07 お呼び出し3
「部長、係長がお呼びです」
「ああ、ありがとう」
このやり取りにもずいぶん慣れてきた。
毎回毎回、山田君はどんな気持ちで伝言を承ってくれているのだろうか。仕事の時間を奪ってしまって申し訳ない。
今日は比較的、業務が落ち着いている日だ。
いつも待たせてしまうから、今日はすぐに行ってやるか……と、仕事中にも関わらず、智佳のことを優先的に考えてしまっていることに気がついてハッとする。
そもそも勤務時間中に、第三者を使って呼び出すほうがおかしいのに……俺がこの時間を心の何処かで楽しみにしているという事なのだろうか。自問自答は避けておこう。
コンコン。
2回ノックを鳴らして指定された会議室に入る。
いつもは呼び出されてから、業務が一区切りつくまで待たせてしまうが、今日は呼ばれて比較的早く来たほうだと思う。
だが、智佳はいつものように会議室で両手を広げ、机の上で放心していた。
「係長様、来てあげましたがご用件は?」
「その係長様って、やめてください」
智佳は目を細くして睨み付けてくる。
「よかった、今日は体調不良というわけではないんだな」
「はい! お陰様であれから元気いっぱいです」
「じゃあ今日の用事は何?」
「前回、手伝ってもらった資料のプロジェクトあるじゃないですか。それが一段落ついて成果も出そうなので褒めてください!」
もはや、勤務時間中に呼び出したことに対して悪びれる様子すらない。
「あのな、上司に褒めてもらいたい気持ちは分かるが、勤務時間中に、しかも山田君を使って呼び出すのは、流石にどうかと思うぞ。山田君も自分の仕事があるし、申し訳ないと思わないか?」
すこし説教臭くなってしまったが、上司として、ビシッと指摘すべきことを伝える。
「まあ、申し訳無さはありますけど、むしろ山田君は報連相のお手本として見てるみたいだから、ギリギリいいかなって」
「俺への配慮は……?」
「だって、部長ですし」
「なんだそれ」
俺は盛大にため息をつく。
智佳は賢いし、仕事もできるのだが、なんかずれているように感じる。そういうことで良いのだろうか。
「それに、別に上司に褒めてもらいたいって訳じゃなくて……」
智佳はぼそっと何かを付け足して話したが、うまく聞き取れなかった。
「ごめん、なんて言った?」
「なんにも言ってません!」
明らかに不機嫌そうに声を張る智佳の頬が、少しだけ赤るんでいたのは、きっと気のせいだろう。
「山田君が、後々上司を呼び出すようにならないか心配だな」
「その辺は私が適当に教育しておきますよ」
「反面教師かよ」
思わず笑ってしまった。
「ん」
すると、智佳は早く撫でろと言わんばかりに頭を差し出してきた。
智佳の小さくて可愛らしいつむじが見える。
俺はなにも考えずにそのつむじを右手の人差指で、何も考えずに押してしまった。
「いったあい! なにするんですか!」
「あ、ごめん。つむじがあったから、つい」
「乙女のつむじを押すなんて最低ですよ! 剥げたらどうするんですか! セクハラです! 責任とってください!」
頭を撫でるのはセクハラではなくて、つむじを押すのはセクハラなのか。もはや境界線がわからない。
「悪かったって。つむじを押した責任ってどうやって取るんだよ」
「………撫でてください。そしたら許してあげます」
視線をそらして、照れながらそう言ってくる智佳を、素直に可愛いと思ってしまう。
俺はしょうがないとでも言わんばかりにため息をついて、智佳の頭を撫でる。
「えへへ~ もっと撫でろ~」
「今日は意識がはっきりしていても、それ言うんだな」
「前にも言ったことありましたっけ」
「まあ、気のせいだろう。プロジェクト、お疲れさん」
以前、智佳が体調を崩して甘えてきたときにも同じような事を言ってきたのを、俺はよく覚えている。
本人は意識が朦朧として覚えていないようなので、取りただして言うことでもない。
ただ、無意識下で甘えてきたのとは違い、今回は意識がちゃんとあっても言ってきたということは、やっぱり甘えたいんだろう。
「いいな。俺は上司に褒めてもらうなんてこと、もうほとんどないからなあ」
つい、思ったことが口に出てしまった。
智佳は撫でられながら、少し顔を上げて、ちらりとこちらを覗き見る。
管理職になると、部下のマネジメント、プロジェクトの進行がメインになって、部下の尻拭いをしたり責任をとったりと、怒られることも多くなった。だからといって、俺は部下を怒ったりはしない。それが俺の役割だと思っているからだ。
そう考えていると、上司に最後に褒められたのなんていつ以来だろう……
俺も一人の人間だ。承認欲求だって当然ある。だが、管理職につく以上、自分で自分を褒めて、セルフマネジメントしていくのが当然のやり方だ。
そういう意味では、素直に褒めてほしいとお願いできる智佳を、俺は少し羨ましいと思った。
智佳の頭を撫でながら、そんな事を考えていると、智佳はおもむろに俺の腕を軽く叩いて「もういいですよ」と言ってきた。
俺が手を智佳の頭から離すと、ガバっと智佳は身を乗り出してきて、ゆっくり顔を近づけてくる。
「おい、栗田、なにを……!?」
すると、俺の頭の上に柔らかい小さな手の温もりを感じた。
撫でて……くれているのか?
