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花火のような笑みでした

作者: 有瀬川辰巳

 おはよう。

 その声を聞けば、僕はいつでも嬉しくて、暖かな気持ちになれた。

 バイバイ。

 その声を聞けば、僕はいつでも寂しくて、寒気を感じるほどだった。




「もうすぐお盆休みだけど、予定って何かある?」


 花火が鳴り響く、ある日の仕事帰り。隣を歩く少女から私はそうたずねられていた。

 長く艶やかな黒髪。くりくりとした瞳。頭は、私の胸くらい…背丈からして、中学生くらいだろうか…そして、なぜかはっぴを着ている。


「特には…それが?」


 突然の質問に、なぜか私は真面目に答えていた。

 その声に、なぜか聞き覚えがあるような、そんな気がしたからだろうか…。


「そっか…良かった。じゃあ、今からの予定は?」


 家に帰っても、一人で特にやることはない。というのも、私は無趣味だからだ。


「特には…って顔してる」


 私の考えを見透かしたような言葉。驚きとともに、私の視界が上下に揺れる。


「やっぱりそうだよね。スズヤさん、故郷から離れちゃったみたいだし…趣味もないって前に言ってたし」

「…ずいぶん、私のことに詳しいようだね。お嬢さん」


 それは私にできる精一杯の発言だった。

 なぜ私のことを知っているのだろうか。この少女とは、どこかで話でもしたのか…? 取引先の娘さんか誰かだったろうか…。


「まあね。スズヤさんのことなら結構いろいろ知ってるよ? 今年で二十五歳だっけ? 身長は…百七十二センチ。これは目測だけどね。それにしても、お嬢さんなんて…堅苦しい呼び方やめてよ、スズヤさん」

「あ、ああ…すまない。君は私のことにずいぶん詳しいようだが、どこかで会った事があっただろうか?」


 …ストーカーか何かだろうか。このような少女が、私を? まさか、な…。


「うん、会ってるよ? スズヤさんは忘れちゃったかもしれないけど、私はしっかり覚えてる」


 そう言う少女は、笑っているが、とても寂しそうだった。

 しっかり覚えているということは、それだけ印象的なことを少女の前でしたのだろうか。

 それだけのことがあったなら、なぜ私は覚えていないのだろうか…何か覚えていても良いものだが。


「忘れるなんてひどいなー、スズヤさんは」


 だが、そう言う少女は明るく、先ほどの憂いを感じさせない。


「…すまない」


 それでも、少女の言葉に少し罪悪感を覚える。その時、いいことを思いついたという表情をして、少女が私の腕をつかんだ。


「それじゃあ、もう二度と私のこと忘れられないように、一緒にお祭りいかない?」


 お祭り? ああ、それではっぴを着ていたのか…しかし、事案扱いされないだろうか。

 いや、待てよ…それ以前に、祭り?

 そういえば、このあたりで祭りなどあっただろうか…聞いた覚えがない。


「小さなお祭りだから、出店とかあまりないかもしれないけどね。それでも私のこと覚えててもらえるくらいのことかなー、って」


 そう言って私の腕を引き出す少女。その力は外見の割に強い。


「ま、待ちなさい。君は良くても、私は少し、都合が悪いというか…」

「そんなことないよ。ほら、私はひょっとしたらスズヤさんの、大事な大仕事が成功するかどうかを握ってる人の娘かもしれない!」


 大事な大仕事…確かに任されている…社の命運がかかっているとまで言われる、大プロジェクトだ。

 その事まで知っているとなると、この少女は本当に取引先の重役か誰かの娘かもしれない…。


「私と一緒にお祭りに行ってくれるなら、スズヤさんのお仕事が成功するようなこと、お父さんに言ってもいいかなー…?」


 にやにやと笑う少女。花火に照らされるその顔を見て、ため息をつきながらも少女に従うことに決める。


「…分かった。そのお祭りに一緒に行こう」

「やったー! スズヤさんとデートだ!」

「…ところで、君の名前は?」


 …道端で少女にデートだと叫ばれている状況に問題を感じる。そう思ったが、名前で呼ばれているのにこちらは“君”としか言えないのでは少し話しにくい。とりあえず、名前を聞いておくべきだという考えを優先させる。


