第五てん五話 舞踏会と平民美少女と第二王子にまつわるエトセトラ
前回の話のクロちゃん視点
その日私は街の市場をズカズカと、荒い足取りで歩いていた。美味しそうな屋台の料理も、色とりどりの手作りアクセサリーや小物のお店も、今の私の気分を高めてはくれない。だって……。
「もう! ミカエル様ったら信じらんない!! あんなにあからさまにフラグを立ててあげたのに、また舞踏会に誘ってくれないなんて!!」
先週の休日に、他の男の子から送られたドレスを着た私を見て、ミカエル様は案の定嫉妬でメラメラに燃えた瞳で壁ドンしてくれた挙句、口づけ一歩手前まで迫られたのだ。あの情熱的でギラギラした瞳はかっこよくて、一瞬このまま奪われちゃってもいいかな~って思いそうになったほどだった。耳元で苦しそうに囁かれたのも素敵だったわ。思い出すだけで頬が熱くなっちゃう。
『いっそこのままお前を……っ……!』
でもそこは誠実で純情なミカエル様だから、すぐにはっと我に返って離れていっちゃったんだけど、耳まで真っ赤になって、手荒な真似をして、とか謝ってくるの最高に可愛かった……。
それなのに……。作戦通り、『お城の舞踏会へ連れて行ってくれたら、許してあげます! ……な~んて、私なんかが舞踏会に出られるわけありませんよね……。気にしないでください』って言ったら、本気で申し訳なさそうに『すまない……今はまだお前を王宮へは連れて行けない』って謝られちゃうんだもの。
「そこは、健気な私に奮起して、『何とかしてみせる!』って力強く応じるところでしょう!!? もう!!!」
その上、再来週に開かれる大きな舞踏会にはあの性悪令嬢とパートナーとして出席するって、クラスメイトに聞かされて、私の気分は最悪になったのだ。普通さぁ、あんな断罪騒ぎを起こした相手と、舞踏会にパートナーとして出席する?! ありえないでしょ!! いくら婚約を解消してもらえないからって、あんな、顔と家柄だけが自慢の性悪女にいいように扱われて……。
「やっぱりミカエル様じゃ頼り甲斐にかけるのよね。 かといって他のキャラは好みじゃないし……。王宮に潜り込もうにもミカエル様以上にコネがありそうな男の子っていうと……エドくんくらいかなぁ……。彼、単純でワンコ属性だから扱いやすいんだけど、暑苦しいのよね……。それに生真面目な分、加減を間違えたら本気で襲われかねないし……」
本命ルートが確定する前に他のキャラに浮気するような真似はしたくない。やっぱり、主人公たるもの、ピュアで純情じゃなくっちゃね。でもそうなると、彼の手がかりがつかめないし……。
考え事に没頭しながら速足で歩いていた所為か、パン屋の角を曲がったところで向こうから来た人にぶつかってしまった。長身の男の人で、思わずよろめいた私を、さっと伸びた手が引き寄せて、転ぶのを防いでくれる。
「す、すみません!」
「いえ、こちらこそよそ見をしていたもので……おや、君は……」
力強い腕で私を支えてくれたのは、30代半ばの紳士で、上等の外套を身にまとった落ち着いた風情の人だった。そしてその聞き覚えのある声に顔を上げて、驚いた。
「ラクロワ子爵?! どうしてこんなところに?!」
ラクロワ子爵は私が地方の街に普通の平民として暮らしていた頃に出会った貴族の男性だ。およそ貴族らしくないと領地の人には評判のきさくなひとで、道端で具合が悪そうにしていた彼の奥さんを助けてあげたことで、ラクロワ夫妻と仲良くなった私は、持っていた魔法の才能を見出され、王都の魔法学園への推薦状を書いてもらえることになったのだ。
……とまあ、この辺はシナリオ通りの展開なんだけど。
「妻の病気に効く薬の情報があると知り合いに言われてね。仕事がてら王都に出てきているんだ」
「そうなんですね! それじゃあ、奥様も?」
「いや、妻は領地に居てもらっているよ。長旅をさせるのは負担が大きいからね。それにしてもクローディアは元気そうで良かった。王都の生活はどうだい?」
まさか王都に来た後にまで彼らに出番があるとは思わなかった。でもこれはチャンスかもしれない。私は咄嗟に、一瞬言葉に詰まった後、にっこりと笑顔になって見せた。
「……大丈夫です。皆優しくしてくれて……ただ、やっぱり貴族の方が多いから、社交シーズンは話の輪に入れなくって……」
「ああ、そう言えば今はそんな季節だね……。うちにも招待状が何通か来ていたなぁ……。パーティは苦手でほとんど出ないから、執事に返事も任せてしまってるんだけど」
そう言ったラクロワ子爵が何か思いついたというように私に微笑んできた。
「そうだ、折角だから君、僕と一緒に舞踏会に出てみるかい? 折角王都で貴族の子弟と共に学んでいるのだったら、そう言った場に出ておくのも勉強になるだろう?」
ちょっぴり期待はしていたけど、ドンピシャな申し出に、一瞬素に戻って大はしゃぎしてしまいそうになる。駄目駄目、遠慮深く、でも本当は嬉しいというようにはにかんで答えなくっちゃ。
脳内では目の前に三択の選択肢が浮かんでいる。『大喜びで是非という』『遠慮がちに、でも、舞踏会なんて…と言う』『興味ないわと突っぱねる』ここでの正解は間違いなく、真ん中でしょ!!
