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第二十六話 忍び寄る影のエトセトラ

今月は後輩の誕生月だからね。先輩がんばっちゃうぞ!

「おい学生さん、こっちにも水をくれ」

「包帯をあっちの医療兵のところまで運んでくれ、急ぎだ!」


 野営地に怒鳴るような声で指示が飛び交う。

 前線にほど近い王立軍の部隊が宿営したその場所は山の中腹にぽかりと開いた見通しの良い広場になっていた。

 おそらくは北部への遠征の際に軍が度々野営地として開拓していたのだろう。天幕を広げる動きも手慣れた様子がうかがえる。

 ここに来るまでに魔獣の群れと2度ほど戦闘になり、王立軍の精鋭はそのことごとくを掃討してみせていた。

 出現する魔獣は大型の肉食獣に似た姿をしていて、強力な牙と爪を使うほか、雷撃や風を操ると言った魔力を駆使した攻撃手段を持っているものもいる。

 王立軍は後衛の魔導師部隊の防御魔法や援護魔法の助けを借りつつ、小部隊ごとに連携し、魔獣を殲滅しながら行軍していた。

 とはいえ、戦闘になれば怪我人は少なからず出てしまう。

 専門的な治療は医療専門の兵が診て回るが、簡単な傷の洗浄や包帯を巻くなどの処置には学生で組織された看護部隊が動くことになっていた。

 わたくしは今、そんな学生看護部隊に身を置いている。


「アンタ、随分別嬪さんだし、育ちもよさそうだが、何故こんな部隊に参加してるんだ?」


 兵士の一人が不躾な質問をしてきた。

 まあ、こんな末端の看護部隊に参加している学生の大多数は平民か、王都から避難することもままならなかった下級貴族の子女だ。

 そのような中にわたくしのような見るからに上流貴族の娘が混じっていれば違和感を感じられても仕方ないだろう。


「王立魔法学園の学生として、王国に貢献したいと思いましたの」


 笑顔で教科書通りの返答をする。国の為、という気持ちはないわけではないけれど、学生による看護部隊の意義には疑問を抱いているので、正直なところ、熱意とか遣り甲斐といったものは全くと言っていいほど感じてはいない。

 ルーベンス侯爵の法案が無ければ参加はしなかっただろう。

 一応志願という体裁を謳ってはいるが、実質強制に近い招集は王都にあるほとんどの学校へと通達され、我が王立魔法学園もその対象となった。

 避難の名目で休学していたり、学園の籍を一時的に抜けている者を除いて、学園に在籍し、問題なく学業に励んでいた筈の学生は奉仕活動の名のもとに無償でこの部隊に参加させられているのだ。

 流石にクローディアが言っていたような、兵站や各種の備品まで自前で用意させられるようなことはなく、軍備の予算から配給がなされることにはなった。

 とはいえ、一部の子女は労働というものを知らない貴族の出である。

 非戦闘員であり、医療の専門家でもない学生にできることなどたかが知れている中でも、貴族の学生が役に立つ場など殆どないと言って良かった。

 せいぜいこうして慣れぬ手つきで怪我人の傷口を洗ったり、包帯を巻く平民出身の学生の補助を行う程度である。

 それでも回数をこなす内に手慣れてきて、今では手ずから包帯を巻くのも苦ではなくなってきた。

 配給を配って歩くのもコツを掴み、数人分の飲み物を盆で運ぶのもいっぱしの侍女並にはできるようになった。

 まあ、将来的には一切役に立てる予定がない技能ではあるが。


「……お貴族様の道楽って奴か。まったく、困るんだよな。素人が戦場をうろちょろされちゃ」


 無精髭の兵士の一人が忌々しげに吐き捨てる。

 わたくし共とて好き好んでこのような不衛生で埃っぽく、煩わしい場所に来たわけではない。

 その上文句まで言われたのでは割に合わない気もするが、全線で戦う兵士にしてみれば、余計なお荷物を背負わされているというストレスは相当のものなのだろうとも思うので、笑顔でやり過ごすことにした。


