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第九話 王子と食事、波乱の火種にまつわるエトセトラ

元同僚に娘さんが産まれたそうで、大変おめでたいですね。というわけ(でもないんですが)うっかり更新です。

 王宮での研修講義初日の講義が終わると、学生たちは外宮の王府に併設された官舎へと移動する。

 研修期間はここで寝泊まりをし、王府の住み込みの官吏と生活を共にする。官舎には専用の食堂もあり、王府に勤めるものは基本的に此処を生活拠点とするのだ。

 もちろん、王宮の外に邸宅を構える貴族の多くはそちらから参内してくるので、官舎へと入るのは王都に邸宅を持たない下級貴族か、平民の官吏だ。

 そもそも外宮に勤める貴族のうち、高位の貴族はその爵位に見合った上級の役職に就く一部の者のみで、それ以外の高位貴族の多くは内宮か国王直属の貴族院に所属しているので、外宮に住まう必要がないのだ。


「ミカエル様、お夕飯、何にしますか?」


 食堂に入るなり、クローディアが目を輝かせてミカエル殿下の手を取ってメニューの書かれた掲示板へと導く。

 平民の分際で第二王子殿下と同じテーブルに着くことを当然と信じて疑わない態度はもはや敬服に値するかもしれない。

 ここが学園の食堂ならば、あるいはほかに誰もいない彼らのプライベートスペースなら、周囲に白い目で見られたとしても、大事にはならないのだろうけれど、ここは外宮とは言え王宮の中だ。

 二人の前に濃紺の襟の詰まった簡素なドレスの女性が進み出た。壮年のその女性は外宮官舎の官吏を長年勤めあげている女官長だ。ピンと伸びた背筋と、眉間のしわが彼女の厳格な性格をよく表している。


「ミカエル殿下、殿下には奥に別室をご用意しております。お食事はそちらでお召し上がりくださいますようお願い申し上げます」


 女官長は恭しい態度で殿下とクローディアの前に出ると、静かにそう告げる。その視線はあくまでもミカエル殿下のみに注がれており、その腕に纏わりつくクローディアについては完全に黙殺していた。


「別室ってなんだか特別な感じですね。ミカエル様、行きましょうか?」


 クローディアは女官長の態度に気づいていないのか、はしゃいだ声を上げている。ミカエル殿下は流石に女官長の言わんとしている事は理解しているらしく、苦虫を噛み潰したような顔をしている。


「お部屋が別って、メニューも何か違うものが出たりするのかしら?」

「ヴェロネーゼ女官長、俺は……」

「御身の為でございます。学生として今回の研修にご参加いただいていることは重々承知の上ですが、ワタクシにもこの官舎を預かる上での責任がございます」


 女官長の視線は厳しく、王族とはいえ反論を許さない強固さがあった。その視線が、ふとこちらへも注がれる。

 仕方なく、わたくしも扇を開いてミカエル殿下の斜め後ろへと歩み寄った。


「ヴェロネーゼ女官長、お勤めご苦労様。わたくしの席もそちらにご用意されているのかしら?」

「え?!」


 突然会話に割り込んできたわたくしにクローディアが訝しげな声を上げるが、無視する。


「当然でございます。王室並びに王室へのお輿入れを控えられている方につつがなくお過ごしいただくことがワタクシの使命にございます。また、期間中は朝餐ちょうさん昼餐ちゅうさんにおかれましてもお二方には別室でお取り頂くようお願い申し上げます」

「かしこまりましてよ。相変わらず堅苦しい事ですけれど、しきたりですものね。仕方のない事だわ」


 女官長もクローディアの態度など意に介さないといった様子で、あくまでもわたくしとミカエル殿下にのみ会話を投げかけている。この場に於いて、クローディアの存在は完全に空気以下にされていた。

 ここに来てようやく女官長の言わんとすることに気づいたのか、クローディアが目を見開いてわなわなと震えている。わたくしはその様子を眺めながら扇越しにゆったりと微笑みかけた。


「クローディア、わたくしたちはご一緒できませんの。あなたはこちらで他の方々とごゆっくりお食事なさって」

「なんで!? ミカエル様とマリアベルさんだけ別室で一緒に食べるなんておかしいわ!」

「あら? わたくしたち、婚約者ですもの。何もおかしいことなどありませんわ」


 むしろ学園で常に別行動を取っていた状態こそが不自然なのだ。国王陛下に認められた正式な婚約者として、王宮や社交界ではわたくしとミカエル殿下は常に2人一組で扱われる。