「え……でも、私……舞踏会なんて……出たことないですし……」
「学園で貴族の友達ができたなら、招待される機会もあるだろう。予行演習とでも思えばいいさ。ドレスは妻の若い頃のもので良ければ使って欲しい。少し直しを入れれば最新流行のドレスにも負けないぞ」
何から何まで都合のいい展開に、小躍りしたくなる。こんなにも私に親切にしてくれるなんて、ラクロワ子爵ってあしながオジサンみたいだわ。でもあれって確か最後はあしながオジサンとヒロインが結婚するんだっけ、それは流石に遠慮したいけど、この人なら奥さんもいるし、大丈夫だよね。
「本当にいいんですか?! 私……本当は憧れていたんです……」
こうして、久しぶりに再会した子爵様のおかげで、念願の舞踏会に出ることが決まった。きっとその会場ではミカエル様やあの女も来るだろう。あの女が可愛く着飾った私を見てどんな顔をするのかも楽しみだし、ミカエル様がヘタレなおかげでなかなかフラグが立たなかった王宮編のシナリオもやっとルートが開けそうで、楽しみだわ。
待ちに待った舞踏会当日、ラクロワ子爵の邸宅でメイドさんたちに身支度を整えてもらう。コルセットは苦しいけど、頑張ったおかげでウエストはキュッと括れているし、ピンクのドレスはひらっひらのお姫様仕様全開で、乙女心を刺激する。
ラクロワ子爵にエスコートされて、足を踏み入れたパーティ会場は、王宮でこそなかったものの、華やかできらびやか、まさしく豪華絢爛と言った様子で、思わずきょろきょろと周りを見渡してしまう。
「あまりきょろきょろしてはいけないよ。田舎者だと思われてしまう。……まあ、私は田舎貴族なんだけれどね」
子爵の冗談を受け流しつつ、それでも抑えきれない好奇心が疼いて周りを窺う。ミカエル様とあの女はどうやらまだ来てないみたいだけど、学園で見知った顔もちらほらいて、一様に驚きに目を丸くしているのを見るのは気分が良かった。特に女子は隣のパートナーが私に見とれているから、悔しそうだ。普段平民の私を見すぼらしいと言って蔑んでいるくせに、今私が着ているドレスよりも安っぽいドレスを着て、その上遥かに似合ってないなんてかわいそう。いかにもなモブ顔に派手なドレスが浮いてる子もいれば、塗りたくった化粧の所為でケバいおばちゃんみたいになってる子もいる。お世話するメイドももっとちゃんとしてあげればいいのに。まあ、私みたいに素材がいいと、薄化粧だけで完璧にドレスと調和したお姫様顔になれちゃうんだけど。世の中って不公平よね。
そうこうするうちに音楽が鳴り始め、ラクロワ子爵が優雅な手つきでダンスを申し込んでくれる。対象外とはいえ、穏やかな雰囲気のイケメン紳士にそんなことされたら応えないわけにはいかない。
なれないヒールでのダンスは難しかったけれど、我ながらけっこう様になっているんじゃないかしら。運動神経とリズム感には自信があるのよね。楽しい気分で1局目を踊り終えた時だった。
「クローディア!」
鋭い声と共に、ミカエル殿下が銀色の髪を振り乱すように駆け寄ってきて、私の腕を掴んだのだ。
「ミカエル様!?」
会場で会うだろうとは思っていたけど、突然だったのと、ミカエル様が怒りで顔を真っ赤にしていたのに驚いて、ビクリと怯えてしまった。その態度が気に障ったのか、ミカエル様の表情が益々険しいものになる。
「何でお前が此処にいる!?? その男は誰だ!!」
いきなり怒鳴りつけられて、あまりの剣幕に身が竦む。まるであの女を断罪しているときの様な怒り方は自分へと向けられたことなど当然ない。いつもはもっと優しくて、私がちょっと失敗しても、笑って許してくれるのに……。ラクロワ子爵にやきもちを焼いているのだというのは分かるけど、流石に怒りすぎじゃない? 独占欲を見せてくれるのは嬉しいけど、流石にちょっと鬱陶しい気分になる。
「こちらはラクロワ子爵と言って、私の大事な方です」