「治療はちゃんとした医療兵が診てくださいますから安心なさい。今順番に回っておりますからこちらのお水を飲んで待ってなさい」

「美人の酌はありがたいが、どうせなら酒が飲みてぇな」

「残念ながらそのようなものはありませんわ」


 本来ならばこのような軽口を爵位もない一兵卒如きから叩かれる身分ではないのだが、この場で身分をどうこう言っても始まらない。


「しっかし魔獣討伐といっても手ごたえがねぇなぁ。後方の近衛騎士団サマは出番がなくて剣を持て余してるんじゃないか?」

「あっちは聖女様が戦闘の後を回って土地を浄化して回るのの護衛だろ? ほとんど物見遊山みたいなもんだ」


 兵士たちの噂話が聞くともなしに耳に入ってくる。


「だが、聖女様が浄化を行う前は倒しても倒しても湧いて出ていた魔獣が現れなくなっているそうだからな。やっぱり御利益って奴があるんだろうな」


 そう、意外な事に、クローディアの聖女としての資質は確かなものだったようで、遠征先各地での浄化の儀式は目覚ましい成果を上げていた。

 魔法省の調べによれば、各地に魔獣が発生する瘴気の澱が溜まった地域があり、その地を浄化することで、一帯の魔獣が発生しなくなるのだそうだ。

 このままいけば、北部の魔獣発生地域を思ったよりも早く制圧してしまえそうである。

 そういう意味では遠征は順調に進んでいた。

 順調すぎた、というべきかもしれない。

 緊張感の緩みは、そのまま軍全体の規律の緩みへと繋がっていた。




「きゃぁ!! は、離してっ!!」


 行軍に学生看護部隊が加わって一週間が過ぎた頃、それは起こった。

 看護部隊は昼間を中心に働くグループと、夜間の医療天幕を手伝うグループとに分かれていて、夜間のグループは基本的に男子学生のみで構成されている。

 女子学生は夜の間は専用の結界が施された天幕で休むことになっていた。

 その日も夕方になり、交代の為天幕へと戻ろうとしていた女子学生の一人が、酔った兵士に絡まれたのだ。

 行軍中のアルコールは冬場でもない限り軍紀で禁じられている筈だが、どこからか横流しがあっているらしい。

 昨日もどこかの天幕で夜通し騒いでいる兵士がいたと夜間部の学生がぼやいていた。

 魔獣討伐が想定していたよりも楽に済んでいる所為か、見張りや巡回といった雑務をサボる兵士も出ている。

 赤ら顔の兵士はその女子学生の腕を掴んで、自分たちの天幕へ連れ込もうと、強引に引っ張っていた。


「お嬢ちゃんらは今日の仕事はもう終わったんだろ? ちょっとこっちで話し相手になってくれよ」

「痛っ! 離して、嫌よ!!」


 もがくように身を捩って抵抗を現しているのは確か学園で何度か見かけた一学年下の少女だ。王都の商家の出身で、奨学金を受けているため、休学できず、今回の遠征に参加を余儀なくされたと言っていた。大人しく生真面目で控えめな容姿の娘だ。

