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◯ 13 水の都にて雨に唄えば その5

「使用人の部屋がまだございますが」

「彼女は私の護衛ですから。その実力のほどはアーウェル様もご覧になりましたでしょう?」

「しかし……」


 エミリアが案内された部屋の扉の前でアーウェルはしつこく喰らいついていた。当然のように同じ部屋で寝泊まりすると言い始めたエミリアに対し、僕は他の部屋で良いといったのだけど、「皆さんお疲れになっているのですから、なるべくそういう方々に部屋を使っていただくべきです」と強めの口調で反論されてしまった。


 強く言い返せればどうにも跳ねのけられないのはアーたんも同じらしく、どうにか僕を引き剥がそうとしているものの旗色はよろしくない。


「ならば私も、……いえ、流石にそれは――、……申し訳ございませんでした。お疲れのところを、おやすみなさい」

 

 まだ心残りは感じられるものの渋々といった風にアーウェルは扉の向こう側へと消える。

 ちらりと、俯いてかぶさった前髪の隙間から睨むような(というか完全に睨んでいた)目が覗いていたのには流石に溜息も零れる。


「なんだかなぁ……」


 魔導書絡み――、というか黒の魔導士繋がりで一方的に対抗意識を持たれているのと、……あとはエミリアの護衛を自分以外の人間がしていることに腹が立っているんだろう。なんせ自称伝承の黒魔導士様な訳だし。場合によっては僕が護衛をするより適任だって可能性もある。なんせこちとらただの高校生だ。黒の魔導士の身体に放り込まれてる、一般人。


「寝泊まりするなら僕よりアーウェルが傍に居た方が安心だと思うんだけどな」


 謙遜ではなく実際にそう思ったのだけど、エミリアの反応は険しい。


「悪い方でないのはわたくしにだって分かります。しかし、だからといって昨日今日の関係で寝床を共にしようと思うほど、世間知らずではございませんよ?」


 初めて会ったときは純粋無垢で嘘をつかれたって鵜呑みにしてしまいそうなお姫様だったのに……。ほんとうに逞しくなったものだと舌を巻く。その身に着けている外套や服に着いた汚れの数だけエミリアなりに世界を見て来たという事なんだろう。


 いつかは目の前にいる僕が黒の魔導士ではないことや数々の誤解について話さなくてはならないだろうと思いつつも、それを切り出せるほど僕には勇気はなく、また、そんなことを離している場合じゃないのは自分自身良く分かっていた。


「海の怪物に心当たりは? ユーリを攫った魔導士が言ってた『棺』と関係あるのかな」

「残念ながら……。わたくしもアーたんさんが申された以上の事は存じておりません……。……ただ、水龍の祠に何らかの原因があるのは確かかと」

「……主様みたいな存在がこの街にもいるってこと?」

「いえ。我が国に残されたドラゴンはヴァルドラとホワードの二体だけのはずです」


 そう言われてクー様はベットの上で丸まりながら小さく鳴き、エミリアはそれに対して微笑みながら苦笑して肩を竦める。


「とはいえ、あれだけの数を目の当たりにしては私どもの知らないところで数多く存在していたとしても可笑しくはありませんけどね」


 その数さえ把握できていない上に一対一でも対処しきれないほどの存在に命を狙われているのだけど、それに関して気を張っていてはそれだけで神経をすり減らしてしまうというのは旅を始めて数日で思い知った。いつ襲ってくるのか分からないのであれば適度に気を抜くのは必要なことだ。


 エミリアは革靴の紐をほどき、それらを脱ぎすてると「わーぁっ!」などとわざとらしく明るい声を上げながらベットに飛び込み、先にくつろいでいたクー様と戯れる。


彼ら(ドラゴン)に襲われているというのでなければこの街を守っていた存在というものは恐らく友好的な者だったのでしょう。そのものがいまどうなっているのかは心配ではありますが……」


 クー様を抱きしめながら本当に存在するのかも分からない相手を心配する辺りは流石のお姫様というべきか。


「やっぱ海に潜って確かめて来る……とかしかないのかなぁ……」


 と窓の外に目をやるがいつの間にか降り始めた雨は徐々に激しくなりつつあるようで窓ガラスを強く打ち付けていた。

 海もどうやらかなり荒れ始めているらしい。


 ――素潜りの魔法か……。


 なんかそんな感じのは有ったような気がするけど、どれだっけかなぁ……と記憶を捲る。

 多分あの褐色の少女が使っていたのもそれだったんだろう。僕の生み出した水流の中をものともせず、魔法でやり返してきた。


 ……だとしたら、やっぱりあの子も”黒の魔導士の魔導書”を……?