ついカッとなってつっけんどんな言い方にはなってしまったけど、ラクロワ子爵の事を紹介すると、なぜか周りがざわついた。ラクロワ子爵って実は有名な方なのかな? 目の前ではミカエル殿下も驚愕の表情で私を見ている。その口が何かを言おうと開きかけた時、ラクロワ子爵がすっと前に出て、私を背に庇ってくれた。
「失礼いたしました。彼女は知人の娘でして、同伴者のいない私が無理を言ってついてきてもらったんです。こう言った場には不慣れな娘ですので、どうかお目こぼしをいただければと存じます、第二王子殿下」
優雅な仕草で一礼する子爵を見て、ミカエル様の表情が硬くなる。柳眉が吊り上がり、今にも子爵を射殺さんばかりに睨み付ける。子爵の言ったことが、何か彼の怒りに触れたのだとは分かったけれど、いくら思い返してみても、私も、子爵も何もおかしなことは言っていない。元はと言えば、ミカエル様が私を放って、あの女なんかと舞踏会に出ているのに、恋人でもない私が別の人と舞踏会に出たからって、こんなに怒るなんて、いくらなんでも心が狭すぎる。嫉妬イベントの時はかっこよくてドキドキしたけど、今はちょっと煩わしく感じてしまう。
「ミカエル様、何でそんなに怒ってらっしゃるんですか? ご自分だってマリアベルさんと同伴で舞踏会に来られてるじゃないですか」
「それとこれとは問題が違う! お前は自分がどういう扱いを受けているか分かっているのか!?」
なによそれ。ラクロワ子爵はドレスもアクセサリーも用意してくれて、こんな素敵なパーティに連れてきてくれて、ダンスも上手にリードしてくれて、お姫様のように扱ってくれてるのに、まるで私はそれにふさわしくないみたいな言い方……。
「ミカエル様は私なんかにはドレスもパーティも相応しくないって言うんですか!?」
「そんなことは言っていないだろう! お前の事はいつか俺が……っ!」
言いかけて途中で言葉に詰まってしまったミカエル様が、ラクロワ子爵を睨み付ける。いくら嫉妬してるからって、そんな怖い顔しなくたって……。子爵も戸惑ってるじゃない。
「……ラクロワ子爵、彼女は俺と同じ学園に通う、いわば同級生だ」
「存じ上げております。殿下にはとても仲良くしていただいているようで、この子も喜んでおりました」
なんだか娘を自慢するかのようなラクロワ子爵の言葉に照れくさくなる。なんだかラクロワ子爵が優しい分、ミカエル様の欠点が鼻につく。いつもならもっと私に優しいし、いつもならこんなに怒鳴ったりしないし、いつもならこんな上から偉そうな言い方をしたりしないのに。
「そうですよ。ただの同級生何ですから、私がどこで何をしていようと、ミカエル様には関係ありません」
唇を尖らせてツンとそっぽを向いて見せたら、怒りで真っ赤だったミカエル様が今度は真っ青になった。忙しない人だなぁ、もう。
「……お前……自分がどういう扱いを受けているのか分かってるのか!? この男は妻も子供もいるんだぞ!!?」
「はぁ?! そんなこと知ってます! 子爵の奥さんとだって、私仲良くさせていただいてるんですから!!」
ミカエル様の失礼な言い方に頭にきて言い返す。またしても周囲がざわついたけれど、今はそれどころじゃない。ラクロワ子爵の影に隠れていたことも忘れて前に出る。紅玉を思わせる瞳が、困惑に揺れているのが分かったけど、止められなかった。
「ミカエル様、何でそんな酷い事言うんですか!?? ラクロワ子爵は私の為にって、このドレスも飾りもみんな用意してくれて、こんな素敵な舞踏会に連れて来てくれたのに!! そんな言い方は失礼です!」
そう言い放った途端、ざわついていたはずの周囲が、一気に静まり返った。音楽は今がに流れているし、ホール中央では男女が楽しげに踊ってはいるけれど、私達の周りだけが、切り離されたように沈黙に包まれたのだ。
「え……? 何……?」
「やあやあ、失礼~」