 兵士の酒精混じりの息を吐きかけられ、真っ青になって震えている。

 必死で抵抗しているものの、相手は大人の男で軍人である。小柄な少女は引き摺られるように連れ去られようとしていた。

 周囲の兵士は止めるでもなく遠巻きに見ている。おそらくはあの酔った男が彼らよりも上官に当たるため、口を出せずにいるのだろう。


「なに、ちょっと酒の相手してくれりゃいいだけだって」

「お断りいたしますわ」


 兵士と少女の間に割って入り、彼女に代わって断りの文句を告げる。

 一瞬あっけにとられた顔をした兵士は割って入ったのが彼女と同じ女学生の奉仕部隊の制服を身に纏っているのを見ると、脂下がった笑みを浮かべた。


「なんだぁ? アンタが代わりに相手をしてくれるっていうのか? 別嬪さんだし、こっちとしちゃ大歓迎だぜ?」


 ニヤニヤと気持ちの悪い笑みで手を伸ばしてくるのを、ピシャリと叩き落とす。


「お前如きがわたくしに酌をせよなどと烏滸がましい。わたくしをマリアベル=フォン・ロートレックと知らずの愚行ならば此度に限って見逃してあげるから早々にご自分の天幕にお戻りなさい」


 貴族令嬢の顔は知らずとも、運輸大臣を務めるロートレック伯爵の名前は知っていたのだろう。兵士の顔から酔いが抜けて青褪めていく。


「なっ……そんな大物の令嬢がなんでこんな……」

「わたくしがどのような理由でこの場にいようとお前たちには関係がないことよ。軍紀を乱し、学徒兵に不埒を働けば、首が飛ぶと心得なさい」


 居丈高に、尊大に言い放てば、兵士は誤魔化すような媚びた笑みを浮かべ、後退った。


「いや、そんなつもりは……ただちょっと気晴らしに学生さんとお喋りでもって……変な意味はなかったんですよ……?」

「そう、お喋りなら夜間担当の者でも良いのではなくて? もっとも、夜間にそんな赤ら顔で医療天幕へ顔を出せば、死ぬほど苦い薬湯を浴びせられるのが関の山でしょうけれど」

「そうですね! いや、お疲れのところ邪魔してすみません!」


 バタバタと忙しない様子で自分の天幕へ駈け込んでいく兵士を尻目に、絡まれていた少女を伴って割り当てられた天幕へと戻っていく。


「まったく、王立軍はいつの間にならず者の跋扈する三流部隊に成り下がったのかしら」


 これがマーニュ将軍率いる中央師団だったならばこのようなことはなかっただろう。今回わたくしが随行しているのは第六師団、王立軍の中でも末端の部隊に当たる。

 それだけ前線に近いとも言えるが、だからと言って軍紀を乱してよいわけがない。


「あ、あの、マリアベル様、ありがとうございました」


 絡まれていた少女が拝むように頭を下げながら礼を言ってくる。

 ひとまずお茶を飲ませて落ち着かせながらほかの少女たちが全員天幕に揃うのを待つ。

 全員が揃ったところで、先刻の出来事のあらましを話すと、他にも似たような被害が後から後から明らかになった。

 治療の補助をしていたら不躾に肩や背中、胸や腰に触れられたり、下品な冗談を延々と聞かされたり、中には先ほどのように兵士の天幕へ連れ込まれ、危ういところを逃げ出した、というものまであった。


