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第十九話 晩餐会と聖女と令嬢と、開戦のエトセトラ

またちょこっと更新

「これは……何ですの?!」


 王宮について案内役の女官に導かれて連れて行かれたのは、ここ数年使われていなかった王宮の春宮しゅんぐう大広間だった。

 春宮は王太子であるギュスターヴ殿下のお住まいでもある。

 病弱なギュスターヴ殿下はあまり王宮の大きな催しものを主催することもなかったので、立太子の祝賀や誕生日の舞踏会なども本宮で、国王陛下主催で行われており、春宮のホールはここ何年も使われることは無かったのである。

 その大広間での晩餐会、通常であればホール内に長テーブルが設置され、身分の高い者から順に席が決められているのが普通であるが、ホール内に並べられたテーブルはいずれも丸い形をしている。

 ホール中央にはひときわ大きな円卓が置かれていたが、それ以外は大小さまざまな丸いテーブルが適度な間隔で並べられていたのだ。


「ルーベンス侯爵の提案で、卓に着くものは上下の隔てなく、等しく言葉をかけあえるように、こたびの派兵に向けて、より一層の信頼と連携を作れるようにという意図であると聞いている」

「……テーブル内に上下の隔てがなくともテーブルごとの上下は覆りませんのね」


 見たところ中央のテーブルは国王陛下とその家族、そして主賓の方々が座るようになっている。

 今回の場合主賓となるのはルーベンス侯爵、ノワール公爵、ガルー侯爵、そして神殿から祭司長と聖女がこのテーブルになる。

 ちなみにわたくしはミカエル殿下のパートナーなので中央のテーブルだが、父であるロートレック伯爵は一つ隣のテーブルになる。

 ホールの端へ行くほど貴族としては末端の家格であったり、爵位はないが、今回の派兵任務に参加する為特別に招待された王立軍の兵士が座るテーブルになっている。


「魔獣討伐派兵の壮行会という御題目でしたら、主賓となるべきは彼らの方でしょうにね」


 民の為、その生活を守るため、現地へと赴いてその身を危険にさらす兵士を端近に座らせ、役に立つのかどうかもわからない伝説の聖女とやらに国王と同じテーブルに着く栄誉を与える……。

 兵の士気向上を謳ってはいるがその実、神殿勢力を国内外に誇示するための示威行為という気がしてならない。



 案内されるままにテーブルについて程なくしてオーギュストを連れたノワール公爵夫妻、ルーベンス侯爵やその他の賓客が続々と大広間へと入って着席する。

 国王陛下と王妃様、それに王太子夫妻が最後に来ることになっているが、他の賓客がすべて席に着いたあとも、わたくしの目の前、聖女と祭司長の席は空席のままだった。

 よもや遅刻してくるのだろうかと、他人事ながら気を揉み始めた時、ホールの入り口が音を立てて開かれた。


「遅れてごめんなさい!」


 そう言って飛び込むように入ってきたのは、艶やかな黒髪の美少女、クローディアだった。

 息を切らせ、頬を紅潮させながら頭を下げる少女の美しさに、広間のあちこちからため息が零れる。

 元々美しく、人目を引く少女だったけれど、しばらくぶりに見る彼女はこれまでにもまして輝いて見えた。

 シャンデリアの光を弾くほど艶のある黒髪は聖女像に描かれるような古代風の編み込みをいくつも作りながら半分ほどを後頭部で結い上げ、水晶と真珠を連ねた髪飾りで止められている。残りは背中へと流しているが、彼女が動くたびに衣擦れの音を立てそうなほど滑らかに揺れてたなびく。

 白を基調にした浄衣は神殿最高位の巫女のみが着用を許される虹色の絹で仕立てられており、彼女の華奢でいて女性らしい曲線を描く肢体に添うように襞を寄せて腰をビーズの縫い取りが施されたベルトで締めている。くるぶしまであるスカートがキラキラと輝いて見えるのは砕いた貝殻を縫い込んでいるからだろう。

 純白の手袋は肘までの長さで、ゆったりとした袖との隙間から垣間見える肌が艶めかしい。

 清楚で可憐でありながら、おそらくこのホール内のどの令嬢よりも贅を尽した装いに、他のテーブルに着いていた令嬢たちが眉を顰めるのが見えた。

 神に仕える神殿の神官や巫女、聖女が贅沢な衣装に身を包んでいるというのは本来ならばおかしな話ではあるが、お父様に言わせると、神殿をはじめとする宗教組織は優秀な経済組織としての側面を持つものであるらしい。