 それこそ物心ついたころからずっと、わたくしはミカエル殿下の婚約者として、エドアルドは側近候補として王宮に上がり、殿下の傍に侍らされてきたのだ。普段の学園での様子がどうあれ、貴族社会に於いてはミカエル殿下の婚約者はわたくしで、それは今のところゆるぎない事実として周囲からは扱われるのだ。


「王宮には貴女の知らないしきたりが数え切れないほどございますの。付け焼刃のマナーでは追いつかない程に。あなたも王宮での官吏勤めを目指していらっしゃるのでしたらもっと弁えなさいな」


 学園ではクローディアはいつも殿下やその取り巻き(もはや殿下の取り巻きなんだかクローディアの取り巻きなんだかわからなくなってはいるが)の貴公子たちと昼食を食堂で取っている。

 それがどれほど異常な事であるのか、彼女は気づいていないのだろう。ミカエル殿下の方は、分かっていて、それでもクローディアと過ごす時間を求めるあまり現実から目を逸らされているようだったが。

 その影で殿下の護衛や従僕がどれほど苦労をしているのか……。


「私は王宮勤めなんかするつもりないもの。そんな事よりどうして殿下と一緒にご飯が食べられないの!? せっかくこの研修中はお昼だけじゃなく夜も朝も一緒にいられると思ったのに、あんまりだわ!」


 何しに研修に来たのかしら、この子……。

 クローディアの発言に、王宮勤めであることを馬鹿にされたと感じたのか、食堂内でこちらに注目していた官吏数名の表情が険しくなる。


「ミカエル殿下だって、みんなと一緒に楽しくお食事したいですよね!!?」

「う……」


 瞳を潤ませてミカエル殿下に訴えかけるクローディアにたじろぐミカエル殿下の背にそっと手を添え、傍らに寄り添う。遠目には仲睦まじい婚約者らしく振舞う。それはわたくしの義務でもあるからだ。


「殿下、ここで彼女を特別扱いするということがどういうことを引き起こすか、お考えになってくださいませ」


 周囲には聞こえないように小声で窘めると、ミカエル殿下の肩が微かに震えた。


「クローディア……すまない。研修の間はエドアルドたちと食べてくれ」


 苦悶の表情を浮かべ、絞り出すようにそう言ったミカエル殿下に、クローディアが信じられないものを見るように目を丸くした。この場で自分が置いて行かれることなんてつゆほども考えていなかったのだろう。


「何で……!? 何でそんなこと言うんですか?!! マリアベルさん! ミカエル様に何を言ったの? ミカエル様がこんな事を言うなんて、あなたが何か脅すようなことを言ったんだわ!! ミカエル様! 私なら平気です。だからマリアベルさんの卑怯な言葉に屈したりしないでください!!」


 震える声で訴えかけるクローディアは何も知らない者から見れば憐れみを感じずにはいられないほど可憐で庇護欲をそそる。現に傍らの殿下は思わず手を差し伸べそうになっているし、クローディアを取り囲むエドアルドやその他の貴公子はその背を撫でながらわたくしを睨み付けてくる。


「そんなに別室で食べたいならマリアベルさんだけ別室へ行けばいいんだわ! ミカエル様、学園のお昼ご飯みたいに私たちと一緒に楽しく頂きましょう? その方がご飯だって美味しいに決まってます!」


 ついさっきまで、殿下と二人で別室で食べることを喜んでいた口で、今度は殿下に臣下に混じって食べる方が良いなどと言い出す。彼女の主張はその瞬間の都合次第で二転三転するのに、なぜ誰も不思議には思わないのかしら。

 それに彼女は殿下とわたくしが別室で食事をとる意味をはき違えているようだ。説明するにしてもこのような衆目の集まる場では……。

 扇の影で密かに溜息を吐いて、わたくしは先刻から置物のように無表情で待ち続けている女官長に目くばせをした。外宮官舎担当とはいえ長年王宮勤めをこなしてきた彼女はわたくしの意図を正確に読んでくれたらしい。


「……ミカエル殿下、本日の晩餐に限り、そちらのご学友をご一緒に別室へお連れいたしましょう。準備を整えてまいりますゆえ暫しお待ちくださいませ」

「え?! いいんですか?!!」


 途端にクローディアの表情が輝く。その切り替わりの速さにエドアルドでさえ唖然としていたが、当の本人はけろりとして、ミカエル殿下の腕へと飛びついた。


「ミカエル様、ご一緒できてうれしいです!!」

「あら? みんなで食べる方が良かったのではなくて?」


 置いて行かれる取り巻きの事はもうどうでもいいのだろうか? そう皮肉を込めて問うと、一瞬しまったという顔をしたが、それでも殿下の腕にしがみついて柔らかな身体を押しつけながらわたくしに向かって怯えてみせた。


