幕は開かれようとしている
部屋を出て、彼とわたしが歩くのは廊下の様な場所だった。天井の中央には嵌め込み式の棒型の照明が中央にあり、それは真っ直ぐに設置され光のラインを作っていた。先程の部屋とは違い、薄暗く、打ちっぱなしのコンクリートが殺風景な灰色の景色を映している。端が見えないほど長く長く続く続いているようだった。
彼の腕の中でゆらり、ゆらり。
わたしを腕に抱き、彼は歩きながらそんな話をしてくれた。
「さて、今の話を聞いてどう思ったかね?」
彼は話を終えるとそう問いかけた。
どう思ったか。短くも悲惨極まりない人生を送った少女の事を。まるで覚えがないけれど、頭の奥の方がじわりと痛む。
――それは、もしかして、わたし、の、こと、なのですか?
こちらの方は見ていなかったはずだが、彼はわたしの呟きに反応するように、立ち止まって、ぐっと仮面の顔を近づけてきた。嘴の部分がちくりとわたしの鼻を刺した。
「……やはり君は賢い。君を迎えに行って正解だった」
彼は満足げな声でそう言って、近づけていた顔を放し、また歩きだした。
「私は世界へ招待状を出した。理不尽にも虐げられ、幸せも知らず、ただただ苦しみ続ける憐れな子等を救う為にね。君の元にも届いたのはその内の1枚だった。何百、何千、何万と送った招待状の中で、正確に己の望みを伝えたのは――君だけだった」
他の子達は伝える術を持たなかったのか、わたしだけではなかったのか。苦しみ続けていたのは。でも全くそんな記憶はない。
「残念ながら、私が君を迎えに行った時、他の子等と同じく既に事切れていてね……。実に酷い姿だった。それまで生きていたのが不思議な位にだ」
……事切れていた。と言う事は、わたしは、死んだのか。
じゃあ今のわたしは、一体何なのだろうか。
彼の話は続く。
「他の子等と同じく君の亡骸を回収し、ここへ連れてきた。どの子も酷い有り様で、先程の部屋が埋まるほどの人数が集まったよ。本当に嘆かわしい限りだ……!」
私を抱く手に震えがあった。怒りからかそれとも別か。
「一人一人、亡骸の記憶をさらって、何が彼らに、君に起きたのかを理解した。どんなに惨めだったか、辛かったか、嘆いていたかを、苦しかったかを。私の言葉では言い表せない程だ……」
再度彼は立ち止まり、私の方を見る。多分、今彼は苦悩の表情をしているのだろうと、わたしは思った。
「もっと早くに招待状を出すべきだったと本当に後悔した。私にはそれが出来る力があるのにだ!!実に腑甲斐無い……!許しておくれ……」
そこで一度彼は言葉を切った。
表情は相変わらず見えない。だが、言葉に宿る彼の後悔と慟哭に嘘はないと感じる事が出来た。まだ出会ってから数十分と経ってはいないのに。記憶がない以上、信じる指針がないのもあるのかもしれないけれど。
「私はあの時君達を救えなかった……が、私なら改めて幸せを送る事が出来るのだよ!そう、私なら!」
俯いていた顔を大袈裟に振り上げ、彼は天を仰ぎながら言葉を続ける。まるで舞台上で遠くの観客にまで届く様な、くぐもってはいるが大きな声で。
「私は集めた幾千幾万の憐れな亡骸を全て砕き、細胞一つ一つにまで分解し、凝縮させ、一人分の素体を組み上げた!出来上がった素体は少年にも少女にも幼子にも赤子にも姿を変え、蠢きながら暫く定着しなかったが、先程君の姿で存在を固定させ目覚めた!どの子等よりも強い本能を持ち、望んだ君だからこそ、幾千幾万の魂と命に融け合った中で、実体化出来たのだ!実に全うな結果で、実に喜ばしい事だ!」
わたし、は生き残った、いや甦ったと言うことらしい。幾千幾万の犠牲の上で。わたし一人が。
だから、彼は目覚めたわたしに向けて、我が子達、と言ったのだ。救えなかったその他の命に対する自戒の意味も込めてだろうか。