 各神殿に集められるお布施は莫大な額に上るほか、税制や領地の運用についても一定以上の優遇措置がある。

 聖女がその組織の頂点として崇められる存在であるならば、その身に纏うものは王侯貴族並の物が用意されておかしくはないということだ。


「あれが……」

「……平民の……」


 ちらほらと聞こえてくる囁きは決して好意的なものとは言えない。そしてその視線が時折わたくしの隣に座る殿下へも投げかけられていることに、気づかないわけにはいかなかった。


「殿下」

「……大丈夫だ」


 そっと横目で窺うと、意外にも殿下は落ち着いた様子で、わたくしに微笑みを返しさえなされたけれど、心なしかお顔の色が悪くなっているように見えた。

 仕方なく、テーブルの下、膝の上で硬く握りしめられていた殿下の拳にそっと手を重ねる。

 開いた扇の影で、殿下にだけ聞こえるように、そっと声を潜めた。


「毅然となさって。わたくしが付いておりますから」

「マリア……」


 指先に感じていた震えが治まっていく。筋が浮くほど強く握りしめられていた拳がゆるりと解けた。

 もう大丈夫だろうと、そっと手を離そうとして、不意に殿下から握り返された。二、三度ぎゅっぎゅっと握られ、すぐに離される。

 殿下の顔を見上げると、唇が微かに動いて、声には出さなかったものの、謝意を伝えられた。

 その顔は血の気が戻ったようで、こちらも扇の影で口元を緩める。


「お久しぶりです、マリアベルさん、ミカエル様。なんだか随分仲良しさんなんですね」


 なごみかけた空気を粉砕するかのように、甘く弾んだ声がテーブルの向かい側から投げかけられた。

 ホール中の注目を集めながら進んできたクローディアが王宮の侍従に椅子を引いてもらいつつ、こちらへと挑戦的な表情で微笑んでいた。


「ミカエル様ってばあんなにマリアベルさんのこと毛嫌いして、横柄だとか性格が悪いとか、思いやりがないって仰ってたのに、意外と気が合っちゃったんですか?」


 嘲りを含んだ声音に反論しようとするミカエル殿下を手で制して、わたくしは扇を開いたまま、オーギュストの隣、今回の晩餐会にあたって彼のパートナーとして連れて来られたノワール家遠縁の伯爵令嬢に声をかけた。

 クローディアの存在はまるっと無視して、である。


「アルフォンヌ様、今日はお会いできてうれしゅうございます。お噂はノワール子爵から窺っておりましたの。その髪飾りは子爵からですの? 素晴らしい細工ですわね」

「え?! ええ、あの……ロートレック伯爵令嬢様にそのように仰っていただけるなんて光栄の至りに存じます。あの、アリアベル様の髪飾りとドレスもとても素晴らしいお品で、よくお似合いですわ!」