「…どうしようかな…じゃあ…スズヤさんの恋人の呼び方で呼んでもらおうかな! なんて呼ぶの? マイハニー?」

「…なぜそのようなチョイスを。そもそも、私に恋人はいない…そこは知らなかったのかな?」

「あ、そうだった。まあ、名乗ると面白くないからスズヤさんの好きなように呼んでね! それで、早く私の事思いだして!」


 思いだして、か…やはり、私は少女とどこかで接点があるらしいな。早く思いださなくては…。


「でも、うれしい。スズヤさんと一緒にお祭りなんて、絶対行けないと思ってたもん」

「娘でもないのに、君くらいの年の子と祭りとは、な…」

「なによぅ。いやなら、いやって言ってよ。お父さんに私がなんていうかわからないけど」

「冗談だ。私も君みたいな子と祭りに行けるとは思っていなかった。身に余る光栄だよ」

「そう思ってくれると嬉しいな。それじゃ、お祭りはこっちだから、ついてきて」


 そう言うと、少女は私の腕を離し、小走りで案内を始めた。

 体格差のために私は普通に歩いて、少女と同じくらいの速さというところ。慌てることなくその後を追う。


「それと…今日のお祭りは特別なの」

「特別?」

「うん。大切な人と一緒になれるお祭り。神社の一番奥まで行って、キスをして…そうしたら、二人はずっと一緒になれるって、言い伝えがあるの」


 …ずいぶん、恋人向けの言い伝えだな。だが、このくらいの女の子の受けは良いのだろう。


「…この言い伝えが本当だったとして、スズヤさんには…いる? ずっと一緒にいたい、大切な人」


 私の前を歩きながら、少女はそう問いかけてくる。


「…いないと言えば嘘になるが、いると言ったところで、その人とはもう一緒になれない」


 記憶の片隅には、その人物の記憶は確かにある。

 ただ、私はもうその人の顔も思いだすことができない…。


「その言い方…死んじゃった人のこと?」

「察しがいいね…そのとおりだよ」


 あの人と暮らした日々は、決して忘れないし、忘れたくない。

 だが、私の記憶からは、その人の顔がすっぽりと抜け落ちてしまっている。


「…詳しいことを、私は知らない。だが、私の目の前でその人は亡くなってしまったらしい。ちょうど、君くらいの年ごろでね…」

「らしい? スズヤさんの目の前で死んじゃって、なのにスズヤさんは知らないの?」


 少女がこちらを振り返りながらそう尋ねる。


「ひどい死に方をしたと聞いている…その光景から自分の心を守るために記憶がどうかなってしまったのだろう。その人の顔すら、私には思い出せない…写真はあるらしいが、どうにも見る勇気が出てこない…それと、見せてもらえないというのもある。

一度見て、ショックで倒れたことがあってね。またそうなったらと周りが心配して、結局あの人の写真を見たのは、それが最初で最後だ…結局、その時見た顔も忘れてしまったのだが」


