◯ 13 水の都にて雨に唄えば その3
――伝承の、黒の魔導士……だって??
エミリアも同じ顔をしている辺り、確かにそう告げられたのだと確信する。
黒き神獣を従えし伝承に記された黒の魔導士。
その存在はおとぎ話の中に出てくる英雄と同じで実際に存在する人物だとは考えられてこなかった。事実、エミリアも猫の姿に変えられた結梨や使い魔なしで魔法を使う僕の事を見るまではその存在を信じてはいなかったという。
「本物の、黒の魔導士……なのか……?」
いや、それはない。もしそうだとしたら「僕」はどうなるんだ……? この姿は「黒の魔導士」のはずだ。何の根拠もないんだけど「黒の魔導士の身体」に僕の意識が入れ込まれているというのが僕の見解であり、そうでなければ魔法が使えることが説明できない。
性別が男から女に変わっただけで魔法陣を発動できるようになるのなら、向こうの世界で魔法が発動しなかった理由にならないしまさか魔導士ではなく「魔女」だから性別が大切だなんて話はないだろう。
この身体が「魔力」を有している「魔導士の女の子の身体」だから僕でも魔法を発動することが出来てる。
それがなんとなく立てていた仮説だった。
実際、本物の黒の魔導士を知っている赤いドラゴンこと主様や黒のドラゴンは僕の事を「偽物」と呼んだし、目の前のアーウェルなんとかさんは鏡で見る黒の魔導士の姿に似ている訳でもない。
なら、偽物……?
偽物に偽物認定されるのも変な話だけれどとりあえず魔法式を展開し、拘束は解いておく。
パリん、と砕けた光の鎖の音に驚きの表情で自称黒の魔導士は振り返る。それこそ殺意のこもった目で。
「敵対する意思はない……よ……?」
「……話は場所を移して聞きましょう。エミリア様、領主さまの元へご案内いたします」
「えっ、し、しかしっ……」
「どうかそのお力を、お貸しいただければ」
有無を言わせぬ強い意志でエミリアの手を引き、周囲の騎士たちは名残惜しそうな人々の中に道を作ると二人を導いていく。
「来るなら早くついて来ればいいじゃないですか。死なせますよ」
打って変わって冷たい態度にたじろぎながらもエミリアを独りにするわけにはいかない。かといってそこら中に怪我人が転がっているような街中を荷馬車が通れるはずもなく、どうしたもんかと途方にくれていると入れ替わりのようにしてやってきた騎士が手綱を要求してくる。
任せろ、ってことなんだろうなぁ……。
事態が飲み込めないけれど従うしかなさそうだ。
ここまで運んでくれた二頭の馬を軽く撫でながら僕は足早に二人の後を追った。
重くのしかかった灰色の空からはぽつぽつと雨が降り始め、あれやこれやと角を曲がるうちに振り始めだった雨はもはや嵐のようになっていた。
窓ガラスを打ち付ける雨音の中、案内された建物は街の外れにあった。
緩やかな傾斜の中に作られた街並みの中でもっとも高台に建造されているらしく、廊下の窓からは街の輪郭が大雑把にだが見て取れる。
「ヴァチュア領主のアリアス・ニーベルグ様です」
そういって通された部屋は薄暗く、大きなベットの上では全身を黒く塗りつぶされた男性が横たわっていた。
「アリァス、……ニーヴェルグだ」
掠れた声で答えながらも何とか体を起こそうとするが従者が慌ててそれを止めに走った。
虚ろな瞳の奥には鋭い光を携えてはいるが一目見て手遅れだと僕にも分る。
「先日、海の魔物が街を襲撃した際にへまをしまして、……お見苦しい姿で申し訳ない」
ぐっ、と傷が痛むのか呻きながらもエミリアに対して敬意を表そうとする様は痛々しくもあった。
「ホワード」
短くエミリアが命令するとクー様は彼の頭上まで飛び上がり、唱えられた魔法式の上に炎を吐き出す。
――救済の炎。
僕には使えない治療魔法だったはずだが、青い炎は領主さまの身体を癒すことはなく、そのまま虚しく宙へと四散した。
「……お心遣い感謝いたします、……随分と、楽になりました」
「……はい」
僕らをここまで案内してくれた襲撃者・アーウェルに領主さんは目くばせし、彼女は僕らを別の部屋へと案内する。
