博士と掃除屋
愛しい我が子等は、恐らく急激に体力を消耗してしまったのだろう、あの後意識を失い、崩れ落ちるように倒れ、眠ってしまった。
彼女を用意しておいた部屋まで運び、見守りを■■■に任せた後、私は再び先の部屋へ急いだ。
記念に部屋ごと保存しておこうかと思ったが、我が子等としても過去の異物が残るのは余り気分の良いものではないだろう。とはいえ、あの広さを一人で綺麗にするのは非常に骨の折れる作業だ。残念な事に今日は私以外の人手は出払ってしまっている。
私は部屋へ移動しながら1本電話を掛けた。こう言った事はプロに任せれば問題はない。
しかし……私の無間幸福を越えてしまうとは!如何なる死をも退け、部分的にでも生き永らえさせる事の出来る能力なのだが。まさか生まれたてでここまでの力を持っていたとは想像以上であったが……父として実に喜ばしい!実に重畳!そして自分自身の力が、頭脳が優れている事が恐ろしい限りだ……!
などと自画自賛含みの考察をしていると、先の部屋へ辿り着いた。
扉を開けて中に入る。まだ黒煙と焼け焦げた臭いで充満しており、視界は酷く曇っている。異物も変わらず辺りに散乱している。生首があった背後の壁や置かれていたテーブルは爆発の影響を受けて溶解してしまったり、焦げ付きが見てとれた。
何度見ても実に上出来だと惚れ惚れしてしまう。
「どうも!いつもご用命ありがとうございやす!便利屋同盟の掃除屋でございやす!」
中程まで進んだ所で明るく景気のいい挨拶が聞こえ、振り返ると黒煙の中から突如男が現れた。
肌は褐色、短く刈り上げられた黒髪に半面のガスマスクを付け、目にはゴーグルを掛け、ねずみ色のくたびれた繋ぎの作業服を着た、筋肉質でがっちりとしたスポーツマン風の大柄な男がそこにいた。掃除機を肩に担ぎ、そのホースを腕に巻き付け、もう一方の手で彼の腰ほどはある大きなワゴンを引いていた。ワゴンには清掃に使うのであろう布巾や洗剤のボトル、形や長さの異なるブラシなどが入っているようだ。
挨拶にもあったように、彼は掃除屋と名乗る、便利屋同盟の一員だ。掃除にかけては彼の右に出るものはいない。実に職務に忠実で好感の持てる若者だ。
「おう、おう、随分と派手にやったもんだね、旦那!」
挨拶もそこそこに、彼は担いでいた掃除機を床に下ろしながら辺りを見回すと、開口一番そう言った。
「いやいや、今回は私ではないのだよ……」
「へぇ?この悪……いや、いい趣味は旦那の仕業かと思ったけど違うのかい?」
ワゴンから手際よく道具を取り出しながら彼は問う。
「よくぞ!よくぞ聞いてくれたね、掃除屋君!実は……!!」
この機会にと彼に詰め寄る様に、私は彼に今回の顛末を話す事にした。話始めの一瞬、彼の表情が曇ったように思えたがきっと気のせいに違いない。
――約一時間経過。
「……それでだね!私に笑いかけてくれてね!しかもお父さんと言ってくれてだね!いやぁ……久し振りに心が震えたよ……!!」
私の話の間にも彼の作業は進み、部屋中に充満していた淀んだ空気もすっかり晴れ、壁も床もテーブルも元通りになっていた。塵一つなく、まるでこの部屋では何もなかったかのような完璧な仕上がりだった。
「へぇ、それは良かった……!じゃあ俺はこの辺で……」
「そんな!遠慮なんてするもんじゃないさ!我が子等の可愛さときたらだね……!」
作業と片付けを終え、退散しようとする彼を思わず引き留める。私はまだ話足りないのだ!!
