◯ 13 水の都にて雨に唄えば その6
「そんなのに真剣になってどうすんのよ」
気が付けば、僕は夕焼けの教室の中にいた。
物置部屋兼古典部の部室として割り振られている特別棟の一室。
そこで分厚い魔導書を捲る僕に猫山結梨は呆れた顔で告げる。
「もっと有意義な時間の使い方ってあると思うんだけど」
椅子を前後さかさまにして、背もたれに抱き着くような形でだらけている結梨は欠伸を噛み殺すと眠たそうに腕の中に顔をうずめた。
「んー……、有意義って、例えばなにさ」
「例えば……、……ほら、私に殴られるとか……?」
有意義の意味を一度辞書で引いて貰いたい……!!
「別に結梨は付き合わなくても良いんだよー? これは僕のライフワークみたいなもんなんだし」
「ライフワークねぇ……」
部活じゃなくて?
部活ですけども。
そんな他愛のない会話を繰り返しながらいつものように時間が過ぎる。
少し前までは結梨は剣道部でここにはいなくて、先輩も卒業してて、静かな事には分かりないんだけど不思議と教室が広く感じて。
そりゃ、二人になったら少しは空間が埋まるわけで。その分、おさまりも付くってもんだけど。「……なんか妙に落ち着くんだよねぇ……」しみじみと、口に出したつもりはなかったのだけど呟いてしまっていた。
「……………………落ち着くって、……なんでよ」
「ん……、んー……? なんかほら、縁側でお茶してるみたいな?」
「…………」
返事がないので振り返ってみたら積み上げられていた辞書が飛んできた。あっぶな!!?
「そう思うんなら、お茶ぐらい用意しなさいよ。……文芸部は専用のティーセットあるそうよ」
「あー……うちにもあるけどね、ティーセット……」
先輩が置いて行った”お抹茶を淹れる本格的な奴”が部屋の隅に。
「……はぁ……」「あはは……」
溜息を付きながらどうして結梨は古典部に付き合ってくれてるんだろうって不思議に思ってた。
家が近くて、幼馴染で。結梨のじいちゃんには「もののついで」だと言われて一緒にしごかれた。
そりゃ剣道部にいられなくなった原因は僕にあるんだろうけど、「責任を取ってもらう」というには結梨の行動はどうにも理解できない。理解、できなかった。幼馴染なのに。
こんな、異世界にまで連れて来てしまって。僕は、結梨にどう、責任を取れば良いんだろう。
「……泣いて、おられるのですね」
「……? エミリア……」
「はい、エミリアです」
いつの間にか夢は醒め、薄暗闇の中にエミリアの顔があった。
「すみません。うなされておいででしたので、悪い夢を?」
「……ううん、そう、悪い夢でもなかったんだろうけど……」
ただ、それを手放してしまった事が苦しかったのかもしれない。
あの日、結梨に言われたとおり「他の有意義なこと」に目を向けていたら、僕は魔導書の解析なんて進めることもなく、この世界に来ることもなかった。
この世界に来たことに後悔はしていないけど、僕の勝手に幼馴染を巻き込んでしまったことに関しては全面的に僕が悪い。
いつもそうなんだよな、と、目を背けて来た事実にまた目を背けそうになった。
いつも、僕の暴走に結梨を巻き込んでる。
「だいじょうぶですよ。アカリさまは、アカリ様の信じる道を行けば」
ちょこんと、僕のベットに腰かけたエミリアは寝息を立てているクー様を起こさないように静かに続けた。
「ひとは後悔する事はあっても道を戻ることはできません。一度選んでしまえば、……いいえ、例え自ら選んだ道でなかったとしても、進む事しか出来ないのであれば、それは正しき道なのです」
淡々と落ち着いているように聞こえたけれど、どうやらそうではなかったらしく、僕が黙っていると「――と、お姉さまに教えられたのですが、私はまだまだ未熟者ですので迷ってしまいますけどね?」とエミリアは笑った。
「かの偉大な黒の魔導士様でも時は巻き戻せなかったそうですから、諦めと言ってしまえばそれまでなのかもしれませんが」
「……うん。そうだね」
時間を巻き戻す魔法はない。
いまもこうして僕らが休んでいる間にも街は海の侵略され、結梨はどんな目に遭っているかも分からない。
後悔する暇があるなら前を見るべきだ。
出来る事を、やるべきなんだ。きっと。
僕に出来ることは限られているけれど、それでもその力を借り受けてしまった以上は”伝承の黒魔導士”と呼ばれても恥ずかしくないような働きを。