 僕の事を偽物だと見抜いていたようだし、結梨、どうしてるかな……。


 窓ガラスに映り込む自分の姿に結梨が重なって見えた。

 無事でさえいてくれれば必ず助け出す――。

 ぎゅっと握った拳を叩きつける場所も思い浮かばず、そっとそれに触れてほぐしてくれる感触に思わず肩が跳ねた。


 顔を剥ければエミリアが両手で手を包んでおり、茫然とする僕に首を傾げて微笑む。


「今夜はもう眠りましょう? 旅の疲れもございます。疲労の溜まった身体では考えも纏まりませんでしょうし」

「……そうだね」


 言って窓ガラスに防御用の魔法陣を描き、魔法式を発動させておく。ついでに出入り口である扉にも。と、誰かの視線を感じて思わずその魔法陣を窓の外に向けて投げかけた。


「――……? アカリ様……?」


 窓の魔法陣は発動していない。アーウェル? いや、空間転移にしたってその痕跡が一切見受けられない。


 警戒しながらいつ襲われても反撃できるように指先で魔法式を描きながら窓を開ける。

 雨粒が横殴りに頬を打った。

 夜の街に灯りは少なく、それでもガチャガチャと鎧の音を響かせながら走り回る人々の姿も見える。


 ――なんだ、いまの……。


 褐色の少女が来ていた……? だとしても外から覗くような真似をあの子がするとは思えない。全く別の、それこそ今の冷たい視線は彼奴ドラゴンの瞳が見せるような――。


 まさか、と浮かんだのは独りの騎士の姿だ。

 竜と人間のハーフであり、自分の仕えた姫を襲った反逆の竜騎士。


 ……まさか、アルベルトなのか……?


 アイツはドラゴンたちの側に立ち、エミリアを襲っておきながらも最後の最後まで命を取ろうとはしなかった。

 寧ろ竜宮の巫女を辞めさせることで人間とドラゴンの衝突を避けようとしていたかのようにも思えた。


「もしかして……彼、ですか……?」


 見つめる視線でエミリアも勘づいたらしい。


「……いや、違うと思う。違うと思うんだけど……」


 違うと切り捨てることも出来ない。彼奴は騒動の後、姿をくらました。いまは何処で何をしているかも分からない。

 エミリアを再び狙う理由は十分で、こんな街中を歩いていたって少なくともドラゴンたちよりかは目立たない。


 落ち着かない気持ちに駆り立てられながらも廊下への扉を開けると通路の反対側でアーウェルが座り込んでこちらを睨み上げた。


「……ナンデスカ」

「なんでもない」


 言って扉を閉め、その上で何重にも魔法陣を部屋のあちこちに打ち込み迎撃用のトラップを用意する。まさか本当に廊下で待機しているとは思わなかったけど、アーたんがあの調子なら屋敷の中で襲われる心配はなさそうだ。


 最期のトラップを窓枠に打ち込むと雨よけに外套のフードを被り、身を乗り出す。


「何もないとは思うけど念のために見て来る――。エミリアは絶対に部屋から出ないでね」

「アカリ様っ!!」


 独りで行動するといえば反対されるのは目に見えていた。だから返事を聞く前に窓から跳び下り、後ろ手に扉を閉めると魔法で錠をかけた。

 アーウェルの事が信頼できるわけじゃないけれど、これが罠の可能性もある。なら、エミリアを連れて歩くよりかはあの部屋に閉じ込めておいた方が随分とマシだ。


 ――……なんて考えながら、いざ一人になれば心細い自分が少し情けなかったり笑えて来たりして。


 苦笑しながら弱気になっちゃ駄目だと気合を入れ直し街を駆ける。

 視線の正体は視界の端で微かに取られていた。

 気のせいなんかじゃない。彼奴が犯人だ。


 雨音の強くなる夜の海の街の中、僕はその白い影を追いかけて疾走する。

 煩いほどに打ち付ける胸の鼓動は言い訳する余地もないほどに”弱気”の証明だった。



「さて、そろそろ人気ひとけのない所までやって来たと思うんだけど、いい加減追いかけっこは終わりにしない?」



 この街の地理に詳しくない僕が連れまわされて半刻ほど過ぎた頃、追い込むことが出来たのかそれとも誘い込まれたのか、辿り着いた場所は街を取り囲むように聳え立つ崖の麓で、打ち付ける雨は崖が風を遮ってくれているからかそれほど強くはない。


 頬に張り付く髪を払いつつアルベルトさん直伝の構えを取り、差し出した左手と後ろに下げた右手で魔法陣を展開する。相対する白い影の正体は文字通り白い外套を被っており、その顔はフードに隠れていて見えない。