「部隊長へは訴え出たの?」


 学生看護部隊は医療兵の部隊長の指揮下にあり、問題や危険が発生した場合は部隊長の采配を仰ぐことになっている。

 それは逆を言えば医療部隊の部隊長には学生部隊の人員を守る義務があるということの筈だ。

 この部隊の長は軍医としての経験の長い中年の男性兵士だった。

 仕事は真面目で、兵士たちからの信頼は厚い様子だったが……。


「それが……前線の兵士の間ではその程度は緊張を解す為の冗談だから、適当に受け流せって……」

「女子学生は男子のように力仕事も任せられないのだから、せいぜい兵士を慰労しろとも言われました」

「どうしても嫌なら本気で抵抗すれば逃げられるだろう。逃げないのは見初められて悪い気はしてないからじゃないかって……」


 彼女達の話を聞くにつけ、部隊長は当てにならないということがよくわかった。

 このことはお父様にご報告して然るべき措置を取って頂かなくては。

 取り急ぎ、現状をどうするかということだけれど……。


「あなたたち、今から言うことをよく聞いて、明日からわたくしの言うとおりに動きなさい」


 この際使えるものは使っておこう。この場合は、持って生まれた身分というやつだが。




 そうして魔獣討伐の行軍が折り返し地点に差し掛かった頃、わたくしは呼び出しを受けた。

 呼んだのは行軍の最後方で世話役の巫女達に囲まれ、傅かれた華やかな聖女、クローディアである。


「マリアベルさん、何で呼ばれたか分かってるかしら?」

「さぁ? 道中のお話相手でしたら、わたくしそれ程暇ではございませんから他所をあたって頂きたいところですけれど、何かしら?」


 居丈高な態度に、こちらも尊大に返す。

 聖女に選ばれたとはいえ、所詮は平民である彼女に払う敬意は持ち合わせがない。

 学園にいた頃と変わらぬわたくしのある意味平等な態度にクローディアの表情が引きつるのが見える。


「前線の兵士から、あなたがわがままを言ってばかりで全然仕事をしないって報告を受けてるの。それもあなた一人ではなくて、あなたが自分の身の回りのことをさせたいからって他の女子学生にも仕事を断らせてるって。あなたボランティアをなんだと思ってるの?」


 聖女用の天幕は末端の女子学生用のそれと比べると、広さも中に用意された調度の類も天と地ほどの差がある。

 クローディアは天幕の中央に置かれた柔らかく、大きなクッションを寝椅子のようにして仰臥しながら数人の巫女に髪を梳いて貰ったり、焼き菓子を差し出されたりと優雅な様子で寛いでいた。

 なるほど、物見遊山などと言われるのも頷ける。

 せめて他人にお説教をする時ぐらいは起き上って背筋を伸ばすべきではないのだろうか。


「課せられた時間の課せられた任務はちゃんと果たしておりますわ。わたくしがお断りしてるのは夕方以降、時間外に言いつけられる雑務と、無用の接触。看護とは無関係な会話の強要および医療天幕以外の天幕への呼び出しですわ。昼間の看護活動は行っておりますし、水や食料の配給も手伝っています。仕事をしていないだなんて言いがかりではございませんこと?」


 ほかの女子学生にしても、時間外の呼び出しに応じなくて良いと言っているだけで、時間内にはちゃんと仕事をさせている。

 ただ、任務を逸脱して絡まれたりしている場合は用事を言いつけてその場から遠ざけるようにしてはいるが。

 夜間部に確認したところ、夜の看護任務も特に忙しいということはなく、わざわざ時間外の女子学生を呼ぶような仕事はないということも確認済みである。


「ボランティアってそういうマニュアル通りのことだけをすればいいってものじゃないと思うわ。人のためにできることを何でも精一杯やるっていう気持ちが大事なのよ。前線の兵士の皆は家族や国の為、命がけで戦ってるの。そうやって守られてる中にマリアベルさんたちだって入ってるんだから。その有難みを感じてたら時間外とか看護以外は自分の仕事じゃないなんて、私なら言えないわ」


 兵士は任務に即した報酬を国から支給されており、命を賭けるのも、わたくしたちを守るのも、その報酬によって課せられた任務である。

 国への忠誠心がないとは言わないが、だからといって無償で看護にあたる学生に無体を働く権利が生じるわけではない。


「あなたが夜間に手伝いの名目で呼び出され、酔った兵士に不埒な真似をされても同じことが言えまして?」


 前線の現状も知らぬお花畑思考のクローディアは女子学生の身に降りかかった災難を聞くと目を丸くして絶句した。

 これで多少は現実を知ってくれるといいのだけれど……。

 けれどクローディアは柳眉を吊り上げながらこう言い放った。


「命がけで真面目に戦ってる兵士さんを痴漢呼ばわりするなんて、ひどい侮辱だと思うわ。いくら何でも失礼よ!!」

「戦っている時は真面目で、命を賭けていても、不埒な言動をするものなどいくらでもいますわよ」


 実際にこの目で見たのだから間違いはない。


「マリアベルさんは自分が美人だから狙われてるって思いこんでるだけなんじゃないの? 自意識過剰が過ぎるわ」

「わたくしはわたくしが狙われたなどと一言も言っておりませんわ。クローディア、あなたが前線を慰問で回っても不埒な言動を浴びせられることがないのはあなたが『聖女』という肩書を持っているからでしてよ。兵士はあなたには建前の姿しか見せてはいないでしょう。それを全てと思い込むのは視野が狭いのではなくて?」