落胆の色はなく、こうなることは承知の上だったらしい。
「あれは一種の呪いです」と応接間の扉を閉めたアーウェルは僕らに向き直って告げる。
「毒のようなものと言っても良いのかもしれませんが、本体をどうにかしない限り、傷が癒えることはなく、身体を蝕み続けるでしょう」
そういって窓辺まで歩くと街を見下ろし、雨の中でも走り回る兵士たちを目で追った。
「もしかして街の人たちも?」
「はい」
僕の問い掛けに何の躊躇もなく頷くアーウェルだったがそれでもエミリアを気遣ってか静かに目を伏せた。
「エミリア様は我々の希望です。彼らの顔を、ご覧になられましたか?」
「……いえ、――しかしっ……」
抵抗するエミリアに対しアーウェルは首を横に振る。
そうか、街の人たちの怪我は治せてなかったのか。なんて、今更気付くのは流石に鈍感だっただろうか。
けれどエミリアがやってきた時、そしてクー様の炎を身に受けているとき、彼らの表情はとても柔らかかった。……まさか効いていないなんて思ってもみなかっな。
「エミリア様、どうかお力添えを。……貴女様は我々の希望です」
さながら忠誠を誓う騎士の如く膝をつくアーウェルは僕から言わせてもらえれば「気色が悪かった」。
「自己紹介がまだだと思うんだけどなー」
さながら、忠誠を誓っていたあの馬鹿騎士とおんなじように見えて、気味が悪いとでも言えばいいか?
「アーウェル・クロイトゥウェルと名乗ったハズですが?」
話をぶった切った僕が気に食わなかったのかアーウェルは睨む。けど、間違ったことは言っていないはずだ。
「それは自己紹介って言わないんだよ。黒の魔導士って、どういうこと?」
「口の利き方がなってませんね。――エミリア様、どうしてこのようなものをお傍に?」
「アカリ様は私の黒の魔導士さまですが……?」
「なに?」
と睨むアーウェル。睨まれる覚えはないんだけど……。
「……一応説明しておくと記憶喪失だから、僕。……詳しい事は良く分かんないです」
「……そうですか。ならご苦労様です。自分探しの旅にならどうぞここから始めてくださいませ」
つーんと突き放されるような態度に思うところがないわけでもないが、それよりも隣で頬を膨らませるエミリアの方が気になった。
「アカリ様の悪口は許しませんよっ」
クゥっ、と悪ノリ(?)してくれるクー様はきっと優しい良いドラゴンだ。
「わっ……、わたくしはべつにっ……、……ちょっと! 怒られたじゃないですか!!」
知るか。それに関しては初対面の相手にそんな態度を取る方が悪い。
「黒の魔導士ってあなたが?」
「ですよ」
「……いまいち事情が呑み込めないので覚えの悪い僕の為に懇切丁寧に説明していただいてもよろしいでしょうか」
二つの釣り目を仲裁するかのように出来る限り物腰を柔らかくして尋ねるとアーウェルは鼻で笑い、尖らせた唇で渋々説明してくれる。
「伝承の黒魔導士様の事です。エミリア様と共に世界を導き、人類を救済する正義の魔導士」
否、いまいち説明にはなっていなかったけど。
「それって継承されてたりするのかな」
「そうですね」
簡潔に。出来ればエミリア以外とは話したくなんてないのだと言わんばかりの態度に肩を竦める他無いのだけど、そうか、継承されてたのか。黒の魔導士。
「知ってた?」とエミリアに確認を取るけど彼女は首を横に振る。
どうやら王家にとっても初耳らしい。
そりゃ継承されてるモノだって知ってるなら早々にコンタクトを取っていたハズだろうし、この出会いも一方的なものなのかもしれない。
信用、していいものか。
「証拠は。黒の魔導士だっていうなら黒き神獣を連れていることになってるみたいなんだけど」
「なんですか次から次へと。何様ですか!」
「エミリアの護衛だよ。エシリヤさんから直々頼まれた」
「エシリヤ、さま……? というか、何故に呼び捨てなのですか! 死なせますか!?」
「はぁ……?」
まあまあ、どーどー。とエミリアが慌ててなだめるに入る。なんだかなぁ……?
