恐らくは■■■■■、見知らぬ■
アップデートから復帰したマザーさんがこちらに歩き出していた。まるで鉄の固まりになったみたいだったのに今は生き生きとして見える。なんだかホッとした。
「おお、マザーよ!書き換えは順調だったかね?」
彼女は父の呼び掛けに歩きながら一つ頷きを返した。
「エエ、旦那様。滞リナク、完了致シマシタ」
わたしの前に立ち、もう一度一礼する。
「オ嬢様方、私如キニ、ゴ心配ヲ頂イタヨウデ…」
彼女は申し訳なさそうな口調でわたしに言った。動きを停止していた間もわたしと父の会話は聞こえていたらしい。
わたしはふるふると頭を横に振った。
――じじょうは、ききました、もどって、くれて、よかった、です。
わたしの言葉を受けて、マザーさんは顔の前、丁度口に当たるぐらいの所で両手を合わせた。画面に映る輪は黄色に変わり、大きく弾んで見える。
「オ嬢様方!何ト勿体無イオ言葉デショウ……!」
表情があれば今にも泣き出しそうな雰囲気だ。
今更だけど、画面に映る輪は感情の揺らぎを、色で喜んでいたり悲しんでいるのを表しているのか。
今は驚いているのと喜んでいる………みたい?
ちらりとマザーさんを見れば、こちらに視線を合わせて、一つ頷いた。多分合っているみたいだ。
さっきもらったネックレスが早速役に立ったと言うことだろうか。マザーさんにも通じると言うことはほぼ全てにわたしの考えが筒抜けになってしまうと言うこと?
……とりあえず、とんでもない考えだけはしないようにしよう。
「おっと!伝え忘れていたね!愛しい我が子等よ!ブレスレットの飾りの部分を回してごらん!」
そうすれば君の考えは回りには通らないよ、と父が付け加えてくれた。
確認すると、手のひら側にあった飾りに当たる部分、確か遺骨だと言っていた所が回転する仕様になっていた。手のひらを起点に回してみると白かった骨が黒く染まった。
「そう、そうすれば君達の意思の送信がOFFになる!父にもマザーにも内緒の思いがあればそうしてみるといい!」
もう一度回すと骨は黒から白に戻った。これで元に戻ったらしい。送信が出来ていない事はわたしには確認しようがないけれど、考え事の時は使ってみることにしよう。
「フフフ、良ウゴザイマシタネ、オ嬢様方」
わたしはマザーさんに向かって肯定の頷きを返した。
頷きを返した直後だった。
マザーさんの画面に一瞬ノイズが入った。それから彼女は画面の端に手を添えて、思案するような体勢になり、すぐにこちらに視線を向けた。
「……旦那様、オ嬢様方、オ子様方ガゴ到着ノヨウデス」
彼女がそう告げると、父は弾むように勢いよく椅子から立ち上がり、大きくテーブルを打った。
「おお!漸くかね!」
「ハイ。モウ間モナクカト」
そうかね!と呟きながら、スーツの襟を整えたり、仮面の位置や髪型を整えたりと父は何だか落ち着かない様子だ。その場をトコトコと歩き回っている。まるで子供みたいだ、と思った。
対してマザーさんは落ち着いて佇んでいた。その場で微動だにしない。ただ、彼女の画面内の輪が黄色く弾んで見えるので、多分喜んでいるのだろう。
お子様方とは、わたしのきょうだいになる人達だろうか。
そう言えば、わたしは他の家族について全く話を聞いていなかった事に気づいた。
先程部屋に入った時に見た椅子の数は、父の分を除いて6つだった。マザーさんの分もあるだろうから、残りは5つ。わたしの分があるか分からないが、あるとすれば残りは4つだ。つまり、これから4人もしくは5人のきょうだいが来る事になる……はずだけれど。
どんな人達なんだろう。全く想像がつかない。
受け入れてもらえるだろうか。急に現れたに近いわたしを。
直感で分かるのは、個性的な面々だろう、と言うことだ。だって、父からしてああなんだから。
スカートの端をぎゅっと握り、俯く。不安と期待が入り交じった複雑な気持ちだ。
そんな事を考えていると、不意に体が浮かんだ。驚いて顔を上げるとそれは父だった。いつの間にかマザーさんも側に来ていた。
わたしを抱き上げて、明るい口調で言う。
「愛しい我が子等よ……、心配は無用さ!他の我が子等もマザーと同様で直ぐに受け入れてくれるとも!間違っても君を傷付ける筈がない!」
「ソウデス、皆様トテモ個性的デハアリマスガ、皆様優シイ方々デスヨ」
私達は家族なのだから!と強く言い切られてしまった。
父やマザーさんが言うのだからそうなんだろう。多分。
……何かあればあの力を使えばいい……!