 実際わたくしもロートレックという名を背負っているからこそ、兵士たちから女子学生を守る盾になることができているだけで、それが無ければどうなっていたか分からない。


「あなたこそ一部の兵士がちょっと冗談を言ったぐらいで大袈裟に騒ぎすぎてるんじゃないの? ここはお上品な社交界じゃないんだもの、男の人の冗談ぐらい笑って受け流すのが普通の人付き合いのコツなのよ。ボランティアで参加してるんだから貴族の常識振りかざして周りに迷惑をかけないで」


 奉仕活動だからと言って尊厳を傷つけられるような言動を受け流すことなどしたくないし、それは貴族でなくても同じなのではないかと思う。


「一部の兵士とはいえ、害悪を撒き散らせば被害を受けるものは多数に及びます。上に立つ者がそれを許容するようなことを言えば彼らは増長し、被害者は声を封じられますわ。聖女様がどこの世界の常識でものを仰ってるのかわかりかねますけれど、被害に遭っている者にはあなたと同じ平民の娘たちもいるのですよ」

「被害っていうけど、実際のところそんな報告は受けてないわ。噂話も聞かない。いくら私には建前で接すると言っても、そんな事があれば噂くらいにはなるでしょう? 女の子たちが仕事をサボりたくて嘘を言ってるんじゃないの?」


 噂にもならないのはあの程度の戯れは兵士たちにとっては話題にするほどでもない程、軍内部で当たり前のように不埒な行いが横行していたからではないかと思う。

 絡まれた女性も、めったなことでは被害を訴えることはしないだろうから、事案が潜在化しているに過ぎない。

 被害を訴えても部隊長がクローディアと同じように『受け流せ』といって事態を無かったことにしてしまうし、それを押して訴えたところで現場にいても助けてもくれない周囲の兵士が、そんな事実はなかったと証言してしまえば被害女性の虚偽で片付けられてしまう可能性を考えずにはいられまい。

 また、明確な暴力を受けたり、怪我をさせられたわけでもない状況では目撃証言以外に加害を証明する術がない。

 そして被害を訴えて認定されたとしても、被害女性にもたらされるのは周囲の好奇と憐憫、そしてなぜ身を守り切らなかったのかという非難の眼差しだ。

 たとえ平民でも家柄によってはそのような被害に遭ったと言えば縁談に支障をきたすこともあるだろう。

 そんな中、被害を受けた側が精神的にも状況的にもリスクを負って訴え出ることはとても難しい。

 その上、この遠征軍に参加している女性の中で頂点に立つ聖女がこのような認識では訴えて状況が改善する希望など露ほども抱くことができない。


「女子の看護部隊には知ってる子もいるからあえて言うけど、みんなちょっとしたことですぐに誰それからいやらしい目で見られたとか、自分は誰それから目を付けられてるとか思い込みで言っちゃう子なんていっぱいいたもの。いちいち真に受ける方がどうかしてるわ」

「それは……実際に嫌な思いをなさってたのでは……?」

「ないない。どの子もそんな目で見られるような感じじゃないもの。だいたい、半分以上は一緒にいた私への視線だったのよ。話に出てい男の子や先生たちはその前に私に告白して来たんだから間違いないわ」