なんだかよくない雰囲気に、再び、子爵の袖を掴んでしまう。その時、人垣をかき分けて、ひょろりと背の高い男の人と、さっきまで隅っこに置いてきぼりにされていたはずのマリアベルさんが現れたのだ。
「え?! オーギュスト=ル・ノワール??!」
思わず声に出してその名前を呼んでしまったのは、初対面ではあるものの、私は彼をよく知っていたからだ。クリステル王国の王宮で暗躍する、闇の黒幕。マリアベルさんや学園編で登場する三下のいじめっ子とは違って、真の悪役、ラスボス級の悪の貴公子だ。
私が名前を呼んだのに、彼はこちらを見ることもせず、ミカエル様に話しかけている。そうしたら何故か、さっきまであんなに怒っていたミカエル様がはっとしたように周囲を見渡すと、最後に私を見つめてきた。その表情は苦しげで、切なさに満ちていて、さっきまで彼にむかむかしていたのも忘れて見惚れてしまった。
それなのに、ミカエル様は信じられないことを言い出したのだ。
「ラクロワ子爵、どういった事情があるのかは知らんが、今夜のところはクローディアを連れて帰れ」
せっかくここまで来たのに、いきなり追い返すなんてあんまりだわ! 元はと言えばミカエル様が連れて来てくれないからお世話になってるラクロワ子爵に連れてきてもらったのに、なんでミカエル様の命令で追い返されなきゃならないの?!
「え? なんで私が帰らなくちゃいけないの?! まだ来たばっかりだわ!! ミカエル様とだって踊ってないのに!!」
そうよ、折角の舞踏会なんだから、王子様なら一曲くらい踊ってくれてもいいじゃない! それこそダンスシーンが舞踏会イベントの醍醐味なのに!!
不満が口を突いて出る。その瞬間、口にビシリと硬いものが当てられた。ビリビリと唇が痺れる勢いで押し当てられたのはフリルのついた扇子の先っぽだった。
「お黙りなさい、平民の分際でわたくしたちに対等な口を利こうなどとおこがましい。ここはあなたの様な卑しい身分の者が出入りして良い場所ではないの。弁えなさいな」
地獄の悪魔みたいな声がして、鬼婆みたいな顔をしたマリアベルさんが、こちらを見下すように睨み付けていた。突然の暴力に、恐ろしい眼差しに、全身が震えあがる。彼女の後ろでミカエル様が青ざめているのが見えた。きっと彼女の形相にドン引きしちゃってるんだ。当たり前だよ。怖いもん。
こんなみんなの目があるところで、嘲笑われ、暴力まで振るわれているのに、周りの皆は遠巻きに見ているだけで助けてはくれない。なんで? これ完全にいじめの現行犯じゃない? 目の奥が熱くなって、気が付くと涙が零れていた。
「……っ……ひっく……ひど…ぃ……酷すぎるわ……っ!」
ぼろぼろに涙が零れて、悲しさがどんどん募っていく。こんなに泣いているのに、ミカエル様は抱きしめてもくれない。私に手を差し伸べてくれたのは、ラクロワ子爵だけだった。
「クローディア、今夜のところはお暇しよう。……それでは殿下、御前を失礼させていただきます」
肩を抱かれて、会場を後にする。せっかくの舞踏会デビューは、散々な思い出にされてしまった。マリアベルさんの所為で。
ミカエル様とは何の進展もないし、調べたかったことは何一つわからないままだし……。
今夜の事、学園で皆に言おう。きっとあそこはマリアベルさんの取り巻きがいっぱいいる様な場所だから誰も助けてくれなかったんだわ。学園で今夜の事を皆に話せば、きっとみんな分かってくれる。ミカエル様だって本当は私を助けたかったのに、マリアベルさんが怖くて言い出せなかったんだわ。
「私には、頼りになる皆がいてくれる……。だから、負けないんだから」
学園寮へと送ってもらう馬車の中で決意を新たにする。あ、なんかヒロインっぽい。まあ、ヒロインなんだけど。
「―――のことも、マリアベルさんとあのオーギュストがきっと何か知ってるに違いないわ……。絶対に探り出してやる」
馬車の中は一人で、このつぶやきは誰にも聞かれる心配は無かった。
これでもう後輩の誕生日だいぶ先払いした気がする