 …これは、少女に語るには重い話だったろうか。


「その人、幸せね」


 そう思った時、少女は不意にそう口にした。


「顔も思いだせないのにそこまで言ってもらえるなんて、きっとスズヤさんにとても大切にされていた人だもの…私だったら、幸せだなぁ」


 そう言う少女は、嬉しいような、悲しいような…複雑な表情をしていた。


「…そうだね。少なくとも私は、その人のことが好きだったよ…その人が私をどう思っていたかまでは、分からないが」

「大事にしてくれる人を嫌う人なんていないよ。その人もスズヤさんのこと、好きだったんじゃない?」

「だとしたら、それは嬉しいことだね」


 あの人と過ごした日々を思い返すと、自然と笑みがこぼれる。

 独特の感性を持ち始め、異性を異性と認識しだすあの頃。

 そのころに、一緒にいてくれたというだけのことだが…彼女は私を好いていてくれたのだろうか…。


「…そんな顔もするんだ。さっきからずっと硬い顔だったから、スズヤさんは笑えない人かと思っちゃった」

「…? 私は、今笑っていたかい?」

「うん。どこか憂いを帯びた、大人の笑みって感じのを、少しだけ」


 …これでも、あまり歯を見せないと言われた覚えがあるのだが…やはり、彼女の事となると、特別なのだろうか。

 それも当然、か…彼女は、きっと私の初恋だった。

 そして、おそらくは最後の恋だ。


「あ、やっと見えてきた…スズヤさん、ここからしばらく階段続きだけど、体力に自信はある?」


 いつの間にうつむいていたのだろう。少女の声に顔をあげると、そこには長い、長い階段があった。長すぎて、終わりが見えないほどだ。


「運動は通勤の時にエスカレーターやエレベーターを使わず、階段を使うぐらい…この段数は厳しそうだ」

「あはは、スズヤさんってば、おじさーん」

「…まだ、お兄さんくらいのつもりでいたが…そうか。私は、君から見たらおじさんか」


 思わず苦笑しているのを自覚する。この少女に笑い顔を見られるのは、これが二度目か…。


「この段数だから、途中の踊り場みたいなところに飲み物の屋台なんかがあるかもしれないし…がんばろ、スズヤさん。あと、そろそろもうちょっとキュンキュンする呼ばれ方したいなー? 名前呼び捨てとか!」

「…そう言われてもな。私はまだ君の名を思いだせない」

「しょうがないなぁ…もう、いいよ。お祭りが終わるまでには思いだしてよね!」


 そう言うと、少女は、とてとてと階段を数段駆け上がる。

 ここからは、若さに負けて少女に置いて行かれそうだな…そう思いながら、私も階段を上りだす。


「それにしても、女の子の名前忘れるなんて、色気がないなぁ…そんなんじゃ、お嫁さんもらえないよ? あ、恋人もいないんだっけ」


 次々に打ちあがる花火を見ながら階段を上って行くと、ふいに少女がそうからかってきた。


「構わないよ…私は、独身貴族と言うやつになってやろうかと思っているからね」

「えー、スズヤさんイケメンなのに? 数々の浮名を流してそうなかっこいい顔してるのに? っていうか、その若さで独身貴族? もったいないなぁ」

「…そんなことを言われたのは、あの人以来だよ。私はいたって一般的な顔さ」


 好きな人から見れば、悪いところも良いところに見えるんだよ。

 彼女は、私にそう教えてくれたことがあった。

 …その言葉通りで考えれば、少女と彼女は私に好意を持っていることになるが…まあ、それは置いておこう。


「あの人、かぁ…ねえ、スズヤさん。その人との思い出って、何かあるの?」

「そうだね…忘れてしまったのは顔だけで、何を一緒にしてきたかくらいなら覚えているよ」

「聞かせて? その人のこと。スズヤさんが大切に思った人のこと、知りたいな」


 やはり、少女くらいの年ごろだと恋の話を面白がるのか?


「君に楽しんでもらえる自信はないが、それで良ければ」

「うん! 聞かせて、聞かせて?」


 楽しそうな少女。まあ、楽しいものではないと前置きしてこれなのだ。話すだけ話してみよう。


「…今は夏、か。そうなると、小学校入りたてくらいの時のことを思い出すよ。私の実家は、少し古い和風の家でね。

 実家は田舎の方。近くにきれいで、冷たい川なんかも流れている。家族はみな果物や夏野菜が好きだから、そこで冷やしたキュウリなんかをかじっていた…。

 ある年、あの人の家で育てていたスイカが豊作で、私の家におすそ分けしに来てくれたんだ。川で冷やしたスイカを食べたい。あの人はそう言っていたから、その次の日の学校帰り、私の家に誘って、実際に食べてもらった。

 夕焼けの中で、その人と話しながら、縁側でスイカをかじって…育て方がうまかったのだろう。そのスイカは塩なんてかけなくても十分甘くて…あの味は今でも覚えている。

 しかし、だ。種をどちらが遠くまで飛ばせるか、なんてことをしていたら、いつの間にかあの人の家の門限を過ぎてしまった」

「大変…小学生だと、怒られるんじゃない?」

「ああ。あの人はそれが怖くて家に帰れない、といいだしてね。だからと言って家に泊めたりすれば、もっと叱られるだろうことも分かっていたから、私がついて行って理由を説明する、ということで一緒にあの人の家まで歩いていった。