 それは……振られた恨みをクローディアの周囲の手を出しやすそうな辺りにぶつけていたのではないだろうか……。

 もしくは将を射る為の駒と認識されたか。

 いずれにせよとばっちりには違いない。


「マリアベルさん、軽い気持ちで言ってる陰口を真に受けて兵士を罰を与えたりしない方がいいわよ。兵士の皆は殆どが奥さんも子供もいる。ちょっと嫌な思いをしたからって性犯罪者みたいなレッテルを貼って彼らの名誉を傷つければ家庭もなにもかもめちゃくちゃになっちゃうの。 そんなことになってもあなたは人を人とも思ってないだろうから気にしないだろうけど、他の女の子はきっとすごく重荷になっちゃうわ」

「罪を犯した兵士が身を持ち崩したとしても本人の自業自得でわたくしにも、もちろん被害に遭った女子にも関係ございませんわね。そこまでおっしゃるならクローディア、あなたが夜間に前線の兵士の天幕を回ってお酌でも宵のお相手でもして差し上げたらよろしいわ」

「私には私の仕事があるもの。そんな風に話を逸らして誤魔化さないで。私はあなたの奉仕活動への姿勢について話してるの。ちゃんと謝って、真面目にやるか、やる気がないなら王都でも故郷の田舎でもどこにでも帰ってくれていいのよ」


 話を逸らした覚えはない。

 わたくしは最初から時間外、特に夜間の兵士の相手はわたくし含め女子学生にはさせないと主張しているだけで、それが時間外でも兵士の為にやるべき仕事だとクローディアが感じているなら本人がやればいいと言ったまでだ。

 それにわたくしが部隊を抜けて帰るかどうかを決めるのはクローディアではない。

 お父様が軍上層部に掛け合って中途での離脱を認めさせるか、遠征軍全体を統括するマーニュ将軍がそれを決定するかしなければ、一度行軍に参加したものが抜けるのは容易ではない。


「謝る必要は感じませんし、このまま話し合っていても無駄だと思いますわ。聖女様は明日も次の遺跡で浄化の儀式を控えていらっしゃるのですから、わたくしはそろそろ失礼させていただきます」


 これ以上の会話は無意味だと打ち切って立ち上がる。

 ずっと天幕の床に座らされていたので多少足が痛むが、ふらつくほどではない。


「それでは、聖女様、世の為、国の為、必要とされている間だけはお元気でお過ごしくださいませ」

「ちょっと……まだ帰っていいなんて……」

「もう交代の時間ですから。わたくし、時間外の無為な会話の強要はお断りしておりますの」


 引き留めようとするクローディアを尻目にさっさと天幕を出る。

 後方の陣にある聖女の天幕から自分が所属する部隊の天幕へは多少距離がある。

 この分では天幕に着く頃には暗くなってしまっているかもしれない。


「部隊の者たちは、今日も無事かしら……?」


 わたくしが不在だからといって何かあればお父様に訴えると釘を刺してあるから大丈夫だとは思うけれど……。

 そんなことを思いながら足早に歩いていると、木立が生い茂って陣と陣を分断している道に出た。

 距離としてはそこまで長くないが、人気の途絶えた道だ。

 周囲を警戒し、小走りに進む。

 木々の途切れ目から所属部隊の陣が見えたところで、唐突に気の影から人影が現れた。


「伯爵家のお嬢様、お急ぎでどちらへ?」

「時間外にお外へ出てるなんて珍しいですね? 夜遊びなさるんでしたら俺らとも遊んでいただきたいですね」


 大柄な人影は三人、顔に布を巻き、部隊章や身分を現す徽章を付けていない。


「わたくしが誰か分かっているなら道を開けなさい。お前たちなどと戯れるほど落ちぶれた覚えはなくてよ」

「まあそう言わずに。誰かもわからない相手じゃ訴えようもないでしょう? こっちとしてもお嬢さんの名誉までは傷つける気はないんですよ。ちょっと弱みを握らせてもらいたいだけでね」