エミリアもエミリアで黒の魔導士発現には思うところがあるらしく、あくまでも僕の事は「護衛として同行している魔術師」程度に説明してくれるけれどどうやらそれも気に食わないらしい。
への字に曲げた口で上から下まで舐めまわすかのように睨んだ末「こんな子供がですかぁ?」と酷い言い分だ。
それに関しては否定できないけど見た目で言えばアーウェルの方が子供だ。とか、思っていると
「これでも16です」と鋭く睨みが飛んで来る。
基本的に良い子なエミリアは素直に「同い年ですね!」なんて喜ぶけれど僕個人としてはますます怪しい。
「それで、黒の魔導士様っていうなら何か見せてよ」
ふんっ、と鼻で何度目かの笑いを溢した後、アーウェルはローブの中に腕を回し入れ、背中から一冊の本を取り出す。
「我が一族に伝わる伝承の魔導書。黒の書――、これでお分かりですか? 私が今代の黒の魔導士であるとっ」
偉そうに掲げられた分厚い一冊の魔導書に記憶の其れが重なった。
「ちょ、ちょっとそれ貸し「触らないでくださいませ!」
バチン、と勢いよく伸ばした手は弾き飛ばされ、「がるるぅ」とまるで犬のように威嚇される。
尻尾は猫なのに。
「そもそもこの書はおいそれと人に見せる物ではないのです。先代に認められし魔術師のみが受け取ることが出来、そうして次の後継者へと伝え行くもの――、何処の魚の骨とも知らぬ魔術師が触れて良いものではございません故!」
まあ、そうだろうな、とは思う。ので手は引っ込め、謝罪しながらも目は記憶にある「あの本」と目の前の一冊が同じものなのかを見比べる。
細部まで細かく思い出すことは難しいけれど確かに似ている――、ような気がする。何度も手で触れた感触は今でも残っている。装飾も、全く同じというわけではないけれどあんな感じだったのは確かだ。
「……アカリ様?」
「あ、ああ、……うん?」
エミリアが心配そうに見つめて来る。あまりにも僕がアーウェルの取り出した魔導書を注視するからそれに何らかの認識があることは察したらしい。
この黒の魔導士を名乗るアーウェル・クロイトゥウェルをどう扱うかは僕の意見次第って所だろうか。どうにも信用され過ぎている気がする。今後エミリアは悪い人に騙されそうで心配になる。
実際僕は嘘をついているわけだし。
黒の魔導士の身体であることは間違いないとは思うんだけど。
「なるほど。それじゃ君は黒の魔導士でエミリアに仕える為に僕を襲ったんだね?」
「当然! エミリア様が得体の知れぬ魔術師を連れているようでしたから念のために寝首をかいたまでです!」
別に居眠りしてたわけじゃないんだけど。
くいっくいっと裾を引っ張られ改めてエミリアが意見を求めて来る。んぅー……?? どうしたもんかなー……。
「出来れば王都まで出向くのが筋合いだったのでしょうが道中邪魔が入りまして……、馬を失い、荷を奪われたもので、路銀に困り、こちらの領主さまをダメもとで尋ねたのです。姫様の竜宮の巫女襲名までには王都へと向かおうと思っていたのですが不穏な魔力の流れを感じ、海底の神殿へ調査に向かった所――……、この有様です」
と突然服をまくり上げたアーウェルはその腹部を曝け出す。思わずエミリアが息を呑むのが分かった。
それはあの領主の全身を覆っていた傷と恐らくは同等の物であり、それ自体が生きているかのように脈を打っていた。
「不意打ちでした。最初は横腹に軽く触れられた程度だったのですが、日に日に大きくなり、いまではここまで広がってしまっております」
痛く、ないんですかとはエミリアは尋ねないし僕も聞かない。
まるで火傷が生きて肉に食い込んでいるかのようなそれが痛くない訳がない。
「エミリア様。我が身可愛さに申し上げているのではございませぬ。……どうか、いまこの時もこの街を喰いつくさんとしている海の悪魔討伐にお力をお貸しください」
再び膝をつくアーウェルは頭を下げ、指を組んで祈りを捧げる。
まるでエミリアが女神でもあるかのように。
「……アカリ様」
「まぁ……、見捨てるって選択肢はないだろうね」
ここで彼らを見捨てるような事が出来るのであればエミリアはドラゴンたちから命を狙われたりはしないだろう。
危険に身を投じてまで人民を救おうとするその献身性こそがエミリアを竜宮の巫女たらしめる理由だ。
「海の悪魔かぁ……」
なんとなく浮かんだ姿は海原で船を喰らう巨大なイカ、クラーケンであり、うねうねと蠢く足というか触手に嫌な予感しかしない。
……――全力で焼き殺さなきゃ……。
生憎、イカの姿焼きは嫌いじゃないので。
海と言えば触手(絶対に違う)




