05 お呼び出し2(Bパート)
「なんか、今日は調子悪いなあ……」
智佳はデスクでパソコンを叩きながら独り言をつぶやく。
今日は曇天で空気もどんよりしている。体調が悪いのを天気のせいにするのはあまり好きではないが、いつも以上に頭が重く感じる。
こんな日は部長チャージをして元気をもらいたいところだが、体調が悪いせいか業務の進捗が思わしくない。どうしても今日中に終わらせなくてはいけない業務があるのだが、いかんせん、頭がボーッとして集中できない。
「どうしよっかなあ……」
背伸びをしながらつぶやくと、偶然後ろを通ろうとしていた山田くんにぶつかりそうになる。
「おっと……」
「あ、ごめんなさい」
「ギリギリぶつかっていないので大丈夫ですよ!むしろぶつかっても大丈夫です!」
「ふふ、なにそれ。あ、この間は部長を呼んでくれてありがとね。すごく助かっちゃた。」
後輩の明るく気を利かせた冗談に、つい微笑んでしまう。
「全然、お安い御用ですよ。今日は大丈夫ですか?なんか悩んでいたようですけど?」
「う~ん、今日中に終わらせたい仕事があるんだけど進捗が今ひとつでね……情けない。」
「情けないことないですよ。そんな時なんていつものことです」
「自信を持って言わないの!ちゃんとTB組んで、計画立ててやりなさい!」
まるで幼稚園の先生が子供を注意するときのように、優しい口調で指摘する。
「計画を立てても、その通りに進まないんですよね……まあ、そんな時こそ、相談が大切なんですよね!係長!」
「え、あ、そうね。さすが山田君」
「じゃあ今日も部長を呼んでおきますね!」
「えっと、今日は……お願いします」
葛藤の末、部長への甘えたさが勝ってしまった。いや、話の流れ的にここはちゃんと悩んでいるときは相談するんだよという背中を見せるべきということで、山田君の教育の為にもなっていること、と自分を誤魔化す。
「じゃあ、101会議室が空いているから、3時にいるね。部長が来たら声かけてもらっていいかな。」
「了解しました!」
敬礼して元気に返事する山田君を見て、少し良心が痛む。ごめんね。
「あ、あと、今日はパソコンも持ってきてもらうように伝えてもらっていい?」
「なるほど、わかりました。」
山田君は動物で例えるなら、柴犬だろう。なんだかお願い事をすると頼られているのが嬉しいのか、しっぽをふさふさと揺らしているように見える。
幻覚が見えるほど体調が悪いのか、私……
山田君と話した後、少しデスクで作業を進めたが、やっぱり集中力が切れる。今日は少し長めに会議室を予約して、会議室に移動して続きをすることにした。
ネット上で空いている会議室を確認して予約できるのだから、便利な世の中になったものだ。
会議室は6人部屋で、長方形の机に椅子が3つずつ並べられている。
部長の方が役職的に上なので、一応、上座を開けて、出口に近い下座に座る。
場所が変わったことで気合を入れ直し、智佳はパソコンに向かって作業を進めた。しかし、体調が悪化したのか、どんどん頭がボーッとしてきた。我慢ができず、そのまま机に突っ伏してしまった。
コンコン。
ドアのノックの音が聞こえる。きっと部長だろう。今日も来てくれた。優しいなあ。
「大丈夫か?なにかあったのか?」
うっすらとした意識の中で、部長の声が聞こえる。私は虚ろに返答をした。
正直、やり取りの中身までは記憶の定かではない。もう横になりたい。そう思っていたら、身体が動いて、部長の隣の椅子まで移動することができた。そのまま、部長の太ももに頭を乗せ、残りの椅子に身体を預け、全身の力を抜く。
「あ……すっごく落ち着く……」
そう思っていたら、額がひんやりとして気持ちいい。大きくて、やさしい手。部長の手だ。うふふふ、部長は優しいなあ。
そんな事を考えている間に、いつの間にか、私は眠ってしまっていた。
カタカタカタ、パチ。カタカタカタ……
キーボードの叩く音が耳に入ってくる。なんともリズミカルで、聞いていて心地が良い。
そっか、私は寝ちゃっていたのか。どれくらい眠っていたんだろう。
……!!?