 緊張に震えていた少女が頬を真っ赤に染めながら一生懸命返事を返してくる。

 オーギュストがこういった場に連れてくるパートナーは大概遠縁の娘だったり、何らかの取引がある豪商の娘であることが多い。

 パートナーとして紹介することで嫁ぎ先を探す少女の手助けをしていたり、別の貴族との橋渡しになるためだ。

 オーギュスト自身は婚約も結婚もしてはいないのだが、彼の場合は常日頃の変人ぶりがその原因ではないかとまことしやかに噂されているし、本人もそれを否定していない。

 今回の晩餐会にもいかにも不慣れそうな彼女を連れてきたのは何らかの意図があってのことだろう。

 それはともかくとして、この場ではクローディアの気勢をそぐために利用させていただくことにした。


「ふふ、ミカエル殿下がご自身の瞳の色に合わせて誂えてくださいましたの。殿下のカフスはわたくしから贈らせていただきましたのよ」


 嘘であるが、この場合は嘘も方便である。

 クローディアの存在を歯牙にもかけないと見せつつ、殿下とわたくしの婚約関係には何の問題も起きていないことを内外へアピールする。

 尊き王子である殿下にとって所詮平民の娘など一時の気の迷い、国の要として、上に立つ者としての立場を、殿下は忘れてなどいなかった、ということを知らしめるのだ。


「まあ、そんな素敵なドレスをお贈り下さるなんて、殿下の愛情の賜物ですわね」


 感激したように瞳を潤ませ、憧憬と羨望の眼差しで見つめてくるアルフォンヌ様に微笑み返しながら、横目でクローディアを窺う。

 存在を無視された挙句、目の前でわたくしが殿下から豪奢なドレスを賜ったと聞かされたクローディアは怒りに頬を染め、わなわなと震えていた。


「へぇ……ミカエル様ってば、私にはそんなものくれたことなかったのに……」


 周囲には聞こえないように潜められた声にはどんよりと濁った妬みの感情が渦を巻いていた。

 それはそうだろう。学園でクローディアは殿下をはじめとする貴公子たちから様々な贈り物と称した貢ぎ物を受け取っていたが、レオナルドのように度を越した浪費家と違い、殿下が彼女に贈ったのはささやかな、それでも平民である彼女の身には余るほどの高価な品ではあるが、日常使いのできる小物や髪飾りで、今宵わたくしが身に纏っているドレスとは桁が違う安価な品物ばかりだったのだから。

 彼女の事だから、貴公子たちを競わせ、それとなくより高価な貢ぎ物をねだっていたようだが、ミカエル殿下は彼女のために国庫を開かせるという愚は犯さなかった。その為、貴公子たちの誰よりも高い地位を持ちながら、殿下がクローディアに贈ることができたのはささやかな品と、彼自身の心だけだったのだ。


「殿下も少し前までは多少やんちゃもなされていましたけれど、子供のままごともご卒業なされて、これからは王家を支える者として、誠心誠意尽されると。その為にもわたくしと二人でお互いを支え合っていこうと請うて下さいましたの」

「まあ、素敵! まるで物語の中のプロポーズの様ですわね!」


 目を輝かせるアルフォンヌ様は心の底からわたくしの話を信じて感激してくださっているらしい。オーギュストの親戚にしては珍しい純真なお方だ。

 おかげでとても扱いやすい。


「ええ、わたくしの前に跪いて、騎士の誓いのようで。わたくし感動で震えてしまいましたわ」


 本当は襲われかけた恐怖で震えが止まらなかったのだが、置いておく。

 さて、いい加減クローディアを無視し続けるのも限界らしかったので、さも今気づいたというように、わなわなと震えている彼女へと向き直った。


「あら? どなたかと思ったらクローディア・モーヌではありませんこと? ここは王宮の晩餐会で、学園の食堂ではございませんけれど、道をお間違えになったのかしら?」

「この格好見ればわかるでしょ!? 私はっ!」


 感情のままに怒鳴り散らそうとしたクローディアの肩に白魚のような手が置かれ、その言葉を遮った。


「そこまでです。ご令嬢、どうか我らが聖女を俗世の毒で乱されぬようお願いいたします」


 クローディアをそっと背に庇うようにして前に出たのはスラリとした神官のローブに身を包んだ男だった。しなやかで優美な立ち姿は性別を感じさせないが、浄衣に包まれた肩の幅や、骨ばった手の甲などで男性だと分かる。

 その顔には見覚えがあった。


「ジョシュア……様?」


 確かそんな名前だったと思って声をかけると、柔和な笑顔で頷かれた。


「先日はありがとうございました。申し遅れました、私、中央神殿で祭司長を拝命いたしております、ジョシュアと申します。以後、お見知りおきを」


 祭司長という地位にしては驚くほど若く見えるが、思ったよりもお歳を召しているのかもしれない。

 彼が来た途端、この場の空気が変わったのが分かる。

 今にも癇癪を起しそうだったクローディアが落ち着きを取り戻したように大人しくなり、その顔に無邪気で清楚な微笑みを浮かべたのも、この男という味方が登場したからだろう。

 先ほどまで路傍の石扱いを受けていた少女は再び場の主役へと躍り出た。


「正式なご紹介は陛下がお越しになられてからさせていただきます。……が、我が神殿では神に帰依したものは神の御前に平等であると説いています。そして彼女は神自らがお選びになったお方です。お心に留めていただきますようお願いいたします」