「まあ、弱みって言ってもそれなりには楽しませてあげますよ」

「そう……わかったわ」


 わたくしがそう言うと、男達はじり、と距離を詰めてきた。


「お前たちが本当に愚かでどうしようもないということはわかったわ。……蔓薔薇の盾よ、開け!」


 一歩も下がることなく、自身の周囲に半球型の蔓薔薇のドームを展開する。

 6年前にお兄様を包んだものよりもさらに強力な守護の檻。炎をも防ぎ、生半可な武器や魔法では傷ひとつ付けることはできない強固なものだ。


「なんだこいつ!?」

「自分から檻に入りやがったぞ!」


 見た目上は檻だが、少なくともこの中にいる間は男達にはわたくしに触れる術はない。

 そして、自身の身さえ守れれば、あとは……。


「うっとおしい真似しやがって!」


 男たちが蔓薔薇の壁を蹴ってくる。当然びくともしないが、壁越しとはいえガツガツと蹴り込まれるのは恐ろしいし、不愉快だ。


「家の力がなきゃ何もできない小娘のくせに、身一つでこんな遠征に参加した自分を恨むんだな!」

「身一つ、で参加したなどと、言った覚えは無くってよ」

「は? 何を……」


 その時、木々の闇の中から、高く澄んだ声が響いた。


「―――深淵なる眠りの霧よ、闇を与えろ」


 声と同時に男たちの顔の辺りが黒い霧で覆われる。

 それは一瞬で、男たちは声もなくその場にバタバタと倒れ伏した。


「お嬢様、ご無事ですか?!」


 木々の合間を縫って現れたのは黒髪で軽鎧に身を包んだ年若い歩兵―の格好をしたラファエルだった。

 雀斑を消し、大人びた変装を施した姿は実年齢よりも5年は上に見える。

 今回の遠征に学生部隊として参加するにあたって、表立って侍女や従者を連れてはいけない為、変装して一般の歩兵部隊に紛れてついてきて貰っていたのだ。

 そうでもしなければ、お父様が無理やりにでもわたくしを休学させ、部隊から外していただろう。

 本来なら兵士同士の死闘は厳罰ものだが、ラファエルは闇属性の魔法で眠らせただけだ。

 そもそも仕掛けてきたのは向こうだし。問題ないだろう。

 簡易な魔法ではあるが、魔法兵が少ない王立軍の末端兵相手では十分な武器になる。


「ラファエル、ありがとう。助かったわ」

「いえ、あのバカ女に呼び出されたと聞いたので、警戒してはいましたが、間に合って良かったです」


 そういえばと、ふと思う。これはクローディアの罠だったのだろうか。

 わたくしを呼び出して一人歩きさせ、その隙をついて兵士たちに襲わせる……。

 ありえない話ではないが、クローディアが直接この者たちに指示をしたということはないだろう。

 せいぜい呼び出して遅くに天幕の外を歩かせ、その情報をリークする。

 しかしそうなると、彼女は遠征軍内部の治安が悪化していることを分かっているということになる。

 先刻の様子では兵士たちが真面目に任務に取り組んでいると信じているような口ぶりだったが……。


「こいつら、所属や身元を証明するものは持ってないですね。自分たちの天幕に置いてきてるんでしょうけど、どうしますか? 縛り上げて部隊長……は当てにならないから、第六師団の団長あたりに突き出しますか?」