「とはいっても、何をどうすればいいのか分かんないんだけどね、現状……」
この街を襲っている物の正体も、行方を眩ませたドラゴンたちの動向も。
彼らと事を構えることが正しいとも思わない。黒いドラゴンはかつての黒魔導士に置いて行かれた事を根に持っていて、本心では対立していないように思えるし、案外、話せば分かってくれるのかもしれない。
ただ、僕が解いてしまったという”棺”――。
それに、結梨を連れて行ったあの子の狙いも。
「正直、この期に及んで”魔導書の継承者”だなんて、勘弁して欲しいよ……」
「うふふ、確かに、そうですね。アーウェルさんは――……、……本物なのですか? あの本は」
「分かんない。僕の知っているものそっくりなのは確かだけど……」
もっとじっくり調べされてもらえれば何か分かるかもしれないけれど、多分アーウェルはそれを許してはくれないだろう。
「仲良くなっていくしかないんだろうなぁ……」
随分と嫌われているようなのでとても先が思いやられるのだけど――、……仕方ないか。と、自然と深いため息が零れ落ちた。
生憎、へそ曲がり度合いで言えば結梨の横に並ぶ奴はいないだろうし、魔導書に関しては向こうの世界に戻る時に分かればいい。長期戦に構えて、いまは、アーウェルをはじめとした街の人々を蝕んでいる”海の悪魔”をどうにかする方が先だろう。
それも一筋縄ではいかない気がするんだよなぁー……、とかたを落とすとエミリアはクスクスと笑って見せた。
「アカリ様は、……不思議なお方ですね。驚くほど大きく見えたかと思えば、いまは私と同じ子供の様ですわ?」
「子供だよ。寧ろ、エミリアの方が大人過ぎて驚かされるぐらいだ」
「そうでしょうか」
そういいながら彼女は布団の中へと入って来ると舌を出す。
「私はいつも、心細い夜はお姉さまの寝室に潜り込んじゃうんですよ?」
「ああ、……あるよね、そういうの」
うちの妹も。普段はバカスカ好き勝手言ってくるような我が儘な奴だけど、雷が酷い時とか、嵐の夜は枕持って部屋に現れてた。
子供の頃からの癖なんだけど、成長したいまでもその癖が抜けないらしい。
殆ど壁に押しやられて寝るはめにはなるのだけど――、……どれだけ強く見えても誰でも、心細くなる夜はあるんだって、ちょっとだけ安心するんだ。
エミリアもそうだとは思わなかったけど、”竜宮の巫女”だなんて役目を負わなければお城でお姫様をしていたことを思えば、当然なのかもしれない。
ここ数週間で逞しくなったとはいえ、こうしてみるとただの女の子だ。旅路は険しく、手入れも出来なかったはずなのに髪はサラサラで、肌も――、…………。
「…………えみりあ……? もしかして、このまま寝るつもり?」「はい?」
どうしてそんなことを聞くのですか? とでも言いたげな丸い目で見上げられ、既にエミリアは僕の隣で横になりつつあった。
いや、いやいや、駄目でしょうっ……!? それは……!!
「疲れ取れないし、別々の方が良いよ!?」
「アカリ様の隣の方が落ち着くのです。それとも、私がお傍に居ては、休まりませんか?」
「うっ……、」
休まりません!! と言えばエミリアは傷つくだろうし、いまは黒の魔導士の身体なわけで、お風呂も一緒に入ったぐらいだから? お布団に一緒に入るぐらいなんてことはないだろうし、なんてこともないんだろうけど!!!
「ふふ、良い匂いー」
くてーん、と甘えるように腰に抱き着き、もう寝る気満々のエミリアを引き剥がすのはとても、とても躊躇われた。
変な意味ではなく、もう殆ど寝息みたいになってるし、ここで起こすのは悪いって言うか、僕がうなされたのを気にして声を掛けてくれたのに、なのにそんな――、
「ぅぅうッ……、ゆ、結梨ッ……」たすけて……!!
――仮に、結梨がこの場に居合わせたら、僕は蹴り飛ばされるか顔を引っかかれているので、ある意味ではいなくてよかったのだけど――……、……その方が良かったかもしれない。
ぐっと瞼を閉じて心を石にし、眠ろうと心掛けた末、意識を失ったのは朝方になってからだった。
お久しぶりです。オーバーラップ文庫の最終選考で落ちたので他の新人賞に応募しようと新作に掛かりっきりになっていました。
はーっ!!!デビューしてぇ!!