 穏やかではあるが有無を言わせぬ物言いに、反論するものは居ない。

 大のクロノア信者であるルーベンス侯爵に至っては、大仰にうんうんと頷いていらっしゃった。


「さすがは時と光の女神を奉る中央神殿の祭司長殿ですな。私も神の教えを何よりも尊んでおりましてな。今宵はこの卓が示すように我らは平等且つ対等な者同士、共に国の行く末について大いに語りたいと思っております」

「ええ、この卓をご提案くださったルーベンス侯爵のお考え、我々としても素晴らしいと感服いたしました。今後とも神への信仰を示されますことをお祈りいたします」


 このテーブルではルーベンス侯爵が最古参の貴族であり、なおかつ王太子殿下の後見でもある。

 そのような地位の者が是とするならば、それはこのテーブルにおける序列の決定に他ならない。

 卓の中では身分の上下がないなどと、戯言もいいところである。


「国王陛下、王妃殿下並びに王太子殿下、王太子妃殿下の御成りです」


 王宮の侍従長の宣言によって、ざわめいていた広間が一気に静まった。座っていた者たちも一斉に立ち上がる。

 広間奥の王室専用のドアから、近衛騎士に先導されながら国王陛下と王妃様、ギュスターヴ殿下とエミリア妃殿下がご登場なされ、拍手と共に迎え入れられる。

 この登場の仕方は王室トップである国王陛下とその後継ぎである王太子、そしてその配偶者のみについて行われるもので、第二王子であるミカエル殿下はこの中には入っていない。

 今更ながらに、ミカエル殿下が王太子でなくて良かったな、と思う。

 このような大袈裟な登場の仕方を毎回せねばならないとしたらとても肩がこるだろう。

 現にエミリア様とギュスターヴ殿下の顔は緊張に引きつって、青褪めて見える。

 荘厳な威厳を漂わせる壮年の偉丈夫は我がクリステル国王、フィンセント=ファンゴ・ホーン・クリステルである。ダークブラウンの髪に石榴石のような暗紅色の瞳、歳を経てなお美しさと雄々しさを持った眼光鋭き君主である。

 その傍らに立つのは王子二人を産んで尚衰えを知らない美貌を輝かせる王妃、ポーラが鷹揚に微笑んでいる。白銀の髪に夕映えの空のような朱の瞳、ミカエル殿下によく似た面差しは、殿下が母親にであることを如実に物語っている。

 そんな堂々たる国王陛下の後ろにつき従って来た王太子夫妻はいっそ哀れなほど地味に映る。王太子というより従者にさえ見えた。

 ギュスターヴ殿下自身、国王陛下と似たところが無いわけではない。

 髪の色は陛下と同じダークブラウンだし、少し太めの眉や頬骨の高さなどはよく似ていると思う。

 けれど、下がった眉尻の下で力なく伏し目がちな小さな瞳と、薄い唇、やせ気味の体躯が、力強く雄々しい陛下の影で余計に小さく見えるのだ。


「皆の者、待たせたな。今宵は近々王都より派遣される魔獣討伐に備え、王立軍の精鋭たちに英気を養ってもらうために最高の食材を王宮が誇る最高の料理人に仕立てさせた。みな、思う存分に味わってほしい」


 席に着く前に陛下はそう言って銀の王杯を手に開会を宣言した。広間の拍手が一層高まる。

 私たちもそれぞれにゴブレットに注がれたワインを手に、乾杯を告げ、晩餐会は始まった。



 晩餐会では料理は前菜オードブルから順に運ばれてくるが、その速度は非常にゆっくりとしている。中央のテーブルに近い程、給仕の際に侍従の毒見が入るし、会のの主目的は食事ではなくあくまでも社交、会話にあるからだ。