 ラファエルが男達の覆面を外しながら尋ねてくる。

 確かに、これほど明確に攻撃を受けたのだから、訴え出れば罰を与えることは可能だろう。

 そろそろお父様に報告した分も含めて第六師団全体に綱紀粛正の令が下る。

 部隊長は少なくとも解任。あのいやらしい兵士たちも降格なり何なりの処分を受けるだろう。

 行軍中での処分は保留になるかもしれないが、少なくとも女子学生をちゃんと守ってくれる後任の部隊長が配属されれば、煩わしい被害は減るはずだ。


「ひとまずはわたくしの蔓薔薇の鎖で手足を縛っておきましょう。運ぶにしても重たいし、師団長に報告して、明日の朝にでも回収していただくわ」

「そうですね。まずはお嬢様を天幕までお送りいたします」


 ラファエルが頷いて手を差し出してくる。

 小さいけれど頼もしいその手にわたくしは自分の手を重ねた。




 ラファエルに送られて天幕に戻ると、ほかの女子学生もその日の任務を終えて戻ってきたところだった。

 どうやらわたくしの不在中も問題はなく、みんな無事に過ごせたようだ。

 ホッと一息ついて配給された食事をみんなで囲む。

 学園や王宮、実家のロートレック邸で食べる食事とは比べるべくもない粗食ではあるが、味は悪くない。それにこうして輪になって床に敷布を広げて食事をするというのはピクニックのようで楽しくもあった。


「むかし、アンリお兄様やオ……ノワール子爵とロートレック領の野山へ出かけた時のことを思い出しますわ」


 たしか川に落ちてお兄様に助けられたのだ。それ以来水辺は苦手だ。


「まあ、ノワール子爵と? マリアベル様は昔からすごい方々とご交流がございますのね。第二王子殿下のご婚約者に選ばれるだけはございますわ」

「ノワール子爵って、学園にも時々来られてる方ですよね? すごくかっこ良くて……でもちょっと怖くて……宰相様のご子息なんですよね?」


 とりとめもない話をしていると、天幕の外でラファエルの声がした。


「マリアベル伯爵令嬢、夜分にすみません。先刻の件でご報告が」


 天幕の入り口に出ると、険しい顔をしたラファエルが待っていた。

 そっと声を潜め、告げられたのは―――


「先ほどの男たちの姿が消えました。鎖を解いたような跡はなく、藪の中へ向かって引き摺ったような痕跡がありましたが、暗くなっていたので追いきれませんでした」

「みのむしみたいに這いずりながら逃げたのかしら?」

「……どこかで仲間と合流して戒めを外したのかもしれませんが……申し訳ありません」

「仕方ないわ。あの場ではわたくしを送る方が優先事項だもの。ならず者たちの顔は見ておいたから、明日以降、探してみましょう」


 けれど、翌日になっても、その翌日になっても、ならず者たちの姿を行軍する部隊の中で見つけることはできなかった。

 行軍中に姿を消す脱走兵は多くはないものの若干は発生する為、そのような者たちに紛れて軍からも逃げたのかもしれない、そう思っていた。



 三人の男たちが変わり果てた姿で発見されたのは、4日後、森の中の神殿へ向かう途中の湖のほとりでのことだった。

 蔓薔薇に手足を縛られ、水面を漂っていたところを斥候に出ていた兵士が発見したのだ。

 湖は先日までわたくしたちが逗留していた空き地から下流にあたる。

 ここまで流されるうちに川底や周囲の岩に何度もぶつかったのだろう身体も衣服もボロボロで、水で膨れた顔は判別が難しい状態だった。

 けれどもその死体が軍から姿を消した者だと分かったのは、彼らの服のポケットに所属部隊の徽章と身元を証明するタグが入っていたためだ。


「マリアベル=フォン・ロートレック伯爵令嬢、今朝発見された兵士の遺体について、お伺いしたいことがあるのだが、ご同行願えますか?」


 第五師団団長、シュテファン・ロフナー男爵がそう言って訪ねてきたのは、その日の昼の任務が終わり、夜間部の学生へと引き継ぎを行っている時のことだった。

 ざわついていた医療天幕が一瞬で静まり返った。

 そんな中、ロフナー師団長の声はよく通り、隅々まで朗々と響いた。


「あなたに、我が第五師団兵士の殺害、もしくはその幇助の疑いがかけられています」


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