第八話 王宮講義と家族にまつわるエトセトラ
特に誰の誕生日でもないけど、うっかり書いちゃったからアップしてみたよ!(なお、後輩にはしばらく内緒のつもり)
王立魔法学園はその名の通り国王陛下の名のもとに設立された学園である。貴族から平民まで、魔法の素養を持ち、国家の発展に寄与する人材となるであろう若者を広く招聘し、育成に努める教育機関。
ここに入学を認められ、落伍することなく修学し、卒業した者には将来の仕官の道が開かれる。その多くは国府、王宮の官吏の道であったり、騎士団や王国軍の中央師団への道だったりする。
その為、この学園には毎年、王宮外宮での短期研修講義というものがある。参加資格は絞られるが、王宮内の文官武官の仕事現場を体験できるとあって毎年希望者が殺到する人気の講義だ。
「……それで? 今年の研修講義のメンバーは此処にいる20名と言うことになりますけれど、お一人、お間違いになっているのではなくて?」
研修講義参加資格の合格者として特別講義室に集められた学生たちを見ながら、わたくしは監督官の教授に微笑みかけた。最近薄さを増した頭髪を小刻みに撫でつけながら目を伏せる教授の視線が一瞬だけ学生たちの真ん中にいる少女へと投げかけられる。
「それは……その……」
「わたくしの記憶が確かでしたら、研修講義へは『王宮と社交界に於ける立ち居振る舞いのマナー』の講義を履修の上、及第点を取っていることが参加資格に組み込まれていたはずですけれど?」
貴族の子女は必修、平民の学生も希望を出せば受けることができるその講座を、彼女は受けていなかった筈だ。そう目線で問うと、当の本人、クローディア=モーヌが豊かな胸を張って微笑んだ。
「その規定、今年になっていきなり追加されたから、私受けられなかったんです。でも、担当教官のミュシャ夫人に一生懸命お願いして、補習をして頂いて、及第点も貰ってます! 本当、今年の選択授業が決まった後にそんな決まりが追加されるなんて、誰が言い出したんでしょうね?」
選択授業を選択しなかったのは自分だというのに、まるで規定の所為で講義を取り損ねたかのような言い草だ。後半はいかにも誰かがクローディアを締め出すために受講資格の変更を画策したと言わんばかりの口調だったが、それ以上に別の言葉が気になった。
「ミュシャ夫人に、直接補習を依頼したんですの?」
「そうですよ? 最初は断られましたけど、一生懸命お願いしたら、放課後に居残りでもいいならって講義してくれたんです。放課後は本当は私も色々予定があったんで、朝早めに出てくるとか、一回の時間は短めにしてもらって、2週間。すっごい厳しかったけど、我慢して頑張ったんですから!」
堂々と言い放つクローディアに頭痛を覚えて、わたくしは扇を広げて溜息をそっと吐く。
「クローディアは筋がいいとミュシャ夫人も褒めていた。知識はもともと申し分が無かったし、実践経験だけが足りていなかったようだ、と」
まるで我がことのように誇らしげに彼女を褒めるミカエル殿下にも、少し口を閉じてもらいたいと思ってしまう。あの様子だと、クローディアがミュシャ夫人に『お願い』した場面にも立ち会っていたのだろう。それが何を意味するのかも分からないままに……。
「ミュシャ夫人の……予定や都合は確認なさったの?」
「夫人はなにも仰らなかったから大丈夫だと思いますよ? 元々早めに出勤なさってる事も多い方だし、お昼休みや休日を潰したりはしていないもの」
まるでミュシャ夫人に合わせてあげたかのような言い方だが、そもそも正規の授業を取らなかったクローディアの為だけに補習を行う義務は彼女にはない筈だ。
朝早く来ているのだって本来正規の授業の為の準備に来ているのだし、放課後だって彼女自身の用事があるだろう。ましてや昼休みや休日を潰さなかったことを自慢げに宣言されても、なんのプラスにもならない。
学園の教師たちはそれぞれに一流の技術や知識を身に着けた専門家であり、学外の貴族からも子女の家庭教師にと切望されるほどその評価は高い。
