06 会議
翌朝、目が覚める。
窓を開けると、昨日の雨が嘘のような青空が広がっていて、雨が通り過ぎた清々しい空気が頬を撫でる。
「いい天気だなあ。良い1日になりそう♪」
昨日体調が絶不調だった私だが、一晩眠って、完全に体調が回復した。一晩眠ったからなのか、部長の膝の上で休ませてもらったからなのか、すごく調子がいい。
部長の……膝枕……抱きついて……
冷静に思い出すと、かなり恥ずかしい。なんてことをしてしまったんだ、私は……
記憶はほとんど定かではないが、ものすごく甘えてしまった気がする。部長は普通だったと言ってくれたが、たぶん気を遣ってくれたのだろう。優しい人だ。
昨日のことを思い出すたびに悶えていると、ちょうどパンが焼きあがる音がした。智佳はパンにマーガリンを塗って食べ、会社へ行く支度をする。
体調は全快なのだが、昨日のことを思い出すとどうしても頬に熱がこもるような気がする。まったく、部長のせいだ。
今日どんな顔をして会えば良いんだろう……普通に、今までどおりの態度を取れる自信がなかった。
「とにかく、あまり意識しすぎないように自然体でいこう」
家を出て、眩しすぎる太陽を一瞬だけ手の陰から眺めると、よしっ!と気合を入れて会社に向かった。
「ん~っ!」
午後の業務も中盤に差し掛かり、背伸びをして、一旦集中力を整える。
ふと、部長の方のデスクを見るが、部長の姿は見当たらない。
そう言えば、朝はあんまり視線を送れなかったけど、今日は全然部長を見ていない気がする。私が避けているとか、そういうことではなく。
ちょうど山田君がコーヒーメーカーのところにいるので声をかけてみる。
「山田君、お疲れ様。部長って今日いないんだっけ?」
「あ、係長、お疲れ様です。さっき別の人から聞いたんですけど、経営会議が長引いているみたいですよ。これはフルコースで、夜までかかりそうですね」
「あ、そうなんだ! 部長も大変だね」
「ですね~ 僕は見てもらいたい資料あったんですけどね。係長も部長に用事ですか?」
「あ、えっと、私もそんな感じ。明日の会議のね。」
「上が忙しいとお互い大変ですね」
「そうね。じゃあ、仕事戻るわね。ありがとう」
「いえいえ」
そうか、今日は経営会議だったのか。昨日の体調不良に相まって、自分に関係のないことなので失念していた。
というか、昨日、経営会議の前日で資料作成とか大変だったろうに……そんな状況だったのに手伝おうかって言ってくれたんだ。
「部長、かっこよすぎですよ……」
誰にも聞こえない声で、ぼそっと独り言を呟いた。
夜の8時になっても部長が席に戻ってくる気配はなかった。
◆
経営会議は夜の10時までかかった。
途中休憩があったにせよ、流石にこの拘束時間は疲労というか、ストレスが溜まる。他の部長陣も疲れを隠しきれていなかった。どうやら、俺だけではないようだ。
部長昇進後、初の経営会議だったので緊張でいっぱいいっぱいだったが、資料もなんとか間に合ったし、無事に会議を過ごすことができたので、それだけで自分を褒めてあげたい気分だ。
自分を褒める、と思った瞬間に智佳の顔が浮かぶ。
なんで今、あいつの顔が浮かぶんだよ、と心の中でツッコミを入れる。
智佳みたいに「褒めろ~撫でろ~」と言って甘えたいのだろうか、いや、断じて違う。なんかプライドが許さない。
疲れた頭でそんな事を考えてデスクに戻ると、缶コーヒーが置いてあった。
「お、誰かからの差し入れか?」
缶コーヒーには付箋が貼ってあった。
『 部長へ
会議お疲れ様です!
昨日はありがとうございました (・ω・)
今度、褒めてあげますね(笑)
智佳 』
俺は……考えを読まれたのだろうか。
付箋を読んで、一瞬だけ頭を抱える。
そして、付箋を見ながらコーヒーを口にすると、さっきまでの疲れが嘘のように……とまではいかないが、少し気持ちが楽になった気がした。
素直に、嬉しかったんだと思う。
「なんで、褒めてあげますねって、上から目線なんだよ」
照れ隠しに独り言で悪態をつく。
こんな遅い時間に部下は残っていなかったので、独り言を誰にも聞かれることはなかった。
だから、顔がほんの少しだけ緩んでいても、指摘してくれる人は誰もいなかった。
「ま、昨日のはこれでチャラにしてやるか」
缶コーヒーを最後まで飲み干し、荷物を持って、俺は退勤した。
今日の雲ひとつない天気は夜まで続き、月がきれいだった。退勤の足が軽く感じたのは、きっと会議が無事に終わったからだろう。