「だって……このままじゃミカエル様だけ仲間外れで可哀想だもの。どうしてもミカエル様が別室でしか食べられないなら、私くらいはお側に居てあげたいわ」


 平民の分際で王子を『可哀想』などと言うのは彼女ぐらいだろう。

 王子だけではない、彼女は自分よりも身分がはるかに高い貴公子たちに対して軽率に『可哀想』と言う言葉を使う。

 自由がないなんて可哀想。親の言葉に縛られているなんて可哀想。真実の恋を知らないなんて可哀想。望んでいたわけでもないのに責任の重い立場に立たされて可哀想。

 それぞれに悩みや葛藤を抱えていた貴公子たちはその言葉で、自分たちの苦しみを理解してもらえたと感じたのだろうか、クローディアに急速に傾倒していったのだ。

 けれどわたくしには彼女が貴族階級に課せられた不自由や責任、およびそれらが持つ意味を真実理解しているようには感じられない。ただ無責任に可哀想と連呼し、責任を放棄して自由になれと唆す。その一方で、彼等の持つ既得権益を自分個人の為に使わせることを恥じない態度に違和感を感じるのだ。

 彼らが本当に責任やしがらみを全て捨て、身分も財もないただの人になった時、彼女は今と同じ慈しみを彼らに向けるのだろうか。そうはとても思えない。


「……皆さま、準備が整いました。第二王子殿下とロートレック伯爵令嬢、それと、クローディア・モーヌはこちらへ、そのほかの皆様はこのままこちらでお食事を取られてください」


 準備を終えて戻ってきた女官長の案内で、殿下とわたくし、そしてクローディアは食堂の奥に用意された別室へと向かった。



 別室と言ってもそこまで特別な造りをしている訳ではない。せいぜいテーブルや椅子、クロスなどの調度品が王族用のそれであるというくらいだ。この部屋の真価は『外部からの侵入が不可能であること』と、『よけいな物がない』ことにあるのだから。

 部屋に入るなりきょろきょろと周りを見回したクローディアががっかりしたように俯いた。


「何か……普通の部屋ですね」


 普通とは言っても平民である彼女にはおよそ想像もつかないであろう贅沢な設えなのだが、そもそも物の価値が分からない者はこう言う感想を抱くものなのかもしれない。


「食事を取るだけですもの。余計なものはない方がよろしいわ」

「第二王子殿下はこちらへ、ロートレック伯爵令嬢はそちらでございます。クローディア・モーヌはこちらにどうぞ」


 女官長に促され、席に着く。そこでもクローディアはミカエル殿下の隣が良いだの、お喋りするのに距離が遠いから端の席は嫌だのとごねたが、流石に女官長は彼女のわがままを許すことはなく、クローディアには端近の席があてがわれた。

 そこへ、三台のワゴンに乗せられて三人分の食事が運ばれてくる。わたくしのワゴンはラファエルが、ミカエル殿下のワゴンには殿下付きの従僕がそれぞれついてきていて、てきぱきとワゴンからテーブルへと料理を並べ始めた。


「あれ? メニューは食堂のと変わらないんですね?」


 クローディアがはしたなくも、殿下とわたくしの皿を覗きこむように見ながら声をあげ、自分の分の食事が乗っているであろうワゴンの傍らで佇む侍女に小首を傾げた。


「あの……?」


 ラフィや殿下の従僕がきびきびと、それでいて優雅さを失うことなく給仕を行う横で、その侍女は無言でただ立っている。


「えっと……私の分は……?」

「こちらにお持ちいたしましたのでどうぞお取りくださいませ」


 侍女の返答にクローディアの頬がカッと染まる。


「あなた食事を並べることもできないの? お仕事なんだからちゃんとして欲しいわ! 下町のレストランだって食事くらいちゃんと運べるわよ!」

「ワタクシの職務は官舎の貴族の方々のお世話でございます。今回はこのワゴンをお運びすることのみで良いとのことでしたので」


 にべもない侍女の言葉にミカエル殿下が苛立たしげに声を上げた。


「おい、誰がそのような指示を出した。クローディアへの嫌がらせなら許さんぞ」

「殿下、忠実に職務をこなしているだけの者をそのように責めるものではありませんわ。それにこれは嫌がらせなどではありません。本来ならクローディアは食堂で自分で自分の分の食事を受け取り、自分でテーブルに運んで食べる筈だったのですから」