当然その講義には相応の対価が支払われている。通常授業ならば基本的に学費が殆ど免除されている平民学生に代わって国からの援助金で賄われているが、時間外の講義を申請する場合はその分の授業料は個人負担になるのが普通だ。あくまでも、正式な申請と手続きを取った場合は。
けれど、背後にこの国の第二王子を従えての『お願い』に貴族出身とはいえ、むしろ貴族であるからこそ一介の教職者であるミュシャ夫人が授業料の請求などできるわけがない。おそらく殿下はそのことに気づいていないし、クローディアもミュシャ夫人の『厚意』を信じて疑っていない様子だ。
教師という職業が、生徒の為にすべてをなげうって奉仕する仕事であると信じて微塵も疑いを抱いていない、そんな表情をしている。教師も一人の人間であり、自身の時間が必要だということに考えが回らないらしい。
この学園の教師は比較的階級の低い貴族が多く、ほとんどが領地経営と学園での職務の兼任で生活を成り立たせている。
日々の授業が終わればその日のまとめや採点などの雑務をこなし、家に帰れば領地からの報告を受けて必要な策を講じたり、休日の社交の予定を組んだり、休む間もなく動き回ってやっと貴族としての体面を保つだけの収入を維持している者がほとんどなのだ。
ここ数日、ミュシャ夫人がやつれてしまったように見えたのは気のせいではなかったのか。
「……選択授業を取っていなかったのはご自分なのに、随分と我儘をなさったのね」
「我儘だなんてそんな悪い事みたいに言わないで欲しいわ。ほんとならマナー講義の選択や成績は研修資格に関係がなかった筈なのに、誰かが追加するように働きかけたんですよね? その方が酷い嫌がらせだと思いますけど?」
「嫌がらせだなんて……王宮へ出入りする研修なのに、最低限のマナーを学ぶ姿勢も持たない者が参加して王宮の方々に迷惑をかけないようにとの学園側のご配慮ですわ」
実際進言をしたのはわたくしだけれど、申請を出したのは昨年のことだ。元より、以前からこの研修に参加した平民出身者が王宮内で粗相を働くことが問題になっていたからこその進言で、クローディアの事は関係がない。
平民の社会でなら問題にもならないことかもしれないが、貴族社会に於いては重大な失態とされるような事柄を繰り返す平民出身の学生が後を絶たず、王宮側も苦慮していたのだ。
将来王宮に勤めるつもりで研修を受けるのであれば、最低限度のマナーは先に学んでおくべきだろうというわたくしの案は何も間違ってなどいない。
ただ、進言が受理され、審議され、決定に至った頃には今年度の選択授業の時間割と申請が終了してしまったあとだっただけのこと。この研修講義はどの学年でも履修は可能なのだから、今年が駄目なら来年受けることも可能だ。
なぜ今年の履修に拘る必要があるのか……。
「まあ良いでしょう。それほど熱心にこの講義を受けることを望んでいたのであれば、きっと素晴らしい研修成果を出してくださるのでしょうから、同じ学生として見守らせていただきますわ。せいぜいハリボテのネズミや子豚と間違われないよう頑張ってくださいませ」
以前にオーギュストとわたくしで揶揄した言葉を持ち出して微笑みかけると、クローディアの顔がカッと染まったし、意味が分からなかったであろうミカエル殿下も、彼女への侮辱と察したのか、険しい表情になる。
けれど、感情のままに言い返すのでは貴族のマナーに従っているとは言えない。クローディアも補習で及第点を得ただけの事はあるらしく、羞恥や怒りを抑え込み、にっこりと微笑みを浮かべて見せてきた。
「温かいお言葉ありがとうございます。でも私なら大丈夫ですから、マリアベル様も慣れ親しんだ場所だからって気を抜いてぼろを出さないよう気を付けてくださいね」
「無用の心配だけれど、そのお言葉、ありがたく頂戴しておくわ」
こうして、王宮での研修講義が始まったのである。