「ミカエル殿下は今回の討伐に随行なさるとか」


 スープを味わった後で、ルーベンス侯爵がおもむろにミカエル殿下に話しかけてきた。

 殿下はパンをちぎっていた手を止めて、背筋を伸ばすと、凛々しくも真っ直ぐな笑みを浮かべた。


「ええ、王立軍を統制する中央騎士団を、陛下の名代として率いらせていただきます。王家の名に恥じぬよう務めを果たしてくる所存です」


 真面目な公務の話をするときの殿下は一切の気鬱を見せないし、まさしく王者の風格を漂わせている。

 それが王太子と比較してミカエル殿下を後継ぎにと推す声がなくならない原因であるため、ルーベンス侯爵としては面白くないのだろう。

 年老いた梟を思わせる老獪な顔に、意地の悪い笑みが浮かんだ。


「道中このように美しき聖女と共に行かれるとは、マリアベル嬢も気が気ではありませんな?」


 ミカエル殿下が学園で聖女と呼ばれる前のクローディアに入れあげていたのを承知の上での揶揄に、殿下の笑みが引きつるのが分かる。

 もとより気はそれほど長くはない方だ。放っておけば暴発の恐れもある。

 わたくしはナプキンで口元を拭い、扇を広げた。

 ルーベンス侯爵に向かって会心の微笑みを浮かべてみせる。


「わたくしは殿下のご無事のみが心がかりで、ほかのことについてはあまり心配はしておりませんのよ。随行と言いましても聖女様の隊は軍列後方で御祈りを捧げて土地を浄化しながらの旅路、そのような俗な心配こそ無用というものですわ」

「なるほど、流石はマリアベル嬢、お心が広い」


 何が流石なのかはわからないが、この手の会話には深い意味というものはない。

 上滑りな嫌味であっても相手に揺さぶりをかけられれば上等、掛けられなかったとしても侯爵側に損はない。


「それにしても、先ほどからお食事が全く進んでおられないようですが、大丈夫ですか?」

「ええ、今この時も魔獣に苦しむ民がいるのかと思うと胸が詰まってしまって……」


 実際はコルセットできつく締めあげているため食べられないのだ。同じテーブルのエミリア妃殿下や王妃様、アルフォンヌ様も殆ど料理に手を付けない。

 そんな中、出された料理を美味しそうに平らげている女性が一人だけいた。

 言わずと知れた、クローディアだ。

 彼女の浄衣は見たところ腹部を締め付けるようなデザインではない。

 思えばクローディアは学園にいた頃から自分は食べても太らない体質だと言って、貴公子たちと甘味を食べに市井へ降りたり、貢ぎ物のお菓子を自慢しながら一人で食べていた。

 実際、彼女のウエストはコルセット無しでも十分に括れていて、その上女性らしい膨らみにも恵まれている。

 単純な胴回りや体重で言えばわたくしのほうが痩せているだろうが、どちらがより女性として魅惑的な身体かと言われれば、悔しいがクローディアには敵わないだろう。


「こんなに美味しいのに、残すなんて、もったいないし、せっかく作ってくださった王宮の料理人の方にも失礼じゃないかしら?」


 サラダをぺろりと平らげたクローディアが心の底から幸せそうに舌鼓を打ってそう言うと、憐れむような目でこちらを見た。

 実際憐れんでいるのだろう。


「美味しいのに皆さんずっと苦しそうに食べてて、見ていて食材が可哀想になっちゃいます」

「そうですね。食事は大地の恵みに感謝し、神の恩恵を称えながら喜びに満ち溢れて行うものです。私が思うに貴族の女性の方々は無理に痩せようと自然に反しているように思います」


 クローディアの言葉に祭司長ジョシュアが乗り掛かるように、ニコニコと言い放つ。

 おかげでテーブル内の女性たちの空気が一気に悪くなったが、更に追い打ちをかけるようにルーベンス侯爵がしたり顔で話に乗ってきた。

 ほんのり頬に朱が射しているところを見ると、少し酔いが回ってきているのかもしれない。


「まったくですな。我が細君にも常日頃から言っているのですよ。女は多少ふくよかな方が男の目に魅力的に映るものだと。それを夜会のたびに侍女数人がかりでもっと締めろ、もっと細くだのと、いやはや、女の見栄というものは際限がない。聖女のように何もせずとも輝くような美しさこそ至高というものです」


 意気揚々と持論を語るルーベンス侯爵の横で夫人が恥ずかしげに俯いてしまっている。

 女神クロノアを信仰し、その生まれ変わりとされる聖女を崇めるのは勝手だが、その為に自分の妻を貶めるような言い方に、わたくしの中で苛立ちに似た感情が湧き上がる。

 そもそも貴族令嬢が自分を美しく見せるのは、貴族社会に於いて男性がそのような女性を求めてきたからであり、コルセットだって着けなくて良いならそれに越したことはない。

 更にいうと、クローディアの美しさは確かに天性のものもあるだろうが、神殿や学園で様々な貢ぎ物を得たことによって己にさらに磨きをかけ、髪も肌も最高の手入れを尽して、最高級の浄衣に髪飾り、極めつけは何も着けていないように見える、複雑かつ手の込んだ化粧術で作り上げられているのだ。