 普段より暗い道は不気味に思えて、いつの間にか私とあの人は手をつないでいた。あの人は私が怖そうだからつないでるだけ、と言い張っていたが、本当はあの人のほうが怖がっていたと思うよ。

 そして、あの人の家についた。怒られるんじゃないか。そんな怯えからか、あの人の指は震えていたが、チャイムを鳴らした。

 遅いから、玄関で待ち構えていたのだろう。あの人のご両親はすぐに出てきて、どうして遅くなったのかを問いただし始めた。

 あの年ごろだと、怒っている大人というのはなかなか怖いものでね。私まで震えてしまって、変なことを…口走ってしまったね」


 途中まで話して、少し恥ずかしい思い出だったことに気付き、そう言葉を濁す。


「…そう、なんだ…変な、言葉ってどんなことを言ったの?」


 階段上りにつかれたのだろうか。とぎれとぎれで少女はそう尋ねてきた。


「…いや、大したことではない。緊張しながらだと、ああいうことを言う物なのだろう…」

「大したことじゃないなら聞いたっていいでしょ?」


 少女の声は、真剣そのもの。なぜこの話にそこまで興味を?


「…まあ、ある意味子供だから言えた言葉だよ。

 クミちゃんは、僕がずっと守ります。だから大丈夫です。

 …それだけさ。そういえば、あの頃の私は、自分のことを僕と言っていたな…そんなことも忘れていたとは、彼女と過ごしていた日々を少し忘れてしまっていたのかもしれない。

 君が思いださせてくれたよ。ありがとう」


 三度目の笑いが浮かんだのを自覚して、この話を終える。

 どうだろうか…少しは楽しんでもらえたと思うのだが。

 しかし、少女は黙々と階段を上るだけで、何の反応も見せない。


「…つまらなかったかい?」

「え…あ、ごめんなさい。ちょっと、疲れちゃった…かな、うん」

「そうか…おや、あれは…出店か? 飲み物があったら飲んで、少し休もう。まだ先は長そうだからね」


 道半ばというところだが、それでもまだ先は長い。随分高い場所に作られた神社だな…。

 出店のところまでたどり着く。場所が場所だからだろう、登り疲れた人向けに飲み物が用意された出店だった。


「ちょうどいいな…君は、何かリクエストはあるかい?」

「じゃあ、炭酸系がいいなぁ。すっきりしそう」


 そう言いながら少女は石段に座った。よほど疲れていたのだろう。そのひたいには汗が浮かんでいる。


「分かった…すいません、ロイ・コークと麦茶を一本ずつ」


 店主に代金を渡し、品物を受け取る。


「スズヤさんって、麦茶好きなの? 前も麦茶買って飲んでたし」


 前も、ということは…少女には私が飲み物を買うところでも見られていたのだろうか。そうなると取引先の娘さんと考えるのは難しい気がしてきたが…。


「ああ。子供の頃から好んで飲んでいる。成人した今でも、ビールより麦茶派だ」

「そんなに好きなんだ…どうして?」

「どうして、と言われても…まあ、あの人と一緒にいる時間は麦茶をよく飲んでいたから、かな。あの頃に戻った気がして、落ち着くんだ…懐かしいからかな」

「…スズヤさん…さっき言ってた女の子。その人の顔、思いだせないんだよね? でも、懐かしくって、もう一度会えたら、一緒になりたいくらい好き、なんだよね?」


 飲み物に口もつけず、少女はそう尋ねた。

 その言葉に、私は麦茶を一口飲んでから答える。


「ああ。彼女は、私にとって一生特別な人だよ」

「…なんで?」


 うつむいて言う少女は、どこか恐ろしさを感じるまでに思い詰めているように見える。


「スズヤさんに大切にされてて、それなのにスズヤさんに好きかどうかも伝えずに、目の前で交通事故にあって死んじゃうような女の子のどこが特別なの!?」

「……!?」


 交通事故…? たしかに、あの人が無くなったのは交通事故が原因だと聞いている。

 だが、ここまでに交通事故という単語は一度も出していないはず…なぜだ? なぜ、この少女はそこまで知っている?