王宮研修初日、引率の教授に連れられて、王宮の御用門をくぐる。磨き上げられた大理石のアーチには所々に宝珠と魔法文字が刻まれている。これは事前に申請をし、通行証を発行されたものだけがこの門を潜り抜けられるように施された魔法の審査門なのだ。もちろん、護衛兵士が視認でも通行証を改めるが、そちらはどちらかと言うと形式的なものや、通行証に記された人物の本人確認のためだ。
「わぁ……! すっごい広いですね!! ミカエル様!!」
甲高い声を上げてはしゃぐクローディアに、他の平民出身や王宮へ出入りしたことのない下級貴族の生徒たちも追随する。ミカエル殿下はそんなクローディアを微笑ましげに見つめている。わたくしや殿下にとっては王宮なんて庭も同じ。むしろこんな御用門周辺なんて庭の片隅でしかないのだが、そんな場所で素直に驚き、目を輝かせる少女は確かに新鮮で眩しいのかもしれなかった。
「今日は外宮西の魔法省の講義室を使って、外宮内での魔法使いの主な配属先のオリエンテーリングのあと、各省の代表の方の講義を受けて頂き、明日以降の研修の班分けを行います。各々配属希望の省があると思いますが、今日の講義を受けた跡でも希望変更は可能ですので、よく考えて希望を出すようにしてください」
引率の教授に促される形で庭園を抜けて外宮へと入る。王宮とはいえ、官吏の仕事場としての機能に特化した外宮は、内装もシンプルで飾り気がない。それでも磨き抜かれた床や壁に飾られた歴代の大臣や将軍、王族の肖像画は壮観で、平民出身の学生からは溜息が零れた。
その廊下を進んで魔法省へと向かう。その名の通り、国内の魔導師の中でも頂点に位置する実力者揃いの役所だ。
ほんの少しだけ、前に進むのが気が重い。そんな気分で廊下の角を曲がった時、透き通るようなボーイソプラノが響いて、パタパタという足音と共に駆け寄ってきた影がパスンと制服のスカートにしがみついてきた。
「マリアちゃんだぁ~~~! やっほ~~~!!」
わたくしの胸ほどの身長に、わたくしと同じ蜂蜜色の金髪を緩く襟足で纏めたその子供は、最高位の魔導師の証しである白銀のローブをまとっていた。
「やだ、魔法省の中に子供? 迷子かしら?」
クローディアや他の平民の学生、一部の下級貴族の生徒も突然の闖入者に目を丸くしている。そんな中、ミカエル殿下だけは一歩後ずさった。わたくしはと言えば、ゆっくりとしがみついてきた彼を引き剥がし、腰をかがめて目線を合わせた。
「アンリお兄様、いきなり飛びついてきては駄目ですわ。驚いて転んでしまったらどうしますの?」
「ふぇ……ごめんなさぁい。マリアちゃんの気配がしたから、研究室から飛んできちゃったの」
叱られてしゅんと肩を落として蒼玉の瞳を潤ませる、どう見ても10歳になる前の子供にしか見えない少年が、わたくしの兄にして、ロートレック伯爵長男、アンリ・ドゥ=トレーズ・フォン・ロートレックその人だ。
「お兄様って……こんなちっちゃい子が……?」
思わず口を突いて出たという感じのクローディアの言葉に今にも泣きそうだったアンリお兄様がきょとんとした顔で周囲を見上げた。その顔がぐるりと学生たちを見回し、クローディアの所で止まる。
「マリアちゃん、このブス誰?」
「なッ!!」
ひねりもへったくれもない罵倒にクローディアの顔が見る間に真っ赤になる。こんな状況と場所でなかったらとても面白かったのだけれど、流石に今はそんな場合ではない。
「アンリお兄様。初対面の女性に対して、その方がいかに醜かろうともそんなことを言ってはいけません」
「何で? 本当のことなのに」
幼子に言い聞かせるように窘めても、当のアンリお兄様はけろりとした顔で更に言い募る。叱らなければいけないのに口元が緩んでしまいそう。思わずそっと扇で隠す。けれどその余裕も激昂したクローディアの口走った台詞で凍り付く。
「マリアベルさんのお兄様ってとても失礼な人ね! 自分だってチビのくせに!!」
「おい! クローディア!!」
ミカエル殿下の焦ったような声が聞こえたが、わたくしはそれどころではなかった。目の前のお兄様から不穏な魔力が蒸気のように立ち昇るのが見えたからだ。