 この部屋に来たからと言ってクローディアが平民であるということは変わらない。侍女が彼女を貴族扱いしないのは当たり前なのだ。クローディア・モーヌは貴族ではないのだから。

 そう窘めると、ミカエル殿下は一瞬黙ったものの、舌打ちをかみ殺して侍女へと命令した。


「いいから運んでやれ! これは俺からの命令だ!」

「……第二王子殿下の御下命とあらば」


 そういうと侍女は渋々クローディアの食事を彼女の前へと並べた。すべての料理が並び、ようやく食事が始まる。

 ラフィが私の皿からすべての食材を一口ずつ切り分け、小皿へと取る。上座ではミカエル殿下の従僕も同様に殿下の食事から少しずつの量を取り分けている。クローディアの食事を運んだ侍女はワゴンの所へ戻り、無言で立っていた。


「え? え??」


 困惑しているのはクローディアだけで、殿下も、わたくしもいつもの事なのでそのままそれぞれの下僕しもべが取り分けた食事を一口ずつ口に運び、ゆっくりと咀嚼するのを見つめていた。


「あの……何してるんですか?」


 クローディアが引きつった笑みを浮かべて殿下へと尋ねる。

 殿下が応えるよりも先に、わたくしがその問いへと答えた。王宮内で平民が王族に直接問いかけるのは不敬に当たるからだ。背中に刺さる女官長の『こいつどうにかしろ』と言わんばかりの視線も結構痛い。


「何って毒見ですわ。クローディアはお気になさらないで、先に召しあがって構いませんわよ。早くしないとせっかくのお料理が冷めてしまいますわ」

「毒見……」


 クローディアが呟きながらまたしても自分の皿とわたくしや殿下の皿を見比べる。

 メニューは同じなので、皿の中身は同じである。ついでに言えば食堂のメニューも同じなので、万が一毒など盛られていた場合、私たちよりも前に食堂の者たちが全滅している事だろう。これはあくまでも形式的な慣習に過ぎない。

 それでもいつ、どこで命を狙われるか分からないのが貴族や王族というもので、ミカエル殿下の食事は基本的に毒見を必ず行うことになっている。

 学園でも、寮の食事は朝と夜は殿下もわたくしも自分の部屋でラフィや従僕に給仕と毒見をしてもらいながら取る。昼食はクローディアに気づかれないよう、殿下の所へ運ぶ前に毒見が行われている筈だ。

 半ば形骸化しているしきたりではあるが、万が一の事態を常に想定してのことなので、殿下も女官長の言葉に従わないわけにはいかない。


「その毒見サービスって、私の分はしてもらえないんですか? やっぱり私が平民だからですか?」


 自分の料理を給仕してもらえなかったのと同じ調子で、不満を訴えたクローディアに壁際に控えていた女官長の眉がピクリと上がるのが見えた。私の隣でラフィも唖然と目を剥いている。

 ミカエル殿下も流石に驚いたのか、紅玉を思わせる目を見開いてクローディアを見返していたが、当のクローディアはその反応に気づいていないのか、自分の料理とわたくしの皿をしきりに見比べながら唇を尖らせている。


「同じ料理を食べるのに、マリアベルさんたちだけそんな風に大事にされて、私だけいちいち差別的な待遇を受けるのって、ずるくないですか?」


 挑戦的な表情でわたくしを見据えているクローディアに、私は無言で見つめ返した。なんと返していいかわからなかったからだ。

 この子が何を言っているのかさっぱり理解ができないわたくしはどこかおかしいのかしら

 ずるいって何?