「ひどいじゃない! 好かれるだけ好かれておいて、自分はそれを当然のように享受して…っ! それなのに、スズヤさんには何もしないで…死んで! そんな子、ひどすぎるわ!」

「…君がなぜそこまで怒っているのか、私は鈍感だから分からないが…彼女の事をあまり悪しざまに言わないでほしい。あれは、不慮の事故らしい。少なくとも、彼女は悪くないはずだ」

「だとしたって…! そんなの、ずるいもの…スズヤさんが独身貴族になるなんて言ってるのも、その子が大事すぎるからでしょう? 顔も覚えてないのに、出来事だけ覚えてて…そんなんじゃ…スズヤさん、きっと誰かを好きになれない…」


 終わりの方、少女は泣きかけていた。


「そこまで私の事を考えてくれているのは嬉しいが…大切な人の思い出と共に生きていくのも、そこまで悪くはない。今、私はそう思う」

「…そう、なんだ…」


 そっとハンカチを差し出し、神社の方を見据える。


「さあ、半分くらいまで来たんだ。頑張って行こう」

「うん…いかないと、いけないもんね…」


 先ほどまでとは違い、私が前を、少女が後ろを歩く形で階段を上りだす。

 すん、すん。そんな音が聞こえるから、少女がついてきているのは分かる。

 やがて、階段を上りきり、鳥居の向こう側がようやく見えた。

 少女は小さなお祭りだと言っていたが、金魚すくい、射的などかなり充実している。


「…どれも故郷でよくやった屋台ばかりだな。なにか、懐かしい」

「じゃあ私と一緒に、何かやって? あ! あの射的屋さん、結構いい景品あるよ!」


 そう手を引く少女。どうやら、元気になってくれたようだ。


「スズヤさん、あれ! あれとって!」


 少女が指さすのは、なかなか大きなぬいぐるみ。あれは…コルク鉄砲程度で落とせるのか?


