撫で、首筋を通り後頭部へと流れてゆく。


「ちょ、おいっ」

「後ろ、押されて」


 だからといってこの体勢はおかしいだろと言いたいが、そんな口は彼女の服で塞がれてしまった。香水か体臭か、もしくはその両方か、甘い香りに意識が遠くなる。


「――私も、ね」


 周囲の喧騒も電車が軋む音も、鼓膜は一切の情報を遮断して彼女の声だけを拾った。


「私も……藤村の気持ち、わかるよ。……勘違い、かもだけど」


 きゅっ、と。後頭部に添えられた手に力が灯る。

 それはほんのりと温かく、同時に弱々しい。僅かに震えを感じるのは、発言に自信がないからだろうと、京介は思った。


 前にも同じようなことがあった。

 綾乃を東條から救った翌日、食堂へ誘われた日のこと。あの時も綾乃は、とても自信なさげな顔をしていた。


 いつも自信満々な雰囲気を振り撒いて、笑顔もほとんど絶やさないで。

 それなのに時折見せるその脆さは、一体どこから来るのだろう。


 そっと、京介は彼女の背中に腕を回した。

 気づかれないよう、触れるか触れないかのギリギリ。今はまだ、この距離間。これ以上は恥ずかしくてままならない。


 だが綾乃は気づいているようで、頭の上でくすりと笑ったような気がした。



 ◆◇◆◇



 電車を降りて、綾乃は真っ先にトイレへ向かった。


 鏡の前に立つと、頬から未だ赤みが抜けていないことがわかった。

 右の手のひらには、まだ京介の髪の感触が残っている。女の子のようなさらさらとした触り心地、それでも僅かに自己主張する男性的な香り。ぐーぱーと動かせば、口元からは自然と力が抜ける。


(晩御飯でも誘えばよかったかな)


 もう少しで京介とお別れだ。せっかく休みに会えたのに、それは少し物悲しい。


 だが、向こうには家でご飯を作って待っている家族がいる。自分のためにわざわざ食事は不要だと連絡させるのは申し訳ないし、家で食べるからと断られるのも何だか傷つく。


 またの機会にすればいい。今日は、残り少ない時間を楽しまなければ損だ。


 グロスを塗り直し、他に変なところがないか鏡と睨めっこ。

 前髪が決まらないような気はするが、どこが具体的におかしいかはわからない。京介を外で待たせている以上、あまり時間をかけられないため手櫛でささっと弄る。


「…………あれ?」


 その異変に気付いた瞬間、さーっと全身から熱が引いていくのを感じた。

 お気に入りのイヤリング。


 その片方が、左耳から消えていた。


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