 わたくしと殿下の食事が毒見を受けなければならないのは、王家や我が伯爵家が外敵から身を守るために行っているもので、そもそもそのような警戒をする必要のない平民のクローディアとは立場が違う。

 立場が違うのだから待遇が異なるのは当たり前で、そこに『ずるい』などと言われるような要素はない筈だ。

 そもそも毒見なんてしなくて済むならその方がありがたい事だというのに、なんで冷めた料理を食べる羽目になった上に『ずるい』などと言われなければならないのか。


「ミカエル様は、私に何かあっても平気なんですか?」

「そんなことはない! だが……。すまない、……ディア、毒見役は各々の忠実な部下だけが行うもので、官舎の侍女や下働きにお前の為に毒見をせよと命じることはできない」


 悲しみに暮れたように瞳を潤ませてミカエル殿下に訴えかけるクローディアに、殿下が一瞬傾きかけるが、苦しげに拳を握りしめながらも、最後にはきっぱりとクローディアの要求を退けた。


「それじゃあやっぱり殿下は私の事なんて……」


 涙声でしゃくりあげ始めるクローディアに、その茶番を無言で眺めていたラファエルがつかつかと歩み寄った。


「アンタさぁ、いい加減うるさいんだよ。じゃあ聞くけどさ、あんたの為だけに毒見役を連れて来て、万が一アンタの皿に毒が盛られてて、毒見役が死んだら、あんたそれを背負いきれんの?」

「え?」

「アンタのわがままで、しなくてもいい平民の小娘の食事の面倒見させられて、毒見までさせられて、万が一の時は自分のために死ねって、あんたそいつに言えんの?」

「そ……そんな……たかだかちょっと大丈夫か見てもらうだけで……」

「そのたかだかで死ぬ奴が出るのが毒見って仕事なんだよ。あんたは、見ず知らずの、何の罪もない王宮の下働きに、自分の為に死ぬかもしれない仕事をしろって要求してるんだよ。いや、仕事ですらないよな? アンタがそいつにお手当払うわけでもないもんな?」


 ずけずけと無遠慮に言い募るラフィにクローディアの顔色は真っ青になっている。


「そ……そんなことを言うなら、マリアベルさんはあなたに死ねって言ってるって事だわ! あなたは彼女に死ねって言われたら死んでもいいっていうの?!!」

「当たり前でしょ。お嬢様の為にボクは生きているんだから、お嬢様が死ねと命じるならボクは死ぬさ」


 何のためらいもなくそう宣言するラフィをクローディアは化け物でも見るような目で見た。


「そんなの……変よ!! 命って代えの利かない平等なものなのよ!! 平気で人に死ねなんて命じるマリアベルさんはやっぱり冷酷な悪魔の様な人なんだわ!! ラフィ君は騙されてる!!」

「お前如きにボクをお嬢様と同じ呼び名で呼ぶことを許した覚えはないよ。舌を掻き切られたいの?」


 ラフィの声が底冷えをするほどに低くなる。全身から放たれる本気の殺気を感じたのかクローディアの喉がヒクリと鳴った。

 真っ青になってカタカタと震えはじめたクローディアにミカエル殿下が席を立って駆け寄る。


「ディア! 大丈夫だ。そのような事は俺がさせない。おい、マリア、そいつを退かせろ!!」

「……ラフィ、下がりなさい。……殿下、クローディアを今後、食事に同席させるのは本人の為にもよろしくないと存じます。明日からはエドアルドたちと共に普通に食事を取らせて差し上げてくださいませ。その方が『安全』かと存じます」


 殿下にはそう言って、今度はクローディアへと向き直る。殿下に肩を抱かれ、真っ青な顔で震えている彼女に、少し脅かしが過ぎたかとも思ったが、ここが学園ではなく王宮である以上、彼女には立場を弁えてもらわなくてはならない。


「クローディア。見てのとおり、わたくしとミカエル殿下はこの研修期間中、学生であると同時に王族とその婚約者として他の学生たちとは違う待遇を受けますわ。あなたは先ほど命は平等と仰いましたけれど、それは誤りです。平民と貴族、更には王族が平等で対等であることなどありえません。これに懲りたらミカエル殿下に不用意に近づかないことですわ」


 なるべく冷静に言ったつもりだが、その態度が余計に彼女の神経を逆なでしたらしい。涙目でこちらを睨んできた。悔しげに唇を噛みしめて暫く俯いて震えていたけれど、やがてスッと立ち上がり、ミカエル殿下の腕をそっと解いて離れた。殿下の手が一瞬空を切る。


「もう……もういいです。あっちでエド君たちと食べます」

「ディア……すまない。しかし俺は……っ!」

「ミカエル様は……結局一緒にこっちに来てくれるとは言ってくれないんですね……」


 寂しげに、けれどはっきりとした非難の響きを持ってそう呟くクローディアにミカエル殿下が愕然と目を見開く。けれど侍従も、女官長も首を横に振るのを見て、悔しげに唇を噛みしめる。


