ヒグマとの再会 in ファミレス
製造ラインを流れてくるマネキンの頭にパンツをかぶせる仕事をしている俺は、今日ファミレスで友達と会う約束をしていた。
外ではスズメがけたたましい声でさえずっていて、街行く人もチュンチュン鳴いている。
「よう成瀬、元気そうだな」
入り口の方から二足歩行のヒグマが歩いて来た。
「お前も相変わらずヒグマだな」
俺も笑顔で手を振った。
彼の名前はヒグマ。一年前に森を歩いている時、ヒグマの仕掛けたオフサイドトラップに俺が引っかかったのが出会いだった。
ヒグマには高い知能があると聞いていた俺は、手に噛みつかれながら説得を試みた。
「そんなに頭が良いのなら、都会に出て正社員になったらどうだ」
俺の助言を聞き入れたヒグマは東京に引っ越して来て、マーケティング営業の仕事を始めた。
「仕事の調子はどうだ?」
俺は緑色のオレンジジュースを飲みながらヒグマに尋ねた。
「難しいね」
ヒグマは隣の客をベロンベロン舐めながら苦笑する。幾ら知能が高いといえ、彼はサッカー畑の人間だ。分からないことも多いのだろう。
「俺はスーパーに生肉パンを置いてもらうように頼む仕事をしているんだが、どの店長も頭が固くてね」
「美味しそうなのにね」
「でも一社だけ置いてくれたスーパーがあったんだ」
「へえ、クソみたいなスーパーだな」
「あそこの店長は先見の明がある。きっとあのスーパーはハイパーになると思うよ」
「ハイパー」
俺たちが久しぶりの会話に花を咲かせていると、スマホにメッセージが届いた。
俺の彼女のバラモスからだ。
『お前の彼女は預かった。返して欲しければ3リンギットを持って新宿のに焼肉バイキング【魚地獄】まで来い』
※リンギットはマレーシアの通貨。1リンギット=約30円
俺は一気に青ざめた。これは誘拐犯からのメールじゃないか。なぜバラモスが捕まったんだ! しかも身代金を用意しろだと!?
「成瀬、どうかしたのか?」
俺の異変を察したヒグマが声をかけて来た。
「バラモスが魚地獄にいて3リンギットが必要なんだ」
「3リンギット!? そんな大金払えるわけ……!」
俺の貯金を全て下ろせばどうにかなるかもしれない。でもそんなことをしたら今日の晩御飯が買えなくなってしまう!
「マレーグマに聞いてみよう」
ヒグマは耳からスマホを取り出し、流暢なスペイン語で電話をかけ始めた。
だがヒグマの表情はどんどん険しくなっていった。
「成瀬、ダメだった! 奴は現金を全て仮想通貨に変えていたんだ!」
使えねえ毛玉だな!
「しょうがない! 金はないけど助けに行くぞ! 」
とは言ったものの、ここから新宿の魚地獄までは直線で300mの距離がある。そんな長距離をどうやって移動すればいいんだ。
「おい、良いことを考えついたぞ!」
「なんだ!」
「俺がお前に乗っていけばいいんだ!」
「その手があったか!」
俺はヒグマを背負って走り出した。
***
二か月後、魚地獄に辿り着いた俺は、ガラス戸に向かってヒグマをぶん投げた。すごい勢いでガラスが飛び散っている。
「バラモス! 元気か!」
あえて扉から入って俺は叫んだ。
「成瀬君! 私の名前はバラモスじゃなくてクルンパよ!」
クルンパは焼肉を両手で頬張りながら叫んだ。口から肉が飛び散っている。
「ククク、約束の金は持って来たか?」
声の主はクルンパの横の鉄板の上に寝そべっているスキンヘッドの男だった。
「金はない。だがクルンパは返してもらうぞ」
俺は男たちが座っている席へ向かってにじり寄る。
「おっとそれ以上近づくんじゃねえ! それ以上近づいたらこの女にリコーダーを吹かせるぞ!」
男はクルンパにオーボエを突きつけながら叫んだ。
くっ! なんて残酷なことを!
「成瀬くん! 私のことはいいから! 私の心配はしなくていいからアイス取って来てえ!」
クルンパは泣き叫びながら肉を撒き散らす。
「ヒヒ! このオーボエは俺が小学生の頃使っていたものだ! 中学生になってからはビリヤードの玉を突くやつとして使っていた。高校生になった俺は飼育委員になってこのオーボエとは疎遠になった。互いを思う気持ちは確かにあった。でもそれは俺の髪と同じように薄れていったんだ」
男が涙を浮かべている今がチャンスだ!
俺は男に向かって駆け寄った。
「動くなって言っただろうが!」
無情にも、クルンパの口の中にオーボエが挿入され、子気味良いメロディーを奏で始めた。
ピッピピー!
「貴様あああああ!」
俺は怒った。もうムカ着火ファイアーインフェルノだ!
でも、でもどうすれば……!
「成瀬くんお願い! 私の肺活量が尽きる前にアイス取って来てえ!」
クルンパはオーボエを吹きながら鼻から言葉を発している。まるで将棋だな。
「俺に任せろ!」
隣の客の席で肉を頬張っていたヒグマが立ち上がった。
「おいそこの男、クルンパちゃんを離せ」
ヒグマを確認した男の顔はみるみる青ざめていく。
「お前ら正気か! こんなところにヒグマが入って来たら食品衛生法に引っかかるぞ!?」
「だったらなんだっていうんだ!」
「店の防御システムが作動して爆発するんだよ!!」
次の瞬間、俺たちは凄まじい爆風に巻き込まれた。
※※※
廃墟と化した魚地獄から俺は立ち上がった。
ヒグマもすでに起き上がっていて、クルンパはオーボエを吹いている。
「俺の、俺の負けだ……」
スキンヘッドの男は廃墟に埋まったまま、顔だけを地上に出していた。フキノトウのようだ。
「これに懲りたらもう誘拐なんかやめるんだ」
俺は男の頭にひまわりの種を植え付けながら言った。
きっと夏には男の心は穏やかになっていて、それと同時に綺麗な花が咲くだろう。
さあ、今年も夏がやってくる。
おわり
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