「……君はこれから幸せになる!幸せにしてみせると、この全能なる父が断言しよう!」
わたしの目を見据えながら、彼は力強く言い切った。
彼を信じても良いのだろうか。彼が語った先の話が本当ならば、わたしは相当に悲惨な人生を終えた。死の間際で彼に助けを求めて、結局は間に合わなかったけれど、何らかの力を行使され、混ざりあった死から呼び戻された。ただ、わたしとしてのの記憶は全くない。名前すら思い出せる気配もない。そんな空っぽの、自分自身も良く分かっていないわたしは幸せになっていいものなんだろうか。
上手く考えが纏まらない。どうかしようにも未だに身体は動きそうにない。
困惑の意味を込め、彼の方を見る。彼は視線を合わせて、ゆっくりと1つ頷いた。
「私を怖がらなくてもいい、愛しき我が子達よ。いや、我が子よ。私は君の新たな創造主たる父として決して裏切らない、今までの人生のように悲しみ、苦しみは決して受ける事はないのだよ」
片手でわたしの頭を優しく撫でながら、諭すように語り続ける。一つ一つの言葉が空っぽなわたしの中に落ちて響いている。
心のあたりがぽっと暖かくなっていく、気がした。この感覚は今までに感じた事がない、と本能的に感じているわたしがいる。これは、安心できている、と言う事なんだろうか。産まれて初めて見るものを親と思い、無意識にも信頼や好意を向けている雛の刷り込みに近いのかもしれない。
父と名乗る目の前の人物は、今の所わたしに好意を持って接してくれており、危害を加えるつもりはないようだ。危害を加えるなら、もっと言えば殺すつもりならば、わたしと話す必要がないし、もっと早くにそうできたはずだ。
事実かそうでないかを判断するのは今のわたしには難しい。思考力と判断材料が足りない。直感的に言えば信頼してもいいのだと感じてはいる。今一つ決断に欠けるのは、記憶はなくともわたしの以前の境遇が深層心理に染み付いてしまっているのかもしれない。沢山の同じ境遇にあった子達がわたしの元になっていると言う話も聞いたからかもしれない。
ここまで考えた上で辿り着いた結論は……、なるようにしかならないと言う非常に単純なものしか出なかった。足掻いた所で生命与奪の権利は彼にしかないのだから。とりあえず今の新しい人生を送ってみる事にしようとそう思ったのだ。
そんな結論に至り、いつの間にか下がっていた視線を上げるとすぐ側に彼の顔があった。思わず身体が跳ねる。
「おっと!驚かせてしまったね!私の言葉を、私を信じるに値するか考え込んでいたのかな?」
笑みを含んだ声で彼はそう問いかける。言い当てた驚きにわたしは返す言葉が見つからない。
「……私も君と同じ立場であったなら、恐らく同じ思いを抱くだろう。優しい言葉を信じて良いのかと、裏があるのではないかと。置かれた状況に流され、鵜呑みにするのは愚か者のやる事だが、君はそうはしなかった。この短い間で思案を重ねていたのだろう?やはり君は賢い子だ!すぐに私を信じなくてもいい!私はこれからの行動で君から信頼を勝ち取るとしよう!君と、君達の父としてね!」
流れるようにわたしへそう語った後、彼はわたしをぐっと抱き締めた。急な圧迫感で少し苦しかったけれど、何だか嬉しく思えたのは間違いじゃないはずだ。
「ふふっ……愛しい我が子へ、私は君に幾つもの贈り物を用意してある。1つはもう君の中に存在している。もう1つはこの先の部屋に用意してあるのでね、もう少しでお目見えだ!」
私を抱き締めたまま、彼は三度歩きだした。彼の足取りは心なしか弾んでいるようだ。うっすらと鼻歌まで聞こえてくる。
何が待っているのだろうか。全く想像が出来ない。
不安を抱えたわたしと裏腹に、愉しげにあるく彼。
通路はまだまだ続いている。