「僕に用事があるんなら話を聞こう。でももし、エミリアに危害を加えるつもりだったんなら――……、」


 威嚇の意味も込めて一発打ち込むべきかと思った矢先、逆に風圧が僕の顔のすぐそばを突き抜けた。

 振り返ればパラパラとレンガ造りの壁が捲れ、零れ落ちている。被っていたフードも風圧で脱がされ、雨が直接顔を滴り落ちて行った。


「……迂闊だと言わざる得ませんね。もし仮に私が姫様を狙うやからであったのなら、いまの一撃は貴女の頭を吹き飛ばしていましたよ」


 頬を走った痛みに手をやれば指先に血が滲んだ。

 歩み寄り、フードを外しつつ顔を見せた”少女”の髪色は流れるような銀髪で、まだ幼さの残る瞳をしながらも険しい表情を浮かべながら僕に指先を突き付けて睨む。


 空を走った稲妻が深い青色の目を更に青く染め、そんな状況じゃないのは分かってるけれど「綺麗な目だ」と思った。


わたくしの事ですが、シロとお呼びください。貴女と同じく使命を負いし者でございます」


 何処か気品さえ感じられる振舞いに自然と警戒心は強くなる。


「どうしてこんな回りくどい手を?」

「姿を現せば警戒される。“影”とは光の知らぬところで動くものですよ」


 わざわざ僕を連れ出したという事はエミリアも彼女の存在は知らないのか。


「無論、女王様も知らぬ事でございます。私は王族ではなく王国に従えておりますので」


 …………。


 信じられるか否か。

 信じられる証拠を求めた所でそれが捏造じゃないと僕が見抜く方法はないし、残念ながらそこまで人を見る目に自信もない。


「先日の王都襲撃時は何処で何を?」

「あれだけの数のドラゴンの襲撃にあって、王都が焦土にならなかったのは貴女のおかげであるとでも?」


 肩を竦め、鼻で笑うと”シロ”と名乗った少女は指先で空を指し、


「私たちが守っていたに決まっているでしょう」


 と、その白い指に雷が落ちた。否、落ちたように見えたのは雷の形をした竜だった。

 僕のよく使う乱舞する竜の牙ダンシング・スネークバイトにもよく似た、ドラゴン。クー様のような西洋の種類ではなく体の長い、どちらかと言えば蛇のような形をした東洋の”竜”だった。


「姫様を守ろうという意思は尊重いたしますが、なにぶん貴女は幼い。力も奪われてしまっている」


 ……結梨の事も知っているのか、と思わず奥歯に力が入った。


「なにが言いたいんですか」

「守り切れませんよ。恐らく、それでは」


 風向きが変わったのか足元を打ち付ける雨が随分とうるさく感じる。頭から下までびしょ濡れになりながらも少女はただ告げる。

「守り切れません」と、重ねて告げた。


 自覚している。認識していた――。

 薄々感じていたのに言い返すことは出来なかった。自信はなくとも成し遂げるんだと誓ったハズなのに「そんなことない」と言い返せなかった。


「それでも貴女が姫様の傍に立つというのであればその意思は尊重いたしますが。”また”奪われる覚悟はしておいた方が良いかと」


 言って話はそれまでだと言わんばかりに来た道を戻っていく背を思わず掴めば金色の竜に鋭く威嚇された。

 思わず身を引き、反射的に魔法陣を描いていたけれどその様子をシロは冷めた目で見つめる。まるで「遅すぎる」とでも告げるかのように。


「黒の魔導士を自称するアーウェル・クロイトゥウェルにはご注意を。彼女は正当な魔導書の継承者ではありませんから」


 静かに告げて去っていく後ろ姿を呼び止めようとして、それを途中でやめたのは呼び止めた所で投げかける言葉が浮かばなかったからだ。


 嵐のような雨が煩くて仕方がない。


 屋敷に戻る道中、考えを纏めようとしたけれど一日の間に色々とありすぎて疲れが溜まっているのかどうにも頭の中がこんがらがって答えが出ない。


 ずぶ濡れで帰ってきた僕を訝しがるアーウェルを横目に部屋に戻り、ずっと窓辺で僕の事を心配してくれていたらしいエミリアに問い詰められながらも曖昧に言葉を交わしてそのまま服を着替えることもなく、ベットに倒れ込むことになった。


 薄れていく意識の中、結梨の後ろ姿が女々しくも浮かんで、……こんなことを言ったら散々馬鹿にされるんだろうなぁって少しだけ笑いながら眠った。

 夢の中での結梨はきっと、怒っていたような気がする。


仕事が恐らく一年で一番忙しい時期な為になかなか時間が取れませんが地道に書き進めていきたいと思います。(願望

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