『スズくん、あれ! あれとって!』


 そう思った時、あの人ともこんなことがあったなと思いだす。


「ごめん、あんなに大きいのは僕じゃ無理だよ」


 そう口にしてから、なんとなく気恥ずかしくなる。


「…す、すまない。今のは忘れてくれないか。君が彼女と同じようなことを言ったものだから、思わず口調まで昔に…」


 目をぱちくりさせながら聞いていた少女は、私が語り終えると大笑いしだした。


「あはは…そっか、私、同じようなこと言ったんだ…でも、スズヤさん。昔の口調のままでいいよ。私をその子だと思って、いろんな遊びをしよう?」


 少女を彼女と思って、か…確かに、彼女の明るく、マイペースな行いは、少女のような外見の子がしたら絵になりそうだ。


「わかったよ。さて、それじゃあ、ほかの景品にめぼしいものってあるかな? やるだけやってみるけど」

「うーん…甘いもの食べたいなぁ…じゃあ、とりあえずあのキャラメル!」

「まかせて」


 パン。見事命中。ちょうどいいところに当てたために、一発で景品を手に入れた。


「わぁ、スズヤさんって射的うまいんだ」

『わぁ、スズくん射的上手だね!』


 少女の言葉に、彼女の言葉が重なって聞こえる。ああ、本当に、この子は彼女と言うことが似ている。


「これでも、昔は地元の祭りによく行ったからね。これならたいしたことはないよ」


 残りは…四発か。とりあえず、小さなぬいぐるみを狙って撃ってみる。

 命中こそするが、それなりに重いのだろう。それだけで落ちてはくれなかった。

 しかし、もう一発当てれば落とせる範囲ではある。もう一回狙って撃ち、ぬいぐるみを落とす。


「はい、どうぞ。欲しがっているものよりは、だいぶ小さいけど」

「ありがとう! スズヤさんにプレゼントされちゃった…大事にしよっと」

『スズくんからのプレゼントか…大事にするね』


 またも二人の言葉が重なる。

 そこで、あの時やったことをまたやってみようと考え付く。


「店主、鉄砲をもう一丁借りるよ。さてと…」


 借りた鉄砲にもコルクを詰め、それを少女に渡す。


「いち、にの、さんで一緒にあの大きなぬいぐるみを狙おう。もしかしたらうまくいくかもしれない」

「…うん!」


 いち、にの、さん。パン、という音がふたつ重なって正確にぬいぐるみをとらえる。それでも、あまりの大きさに少し動くだけで、残念ながら手に入れることはできなかった。


「ダメか…どうしようか? 今のを何度かやれば落とせるかもしれないけど…」

「ううん、大丈夫。このぬいぐるみだけで、心がいっぱい」

『これだけでうれしいから、大丈夫だよ。ありがとう』


 まただ。また二人の声が重なって聞こえた…。


「『はい、お礼にキャラメル一個あげる』」


 そして、次に放たれた言葉は、全く同じ内容で。


「…本当に、そっくりだ。君と、彼女は」

「そうなんだ…ねぇ、スズヤさん。私がその子だったら、どうする?」

「…彼女は亡くなっている。だが、このお祭りの言い伝えが本当なら…そして、君が彼女なら、なんだってするさ。神社の奥まで行ってキスでも、何でも。キャラメル、ありがとう」