「……すまない……」

「気にしないでください……。ミカエル様の気持ち、ちゃんとわかってますから。研修が終わって、学園に帰ったら、また一緒にご飯、食べましょう。……ね?」


 はかなげに微笑んで慈愛を込めた言葉を紡ぐクローディアを冷めた気持ちで眺める。やけにあっさりと引いたのが気にはなったが、研修さえ終わればまたミカエル殿下にまとわりつくと宣言しているので、別に反省している訳でも、身分の差を理解したわけでもない様子なのは彼女らしい。


「それじゃあ、失礼します」


 最後にこちらを挑戦的に睨んで部屋を出ていったクローディアにラフィが小さく舌打ちするのが聞こえた。


「……っ……くそッ!」


 ガンっと荒々しい音がして、顔を上げると、ミカエル殿下が拳をテーブルに叩きつけていた。衝撃で倒れた水差しから零れた水がテーブルクロスと床を濡らしていく。クローディアの給仕をさせられていた侍女が今度はすばやく自主的にそれらを片付けていくのを横目に見ながら、わたくしは扇の影で何度目かの溜息を吐いた。




 この日をきっかけに、研修講義の席でクローディアがミカエル殿下に近付かなくなった。

 エドアルドやその他の取り巻きはそのままに、殿下だけがぽつりと離れたところに座っているのを見かけるようになったのだ。共通授業などでは世間体の為にわたくしと殿下が隣の席で講義を受けていることも、彼女の機嫌を下降させているのか、休憩時間や自由時間も殿下の傍で彼女の姿を見なくなっていた。



 何かがおかしい、と気づいたのは、ある日の自由時間にクローディアを探すエドアルドに声をかけられてからだった。


「お前に聞くのは無駄かと思うんだが……」


 答えを知っていても教えたくなくなるような接頭語で話しかけてきたエドアルドの言葉によると、研修講義が始まってすぐの頃から、度々クローディアは一人でどこかへと姿を消しているらしい。


「あなたがたの誰かと二人で過ごしているのでは……?」

「クローディアはそんな軽薄なやつじゃない! 俺たち全員で探しているし、殿下も居場所を知らないという。お前また何か彼女に余計な事を言ったんじゃないのか?!」

「余計なことなどいった覚えはございませんけれど。……研修中とはいえ、王宮内で勝手な行動を取れば警吏のものに咎められますわよ。そこらを散策でもしているのではなくて?」


 そう答えつつも、なんだか嫌な予感がした。クローディアは以前からミカエル殿下に王宮に行ってみたいと度々ねだるように口にしていたというし、今回の研修もかなり強引な手口で参加枠に潜り込んできた。

 ただ単にミカエル殿下の愛人や妃の座を狙っているにしては不自然な行動が目立つ。かといって、スパイの類というには動きが杜撰だ。怪しまれないようにという慎みが一切感じられない。


「とにかく、彼女を見かけたら自習室へ来てほしいと伝えてくれ。昨日彼女が体調不良で休んだ分の講義ノートを見せるから、と」

「体調不良……? 昨日中庭ですれ違いましたけれど、見たところ顔色も良くて健康そのものでしたわよ?」

「そんな筈はない。朝から頭痛が酷く熱があると宿舎の同室の者に欠席届を持たせてよこしたのだぞ!」


 そんな風に怒鳴られても、わたくしはわたくしの見たままを言ったまでの事ですのに……。


「では午後になって回復したのかもしれませんわね。でもそれでしたら午後の授業くらいお受けになればよろしかったのに」

「お前の見間違いということもあるからな。とにかく、クローディアを見かけたらちゃんと伝言を伝えろよ! 嘘をついて罠に誘うような真似はするなよ!」


 エドアルドは一体わたくしを何だと思ってるのかしら。そんな風に言われたら、是が非でも全く違う教室に誘導して上げたくなってしまうではないの。

 去っていくエドアルドの背中を見送りながら、わたくしは扇の影でそっとラフィを呼んだ。

 すぐになんの気配も感じさせずにラフィが傍らへと現れる。


「ラフィ、クローディアの行動を探ろうと思うのだけれど、伝手はあるかしら?」

「外宮内の下働きなら大体は把握済です。ここ数日の動きでしたら夜までには集められるかと」

「そう、お願いね」


 けれど、夜まで待つ必要は無くなった。その晩、不機嫌そうな女官長の口から告げられたのは、クローディアが王弟ベリーニ大公のお声がかりで内宮史務省の長官助手に任命されたという驚くべき一報だったのだ。


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