◯ 12 伝承の黒き魔導士 その4
誰も浴室には入って来ていない。
扉が開く音も、歩みも聞こえてなどいなかった。
なのにそいつは、
その子は、
突然僕とエシリヤさんの間に割って入るようにして湯に浸かっていて、
「なぁ? 黒の魔導士サマよ?」
僕に微笑みかけていた。
「なっ……、「そう警戒するでない。これは人質じゃよ」
さらりと告げ振るった指先に浮かぶのはシャボン玉のような球体だった。
「ユーリ様!」
そしてその中では結梨が眠ったように囚われている。
何者だとか、何が目的なんだとか、いろんなことが浮かぶけれど、いやに頭の中は冷静で、僕にとって大事なのは「今、結梨が得体の知れない奴の手元に置かれている」っていうこの状況で、
「そいつを離せっ……!」
知らずうちに立ち上がり、魔法陣を描こうとしていた。
「まぁ待て、警戒するなと言っておるだろう」
「はいそうですかって両手広げるバカが何処にいんだよ」
「だからこそ人質をとっておる。警戒を解け、さもなくこやつの命はない」
「っ……」
そう言われればもうどうすることもできない。
騒ぎに気付いた誰かが背後から救い出してくれれば、なんて淡い考えも浮かぶけれど残念ながら重要な話をするつもりだったこともあり人払いを済ませてあるらしい。お付きの人が一人や二人、外にいてもおかしくないのだが一向に中に入ってくる気配はない。
「そもそも、悪意を抱くものがこのように一糸纏わぬ姿で敵国のものの前へと姿を表すと思うか? 少し考えれば分かると思うがエシリヤ女王?」
「……貴方は……」
「お会いするのは初めてだな、いや、なに、知らなくとも問題はない。外交上の立場で言えば私はあちらの食客のようなものだからな。なんならばこちらが失礼したと頭を下げるべきであろうて」
「お話を、お伺いします」
「湯浴みには慣れておらぬでな、長時間入って折れぬゆえ、その方が助かる」
「…………」
エシリヤさんと対等に、取り様によっては見下すように話す褐色少女を僕は何処かで見たような気がして暫くの間記憶を辿っていた。金色の瞳、歳のころは恐らく僕の妹よりももっと下だ。話し方から落ち着きは感じられるが「少女」という印象はぬぐいきれない。黒く長い髪を湯船に踊らせ、猫のように鋭い目尻はしっとりと湯気に浸りつつも眼光を衰えさせることはない。
「先日、こちらの城の方角から得体の知れぬ大規模な魔力の反応を感じてな。事もあろうに数百年に渡り封印し続けておった『柩』の蓋が強引に引きはがれてしまった。おかげで国内は元より隣国も大騒ぎだ。……心当たりはあるか?」
「……」
黙って目配せされたのは僕だ。
「国を超えるほどの魔力となれば扱えるものは限られておると思うのだが」
少女もまた、エシリヤさんの視線をなぞるようにして僕を捉える。
いや、待て。なんの話か良くわからないぞ……?
「聞き及んでおられるかも知れませんが、我が国は先日ドラゴンたちの襲撃を受けまして、ここ数日はその件を抱えっきりです。……何かの誤解では?」
「その騒動の数日前じゃよ。我々とて、柩の中身の対処にここ数日を割かれておった」
大袈裟にやれやれと肩をすくめて見せ、その責任は僕にあるとでも言いたげだ。
「どういうつもりか聞かせてもらおうか」
鋭い瞳に追求の光が宿った。
「どうもなにも……心当たりがーー、…………ぁ」
「……アカリ様……?」
心当たりがないわけではないことにふと気がつく。
気がつくというか、あれ、もしかしてそれって、あれェ……?