 私の言葉に、なぜか少女は真っ赤になっていた。


「どうして君が赤くなる…本当に君にキスするわけじゃない」

「そ、そうだよね! でも、やっぱり…照れるの。キスってだけでオトナって感じなのに…何でもなんて、何をするのかなー、なんて…」


 そう言われて私まで顔が熱くなる。そんなとらえ方をされていたと思うと、少女相手に何を言っているんだという気分になる…。


「…最近の中学生は、ませているというか、進んでいるというか…」

「あっ、ち、違うよ!? これは、周りのみんなが言ってるだけだから!」

「…その影響を受けて、君まで同化したと」

「ちがうもん! 私そんなエッチな子じゃないもん!」


 顔を真っ赤にして反論する少女。

 その様子はどこか昔の自分自身を思わせ…ああ、だから彼女は私をからかった時があったのか。


「はは…冗談だよ、冗談。だが、そう言う受け取り方をする人もいるから、気をつけたほうがいい」

「それなら先にそう言ってよ…本当に恥ずかしかったんだから…」


 そっぽを向いて立ち止まる少女。


「…ふむ」


 その姿を見て、私も立ち止まり、その場にしゃがむ。

 そして、顔を少女の顔に伸ばし、若干無理にこちらを向かせる。


「え、ス、スズヤさ…!?」


 まだ顔中赤く、表情からしてもよほど恥ずかしかったのだろうとうかがい知ることができる。


「…うん、かわいい」


 そこに追い打ちをかけるようにそう口にする。

 ただでさえ赤い顔がこれ以上ないほどに赤くなり、なんとか私から顔を背けようとする少女。

 しかし、昔私が彼女にされたように、それを封じるように手に力を加える。


「君と過ごす時間は、彼女と過ごした日々そのものと思えるほど、楽しいよ」


 そして、私は思うことをありのままに口にする。突然だからだろう。少女は戸惑いを顔に浮かべる。


「…だから、聞きたい。君は、誰だ?」


 なんとなく、私自身の中でも結論は出ている。それがあまりにも、信じがたいだけで。


「君は、知りすぎている。なぜ僕が忘れてしまったことまで知っている? どうして、そこまで彼女と同じ言動ができる? そして…ここはどこだ?」


 私の問いかけに、少女は目を見開いた。


「…そっか。気付いたんだね。ここがスズくんの家の近くじゃないってこと」


 その言葉に目を見開くのは、今度は私のほうだった。

 スズくん。その呼び方は、他の誰でもない、彼女が私を呼ぶときに使う言い方だ。


「…近くじゃない、どころじゃないだろう、ここは」

「…それじゃあ、どこだと思う?」

「……その言葉で、確信したよ。ここは…あの世、だろう? 君がいるのだから」


 少女の顔を離す。すると、そっと首を縦に振った。


「…やっぱりか…ずっと、会いたかった…クミ」


 なんとなく、分かってはいるはずだった。分からないといけなかった。

 私の今住んでいる家の周りには、山などないのだから。

 最初、声をかけられた時点で気づいているはずだった。私には、気づく義務がある。

 顔を忘れてしまっても、声は、共に過ごした日々は忘れていないのだから。


「私もだよ…スズくん。でも、こんなに早く会いたくはなかったな…もっと、ずっと、ずっと先で会うつもりだったのに…どうして、分かったの?」

「他にもいろいろあったけど…ごまかそうとして、質問を返す所とか、細かい癖まで一緒だったから、かな。でも、どうして…? どうして、ずっと僕の知らない誰かのフリを?」

「…スズくんに、私の名前を言ってもらうため、かな」


 そう言うと、クミは私から少しずつ離れていく。


「ひとつ、自分から本名を明かしてはいけない。ひとつ、相手が自分の名前を呼ばないまま一定時間が経過した場合、相手を連れて天国へ行かないといけない…」

「…クミ?」


 何か様子がおかしい。そう思って歩み寄ろうとして、クミの異変に気付く。

 体の端が、透けて見える。


「…ひとつ。相手が自分を名前で呼んだ場合…自分は地獄に堕ち、相手は生き返る。ルールはそれだけの、神様のゲーム。相手を死なせて、一緒に天国に行くか、それとも相手を生かせて、自分だけが地獄へ堕ちるかっていう、残酷な遊びだよ」


 その言葉に、声が出なかった。

 もしも、それが本当なら、いったい今までどんな気持ちで…!

 クミのことを話してほしいと言ったのは、クミ自身だ。それがきっかけで、私はクミの事を改めて思いだして、そこから少女としてのクミとの時間を楽しみだして…!

 自分が地獄に堕ちると知っているのに…どういう気持ちで、自分の名前を呼ばせようと…!


「…少し、悩んでる私もいたんだよ? 天国はきっと素敵な場所で…ううん、違うな。スズくんと一緒なら、きっとどんな場所でも素敵な場所だから、スズくんと一緒にいたい。でも、そのためにはスズくんを死なせないといけない、って。

でも…そうやって悩んでる私が、いやになったの。

こんな私は嫌いだって、私が思ったの。

だから、スズくんに無理やりでも私の名前を呼ばせるために、昔の私の話をしてもらった。それでも、名前を呼ばれた時はこれで地獄行き決まっちゃったなって…思った。だから、黙っちゃったんだ」

「…っ!」


 どうして。

 どうして…自分が地獄に堕ちると知っていながら、あんなに楽しそうに…!


「…ねぇ、スズくん。スズくんは、これでいいと思う? やっぱり、変かな…初恋の相手が生きていてくれるなら、自分は地獄に堕ちてもいい、なんて」

「…はつ、こい?」

「やだな、ちゃんと言ったのに…大事にしてくれる人を嫌う人なんていないよ、って。私だってそうだよ? スズくんのこと、小さいころは遊び相手として好きだった。でも、中学生になるころには一人の男の子として…好きになってた。だって、スズくんは、私のこといつも大事にしてくれてたから。自分を大切にしてくれる人が、いつの間にか自分の大切な人になっていたの」


 声が出せない。出したいのに、なんと出せばいいのかわからない。

 ただ、そんな逡巡の間にも、クミはだんだん透きとおっていく。


「…あはは。名前呼ばれちゃったから、ゲームオーバーってことなのかな、これ…ねぇ、スズくん。スズくんになんて思われても、私はこれでよかったんだって思うよ。

だから…スズくん。生きてね。

誰かを好きになって、結婚して、子供と遊んだりして…そう言う、普通の幸せを楽しんでほしいの。相手が私じゃないのはいやだけど、それでも、私はスズくんの幸せを祈ってるから」