 何もせずに得られる美しさなど、所詮幻であるとわたくしは思う。


「そんなことないです。……あ、でも、確かにコルセットって、見かけだけって感じですよね。外しちゃったら結局は……みたいな。もしくは太ってるまで行かなくても、そうやって寄せてあげないと、色々足りなかったり、しますもんねぇ」


 言いながらクローディアの視線が意味ありげにわたくしの身体へと絡みついた。

 その意図するところは明白で、思わずカッとなって言い返そうとしたとき、それまで静かに食事に集中しているように見えたミカエル殿下が口を開いた。


「俺もコルセットを無理に締めるような習慣は無くても問題はないと思う」

「ですよね! 流石ミカエル様わかって……」

「だがそれは今コルセットを締めていて、外したいと思っている女性が自ら選択できるように周囲の理解と評価の目が変わるべきであって、今現在コルセットを締めている女性を無為に貶めてよいものではないと思う」

「え……?」


 一瞬ミカエル殿下もルーベンス侯爵と同じなのかと思ったし、クローディアなどは、はしゃいだ声で頷きかけたが、その後に続いた言葉に笑顔が強張るのが見えた。


「女の見栄と言うが、男とて見栄も矜持もある。背を高く見せたいと靴底を上げたり、年老いて髪が薄くなれば鬘で隠す者もいるだろう。女性がより細く見せたいと考え、自らの選択としてコルセットというあえて苦しく、辛いものを選んだのなら、それは見栄ではなく努力だと思う。もちろん、クロ……聖女殿のように身体を鍛え、コルセットなど不要と言うのも立派な努力だと思う。どちらの努力がより偉いということではないのではないだろうか」


 予想だにしていなかったであろうミカエル殿下の反論に、クローディアの頬に朱が昇るが、それ以上に険しい顔になったのが、ルーベンス侯爵だった。

 彼が身長が低い事を隠すために靴底に仕掛けをしていたり、長年鬘を愛用していることは、一部の貴族の間では密やかに知られた話だからだ。

 好々爺然とした顔が真っ赤に染まっている様は少し滑稽で面白い。隣の侯爵夫人も扇で隠してはいるが、肩が小刻みに震えていた。


「ここにいるマリアベルは見てのとおり、美しく、俺から見れば心配なほど痩せている。正直コルセットは不要だと思っているが、このドレスをより美しく着るためにコルセットという努力をしたその姿勢が美しく、パートナーとして嬉しいと思う。不足など、これからいくらでも補える」

「……っ」


 周囲の反応をものともせず更に言い募るミカエル殿下に、言われたわたくしだけでなく、エミリア妃殿下や王妃様までもが頬を染めてほぅっと溜息を吐いた。

 傍から見れば婚約者について愛情満々に惚気ているように見えるのだろう。

 けれど殿下の目がわたくしをじっと見つめているようで、ほんのわずかに、それとは気づかれない程度に視線がずらされているところを見ると、単にルーベンス侯爵とクローディアに反論するための演技なのだろうと推察できた。

 それでも、この場でミカエル殿下がクローディアに否定的な声を上げることができるとは思っていなかったので、良い驚きだった。

 パートナーの思わぬ頑張りに、わたくしの胸にもやる気の火が灯る。

 晩餐会はまだ序盤である。

 ここは単なる食事会ではなく、社交と情報の飛び交う貴族の戦場。

 わたくしはクローディアから聞き出さなくてはならないことが山のようにあるのだ。


「殿下ったら、そんな風に言われては恥ずかしいですわ。クローディア、ごめん遊ばせ? 殿下は貴女のことも『美しかった』と良く褒めてらしたのよ?」


 わたくしは扇をパチリと閉じて、相対するクローディアへと艶然と微笑みを投げかけたのだった。


この話を書くにあたって、腰痛用サポーターを限界まで締めあげて一日疑似コルセット体験をやってみました。

……死ぬかと思ったので、良い子は真似しないでくださいw

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