「チビ……。ねえ、マリアちゃん、この人、ぼくのことチビってゆったね……?」
「あ……アンリお兄様……彼女は平民出身で物を知らない子なの……だから……」
「クローディア、アンリは『先祖返りの魔導師』だ。心も体も成長しない代わりに絶大なる魔力と魔法の技術を生まれながらに持っている天才なんだ!!」
背後でミカエルがクローディアに説明をしているが、いまいち通じていない様子だ。こうなったら身をもって体験してもらうほかあるまい。
「ひっ……っっく…………ぅぁ……ぁぁああああああああああんっ!!!」
甲高い声を響かせながらアンリお兄様が泣き始めた瞬間、お兄様を中心に室内だというのに暴風が吹き荒れ、周囲の学生ごと吹き飛ばした。わたくし自身は咄嗟にお兄様を抱きしめることで台風の目に入り、難を逃れたが、何人かは壁にたたきつけられてしまったようだ。クローディアはと言えば、一番遠くの壁までふっ飛ばされはしたようだが、ミカエル殿下が咄嗟に抱きかかえて壁への激突を防いだようだ。
静かだった外宮の廊下は一瞬にして阿鼻叫喚の渦と化した。
『先祖返りの魔導師』。
その昔、このクリステル王国の建国よりもはるか昔、人々が今よりも強大な魔法を操る魔法国家がこの地にあったという。その国では不老の力を得た魔導師たちが国を支配し、操り、動かしていたそうだ……。
今となってはお伽話か神話の世界の出来事なのだが、かつてその時代が確かにあったと示す古文書や遺跡、古代魔法の痕跡が国内のあちこちで見つかっているほか、ごくまれに不老の身体と強大な魔力を持って生まれる子供の存在が、古代魔法王国の存在を示していると言われている。
不老と言っても長生ではなく、寿命は人並みらしいのだが、その身体が普通の子供より成長が著しく遅く、身体の成長は普通の子供の10歳を迎えるよりも以前で止まってしまう。精神的な成長も身体に引き摺られるらしく、アンリお兄様は20を超えた今も幼子と変わらない精神を持っているのだ。
ふだんは大人しく、魔力の制御も完璧な魔導師なのに、身長のこと、身体の事を揶揄されたりすると途端に癇癪を起し、魔力を暴走させてしまう。
かくいうわたくしも、かつてアンリお兄様の身長を追い越してしまった時、酷く泣かせてしまい、伯爵家の庭園が一つ更地になってしまった。ミカエル様もその魔力の恐ろしさは何度も身をもって体験しているので、アンリお兄様の事が今でも苦手なほどだ。
「お兄様、お泣きにならないで、ほら、今日はお兄様にお会いできると思ってドラジェをお持ちしましたのよ」
そう言って泣きわめくお兄様の口に甘いお菓子を放り込む。効果覿面に泣き声がやみ、お菓子を含んだ口をもごもごとさせる兄の涙をハンカチで拭う。最後に蜂蜜色の髪を撫でながら額に口づければ、サファイアを思わせる蒼の瞳が輝いて、その顔に笑顔が戻る。
「美味しい……」
「ええ、お兄様がお好きだと仰っていた3番通りの菓子屋から取り寄せましたの。ゆっくり味わってくださいませ」
「マリアちゃん大好き~~~!!」
満面の笑みで抱き付いてくる兄を宥めつつ、学生たちを振り返れば、幸いにも怪我を負った者はいないようだ。そして、全員一様に怯えた目で兄を見ていた。
これでまた、来年の魔法省への入省希望者が減るかもしれない……。まあ、魔法省は主に研究者が詰める場所なので、人手不足もそこまで深刻ではないから構わないのだろうけれど……。
「えっと……アンリくん、いきなり意地悪を言ってごめんなさいね? もう怒ってないから、私とも仲良くしてくれる?」
この状況で事の原因がそんな風に言ってこられる根性はある意味で尊敬してしまう。殊勝な態度で頭を下げてきたクローディアに、アンリお兄様は案の定そっぽを向いた。
「おまえ、きらい。かえれ」
クローディアの愛想笑いが引きつってはいるが、また同じことが起きては堪らないと判断したミカエル殿下が彼女を宥めすかして、やっと魔法省の講義室へと再出発したのだった。