「いや、俺は次の仕事があるんで!遠慮じゃねぇんで!」
職務に忠実な彼は片手を前にそう返してくる。
「そうかい?仕事じゃ仕方ないね、また次の機会に話すとしよう!」
「へぇ、楽しみにしてまさぁ。そういや、その娘さん等の名前は決めたんですかい?」
彼は立ち去り際にそう言い、足を止めた。
と、同時に私の動きも止まった。
「あれ?まだ決まってないとかですかい?」
彼は怪訝そうな表情で振り返り、私を見る。
「一応候補はあるのだがね……果たして気にいってくれるのか心配でね……」
両の人差し指を合わせながら困った仕草をしてみる。その光景を見て、彼は持ち帰ろうとしていた道具を置いて、腕を組んで渋い顔になった。職務に忠実ではあるが案外悩み事も聞いてくれる優しい男なのだ。
「ほう、決まるまではとりあえず今までの名前で呼んだら良いんじゃないすか?」
「■■、■■■■、■■■……、その他にももっと沢山の名前があってね、とてもじゃないが呼びきれないのだよ」
「そりゃあ難儀ですなぁ……」
「だろう?だから新しい名前で統一してあげようかと思っているんだ」
「それはいい考えで!娘さんたちも喜ぶんじゃないですか?」
目元を笑みに変え、彼は大きく頷いた。
「そうかね!そう思うかね!やはりそうだろうね!折角、私の家族に入るのだから新しい名前をあげなくてはね!新たな父としてね!」
私も合わせて大きく頷いた。
「ちなみに元々の君の名前は何と言うのかね?参考までに聞いてみたいのだが……」
私のその問いに彼は明らかに表情を曇らせた。
「……俺は元々から掃除屋でさぁ、今も昔もないですよ」
どうやら不機嫌にさせてしまったらしい。
そう言えば、彼等に名前に関連の問いはNGであった!私とした事が何と不注意だった!新たな家族を迎い入れた事で少々気が浮わついていたようだ!
「……おっと!これは失敬!プライバシーは尊重しなければだったね!」
「……そう言う事です。いくら旦那がお得意様でもそればっかりは教えられねぇや」
「いやいや、すまないね、料金に少しオマケを付けさせてもらうよ!それでこの事を水に流してもらっても構わないかね?」
謝罪を込めてそう提案すると、彼は少し表情を緩めた。
「ふぅ……貰えるものは貰っときますがね、今回限りで頼みますよ、旦那」
「まぁ、お得意様の中のお得意様なんでね、由来ぐらいなら教えますよ。俺ら便利屋同盟はきょうだいのそれぞれ得意な事が違うんで。俺は掃除が一番得意だったんで掃除屋なんでさ」
再びの去り際に彼はそう返してきた。
「成る程……特徴を生かしてか、それも検討材料に加えさせてもらおう!」
「へぇ、そりゃあ良かったです、じゃあ今度こそ俺は失礼しやす!御免なすって!」
そう言うと、一礼と共に彼は煙の様にかき消えた。持ってきていた道具も一式なくなっている。そして、彼が立っていた場所には代わりに一枚の紙が残されていた。
――仮面博士様
――今回の代金はサービスで無料に致します!お子様の誕生祝いって事で、今後も末永くご贔屓に!
――便利屋同盟 一同より
落ちていた紙を拾い上げると、それには請求書と銘打たれていたが、本来記載される代金の代わりにそんな文書が書かれていた。
読み上げた後に思わず仮面の裏でニヤリと笑みが出る。
「去り際まで実に素晴らしい!やはり彼等に頼んで正解だった!……と、さて、そろそろ愛しい我が子等の目覚めの時間かね?」
紙を折り畳みしまう代わりに胸元から取り出した懐中時計を見れば、直に他の家族も帰ってくる頃合いの時刻になっていた。
「ふむ、今日は久し振りに家族揃って食事が出来そうだ!」
今日の食事は家族への顔合わせとこれからについて話す事にしようか。
やはり我が子等にはあの名前が良いだろう。
足取りは軽く、私は部屋を後にした。