「部長の髪、ゴワゴワしてますね」
「そりゃ、少しワックスで固めてるからな」
「その割にはベトベトはしないんですね」
「そういうやつなんだ」
ワックスを付けているせいか、頭を撫でると言うより、ポンポンとする方に近い。どちらでも良いんだが、俺はこの状況を理解できなかった。
「なあ、栗田、これは何をしているんだ」
「部長の頭を撫でてるんです。されていてわかりませんか?」
「いや、分かるけど、どうして?」
「部長が、いつも頑張っているからに決まっているじゃないですか」
少し、目頭が熱くなった。
「いつも自分の業務をこなして、自分だって悩み事とかいっぱいあるだろうに、私含めて部下のことを最優先に考えていて、こうやって呼び出しにも毎回来てくれて、経営会議の前なのに仕事を手伝ってくれて、経営会議も遅くまで頑張って、いっぱい頑張っている部長は本当にすごいです。みんな感謝してるんですよ」
人に褒められる機会なんて、ほとんどどなかった。
久しぶりのこの感覚に、俺は危うく泣きそうになったが、必死でこらえた。
「なにいってんだよ。部長なんだから、当たり前だろ」
「その当たり前が、すごいんですよ。私が褒めてあげましょう」
智佳がさらに頭を撫でてくると、俺は「なんで上から目線なんだよ」と言いながら、目尻にシワをよせて、くしゃっと笑った。
撫でられるのも、案外落ち着くものだな。
小さい頃、母親によく甘えていたなあ……
思い出に馳せていると、智佳がおもむろに口を開く。
「部長、ちゃんと家でご飯食べてますか?」
「いきなりどうした?」
「いや、食べてるのかなぁって思って」
「なめるな。ちゃんと栄養バランスを考えてコンビニで手作りのもの買っている」
「威張って言うことでもないですし、それ手作りじゃなくて既成品ですよね」
「あと、たまに料理もするぞ。お湯を注ぐだけで簡単に食べられるやつ」
「因みにカップ麺は料理に入りません」
言葉に詰まる俺をみて、智佳は撫でる手を戻して、手を口に当ててクスクスと笑いだした。
「体調管理も仕事のうちだぞ」
以前に俺が言った言葉を覚えていたのか、わざと俺と同じ口調で嬉しそうに人差し指を立てて話している。
「それ、俺がこの前言った言葉だろ」
「盛大なブーメランでしたねえ」
智佳はまた、クスクスと笑って楽しそうにしている。
「じゃあ、お互いに部長チャージと係長チャージが完了したところで、仕事に戻りますか~」
「係長チャージって、初めて聞いたぞ」
「嬉しくなかったですか?」
「いや、まあ、嬉しくないことはなかったけど」
「じゃあ、よかったです♪」
「失礼します」と言いながら、ご機嫌で智佳は部屋を出ていく。
係長チャージというか、人に認めてもらえるってのは、やっぱり嬉しいものだと改めて心の中で思った。
そして、この呼び出しがこれから先も続くんだろうと考えたが、なぜか嫌な気分ではなかった。
今日はなんだか、初心に返ったような気持ちで残りの仕事に取り組めた。
これがいわゆる、係長チャージなのだろうか。
初めて評価ポイントいただきました!
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これからも楽しく読んでいただけたら嬉しいです!