 そう微笑むクミ。

 その笑顔は、儚くて、力強くて、美しくて。

 だがら、ふと気が付いたときには透けゆく体を抱きしめていた。


「えっ…スズくん!?」


 そして、戸惑う声をふさぐように、僕は、彼女にキスをした。


「…クミは、バカだ…僕は…クミといられるなら地獄でもよかったのに…」

「…そっかぁ。私たち、両思いだったんだ…さっきまでのは、スズくんの演技じゃなかったんだ…」


 幸せだなぁ…。


 そう聞こえたように感じた時、僕がさっきまで抱きしめていた体が消えてしまった。

 いっそ、恨み言を言ってくれた方が良かった。僕が名前を呼んだせいで自分は地獄に堕ちなくてはならないのだ、と。

 そうしたら、僕はクミを嫌えたのに…!

 ねぇ、クミ。君は僕にどうしろというんだい?

 君の事を愛したまま、恋したまま別の女性と幸せになれというのかい?


「…無理だよ、そんなの…」


 ボロボロと涙を流しながら、そう呟く。

 涙で視界が不確かな中、僕はただただ、クミの笑顔を思いだす。

 忘れるな。

 憶え続けろ。

 今の僕にできる弔いは、それだけだ。

 力強いのに、一瞬で消えてしまう、それでいてとても美しく、心に残る。

 そんな笑みを、僕は一生忘れない。

 積木が崩れるような音を聞きながら、僕は目を閉じ、ひたすらにそう思っていた。

 やがて、積木の音は止み、その代わりに必死に僕の名を呼ぶ声が聞こえてきた。

 その声は、クミと同じくらい昔から聞いていて、クミよりも長く聞いている声で。


「…母さん?」


 呟きながら、目を開く。

 しかし、視界はまっくらなまま。ただ、頬を流れるぬるい物を感じているというのが今も生きていることを教えてくれる。


「…誰か、いるの? 何も見えないよ…」

「スズヤ…! 今、看護師さんが先生呼びに行ってくれたわ! 大丈夫よ…あなたみたいないい子、事故なんかで奪われてたまるものですか…!」

「事故…」


 …なら、目が見えないのはそのせいか…。


「…母さん。クミのこと、覚えてる? 今…話してたんだ。夢なのか、現実なのかわからないけど」


 なんとなく、キスなどのくだりはぼかしながら、今まで見ていた物を話す。


「…そう。それじゃあ、すぐにまた会えるわね」

「…? どういう、意味?」

「地獄の釜のふたも開くっていうことわざがあるのよ…もうすぐ、お盆でしょう? そのことわざが本当だったら、地獄に堕ちたっていうクミちゃんもきっと帰ってこられるわ…」


 …クミが、お盆に帰ってくることができる?


「…スズヤ。目が見えないんじゃ、しばらく仕事は休むしかないわね。家に帰ってきなさい。そうしたら、クミちゃんのご実家に行きましょう。夢か現実かわからないけれど、帰ってきていたらまた会えるかもしれないわ」

「…だとしても…合わせる顔がないよ…」

「それじゃあ、二度とクミちゃんには会えないわね。それどころか、もっと会いにくくなるかもしれないわ。自分が生きるために、地獄で苦しませているかもしれない、って思っているんだから」


 その言葉に、頷く。それはまさに僕の思っていることだったから。


「本当にいらっしゃるのが神様なのか、仏様なのかなんてわからないわ。けれど、生きている人を生かすために自分が地獄に落とされたってかまわない。そう行動した子をそのまま放っておくものですか。きっと天国や極楽に引き上げてくださるわ」

「でも、クミがあれは神様のゲームだって…」

「じゃあ、その神様は偽物ね。大丈夫よ…本当に地獄に堕とされていても、クミちゃんなら、蜘蛛の糸を差し出されて、登りきれるわ」


 確信を持った声色。たしかに、クミは一緒に抜けだそうとする人々に降りろなんて言わないだろうけれど…。


「それより、クミちゃんの笑顔を思いだしなさい。もう一度あの笑顔を見たいって。スズヤ、もう一度聞かせてちょうだい? クミちゃんは、どんな顔で笑っていたの?」


 優しい声色に、僕はもう一度口を開く。


「…花火のような、笑みだったよ」


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