……皆殺しなんて簡単でしょう……?
……思いのままに自由に殺っちゃえよ……!
頭の奥、片隅でそう囁く声が聞こえた気がした。
目を閉じて深呼吸する。あの時に聞こえた内なる声達が騒ぎ始めたようだ。すっと父やマザーさんの声が遠くなっていく。
わたしは思う。内なる彼等に伝えるように。
あの力、父がわたしにくれた能力は使わない。少なくとも身の危険を感じるまでは。
……貴方がそう言うなら好きにすればいい……
……でも、努々忘れるな……
……お前は俺達の屍の上に立っている……
……何時でもお前の首を狙っているぞ……
……私達は貴方なんだから……
ある意味それぞれに一方的に言い放って内なる声達はすっと気配を消した。恐らくはわたしの精神が弱くなっている時に淵から現れるのだろう。
来るなら来ればいい。別にわたしはこの身体に固執している訳ではない。偶然にもわたしだっただけだ。もしそうなった時はその時だ。
わたしはゆっくりと目を開いた。間近にあったのは父の仮面だ。どうやらわたしの顔を覗きこんでいたらしい。流石に慣れた。
「きょうだいと話は出来たかね?」
開口一番に父は言う。わたしは肯定の頷きを返した。
「ふむ、それは良かった!きょうだいは大事にしたまえよ!」
その直後だった。
ふと見えた扉の隙間から何かが流れて来るのが見えた。
それはゆらりゆらりと波打つように壁を、天井を、床を這っていく。
あれは……、煙だ。火の気なんて全くなかったはずなのに。
まるで生き物のようだ。音もなく少しずつこちらに迫っているようにも見えた。
何処かで火事が起きている?でも焦げ臭い感じも息苦しい感じもない。
父とマザーさんを見るが、慌てている様子も驚いている様子も微塵も感じられなかった。
見れば父の足元まで煙は迫っていた。わたしは反射的に身を強張らせた。
「……おやおや、そんなに身構えないでくれよ……」
突然、部屋に声が響いた。それは父でもマザーさんでもない、勿論わたしでもない。全く聞き覚えのない男性の声だった。
――だれ、ですか?
思わず口が動く。だが、返答はない。
すると、こちらまで這っていた煙が引き、一ヶ所に纏り始めた。纏り始めた煙は徐々に濃い白になり、次第に何かを形作っていき、人のような形になった。
人形のその煙はゆっくりとこちらに向かい動きだした。
わたしは目が離せなかった。距離が縮まる度に鼓動が早くなる。逃げ出そうとは思わなかったけれど、縋るように父の胸に頬を寄せた。
「……その辺にしておきたまえよ、フール」
愛しい我が子等が怯えているじゃないか、と呆れた様子で父が口を開いた。
「ハハハ!そうかい?」
フールと呼ばれたその人形の煙は笑いながらそう言うと動きを止め、その場でクルリと回って見せた。
回転と共に覆われた煙が消えていき、最後には男性の姿が残った。父と同じぐらいの背の高い、褐色の肌の男性だ。
「おう!はじめまして、だな?俺はフール。バベルの一族、この家の長男だぜ!」
そう言うとニッと歯を見せて笑った。
どうもきょうだいとの初対面になったらしいが、今のわたしは目の前で起きた事が衝撃的過ぎて言葉も出なかった。