私は、ハッとした。
これはいま、どういう状況なのだろうか。
身体は楽になった。すっごく楽になった。頭もそれほど重く感じないし、体調は問題ない。
だが、問題はそこではない。眼の前には部長のスーツの第二ボタンが見え、部長の太ももに私の頭を委ね、挙句の果てに腰に手を回して抱きつくようにして眠っていた。
一気に私は目が覚め、耳まで熱くなったのがわかった。
そして思わず、バッと起き上がって部長から離れた。
「ごめんなさい、ごめんなさい。私、寝ちゃってました……」
いきなり起き上がる私に部長は「おわっ」と驚いていたが、私の顔を見て安心したようにため息をついた。
「おはよう。体調はどう?」
「……お陰様で、だいぶ楽になりました……」
「それは良かった」
時計を見ると、小一時間程寝てしまっていたようだ。
あんなに体調が悪かったのに、部長の膝の上で仮眠をとるだけでよくなるなんて……部長パワー恐るべし……というか、私が単純すぎるのか。
「あの……、ありがとうございました。実はあんまり部長が来てからのことは覚えてないんですけど……私、なんか変なこと言ってませんでしたか?」
部長が顔を背け、咳払いをした。
「いや、体調が悪そうにしていただけで、普通だったよ。」
「そうですか、良かった~」
実は薄れゆく意識の中で、頭を撫でられているというのは、かすかに覚えている。膝枕に頭なでなでの超役得の時に寝てしまうとは……不覚。
「逆に、部長、私が寝ている間に変なことしてませんよね……」
「な……し、してるわけ無いだろ! ずっと仕事してたよ」
「ホントですか~? ちょっと胸を触ってみたりとか、したいなあとか思わなかったんですか?」
「思わないし、してない! 最初、額に手を当てて、少し頭をなでて……それだけだ」
慌てながら恥ずかしそうにする部長。私は解せなかったのでちょっとからかってみる。
「はい絶対ウソ~ 目が泳いてました~ 絶対エッチなこと考えてました~」
なんで解せないかって、ちょっとは……ちょっとくらいは興味持ってくれたって良いじゃない。
私、そんなに女性としての魅力ないのかなあ。
「だからしてないって!」
「ふ~ん、そうですか。部長が紳士でよかったです」
「なんで、そんなに棒読みなの?」
「べっつにー、なんでもないです!」
あからさまに不機嫌そうな顔をする私を見て、部長は小さくため息を付いたかと思ったら、顔をくしゃっとさせて笑った。
「まあ、よくわからんが、いつもの栗田に戻ってよかった」
「……その笑顔は反則」
「なんか言ったか?」
「何も言ってません!」
「ところで、仕事の方は納期大丈夫か?」
智佳は時計を再度確認し、自分のパソコンを見て、すこし考える。
「大丈夫です! 部長チャージが完了した私は無敵なので!」
思わず部長は吹き出して笑った。
「あっはっは、そうか、無敵か! それはよかった!」
笑われたのが少し癪にさわるが、その笑顔は嫌いじゃない。
「どれ、まだ本調子じゃないだろ。少し手伝うから、見せてみな」
「……それじゃあ、お願いしても、いいですか」
これ以上、部長の時間を使わせてしまうことに少々気後れしたものの、ありがたくご厚意を受け取ることにした。
もっと部長と一緒にいれる……
無意識に、ルン、と表情を弾ませる。
「ご機嫌だな」
「はい! 部長のお陰です! ありがとうございます!」
「体調管理も、仕事のうちだからな」
私は「はーい」と小学生のような返事をして、会議室が使える限り、部長と一緒に仕事を進めた。
時折、作業に集中する部長の横顔を、ばれないようにチラッと見ては、軽く微笑んだりしていた。
仕事は納期までに無事終わらせることができた。