「その棺の封印を解いた魔法陣ってどんなのか教えていただけたりします……?」
湯船につかっていて嫌な汗をかくというのも奇妙な話だ。
ただ思い当たる節が本当に当たっているというのであれば真剣にまずい。
「しらじらしい、思い出せぬというのであれば思い出せ。貴様が描いた魔法陣だろう」
そういって水面に魔力で描かれたそれを僕は確かに見たことがった。
所々歪で、戸惑いさえも感じられる曲線で描かれていて空白とも取れる隙間も目立つ。
あの魔道書に記されていたものとは完成度も理解度も全く足りていない。素人の真似事、そう称するのが相応わしい。
……つまるところ、それは僕がこの世界に飛ばされて「元の世界に戻るために」結梨に言われて思い出しながら書いたあの「転移魔法」の出来損ないで。
「メイドさんが消してくれたわけじゃなかったのか……」
朝、目が覚めて消えていたのは発動したからだったんだ。
まさかそんな、という気持ちがないわけでもない。けれど事実、それは封印を解く魔法陣として作用してしまったらしい。
「貴様、何処でこれを知った。返答によってはタダではすまぬぞ」
「ただの偶然で発動するほど魔法陣って適当なものじゃないよね……」
「だからわざわざ我が出向いたのであろう。さぁ、答えよ」
「……ぁー……、」
マジかよ嘘だろ。
魔法陣の精密さはあの魔導書を読み解いた僕だって分かってる。木に火をつければ燃えるみたいな簡単な話じゃない。そこに存在しないものを魔力を変換することによって生み出し、魔力によって生み出されたその元素を魔法式に乗せて変換し置換していくことで魔法は発動する。
簡単な物理現象であってもその過程は複雑で、封印魔法となれば封印対象の魔力を抑え込む魔法式や時間の流れさえも塞きとめる要素を組み込む必要があり、それはただの偶然で生み出されるものではなかった。異世界への転移となればそれ以上だ。それ故に僕の描いた魔法陣は欠落しており、まさかそれが封印を解除する魔法陣になるだなんて、
「誰にも想像つかんだろ……それ……」
神のいたずらに途方にくれる。
つか、これから神と一戦交えるんだっけかこの国は……。まじパネェな神様……。
「なにをブツクサ言っておる。そろそろのぼせそうなんじゃが」
「やっぱ体は子供のものなのブファ! なにしやがる!!」
「子供扱いするでない」
「いやいや……その反応は子供でしょうよ……」
突然お湯を顔にかけられ騒ぐ僕と口を尖らせる褐色少女にエシリヤさんがわたわたと慌てふためくが「大丈夫ですよ」ととりあえず落ち着いて貰う。そこまでの敵意は感じられない。結梨を人質に取っているのも自らの安全を確保する意味合いが強いのだろう。でなければのんきに会話し過ぎだ。
「バカが」
ドンッ!と浴槽の底に描いた魔法陣が発動し、水流がうねるように少女を飲み込み、空中に巻き上げる。
風呂場のお湯がなくなって少し肌寒いがしばしの辛抱だ。ぐるぐると竜巻のように彼女を包み込み回り続けるそれは完全にその動きを封じていた。
「気絶する前にユーリを解放しろ。どんな理由があるにしろ人質なんてのは認めない」
絶対にだ。
心底、よくもまぁ我慢できたものだと自分を褒めてやりたかった。
いつもならまたブチ切れて突っ込むところだったんだろうがランバルトとの一件で少しは血管が太くなったらしい。なんとか平然を装いつつここまで魔法陣を描くことができた。
「気付かれないかヒヤヒヤしたけ……どっ……?」
「……あれは……魔法式……ですか……?」
「っ……?」
渦まく水流、そこにとらわれ、気泡と共に踊らされていた少女の体の周りには幾重にも魔法式が展開しているのが見えた。二重、三重といくつもの円を描きつつそれは駆け巡りーー、展開される。
「つっ……!!」
お湯をばら撒くようにして僕の魔法を弾き飛ばしたのは一つ目の魔法式で、
「やはり貴様はアレを読んだのじゃな」
二つ目の魔法式で僕の目と鼻の先に少女は飛び込んできていて、
「其れは、貴様のものではない」
三つ目の魔法式で僕の唇に唇を重ねた。
「んっ……?!!?」
「まっ……!!!」
隣でエシリヤさんが赤面するのが分かる。
問答無用で僕も真っ赤っかだ。
慌てて少女を弾き飛ばし、否、横薙ぎの払いは躱され、距離を取られるとドキドキと心臓が高鳴っていた。
「いやいや!! 子供だから!!! 慌てるもんじゃないから!!」
自分を落ち着かせつつお湯を再び吐き出し続けるしゃちほこのようなライオンに跳び乗った少女を見上げると「服着ろよ!!」叫んだ。
「なにを今更なことを言っておるのか少々困惑じゃぞ」
「悪い今落ち着いた」
あの水流の中で冷静に魔法式を描き、そして展開させるだなんてとてもじゃないが真似できるものじゃない。水流を弾き飛ばすためのものだけならばともかく複数のものを同時にだなんてーー、
「エシリヤお姉様!?」
そうこうしているうちに騒ぎに気がついたのかドタバタと廊下の方が騒がしくなり、一番最初に飛び込んできたのは白竜のクー様を連れたエミリアだった。
「なにを知っておるのかはまた後で詳しく聞かせて貰うことにしよう。成果は有った、ではな」
「待てッ!」
残された最後の魔法式が展開され光が少女と囚われたままの結梨を飲み込んでいく。
それを捉まえようと指を動かし、エミリアもクー様に何か指示を飛ばすのが聞こえたがそれよりも先に彼女は光となって宙に消え、
「結梨を……連れてかれた……?」
僕は呆然と踝までしか溜まりきっていないお湯の中で、立ち尽くした。
そっとエシリヤさんが魔法式を描くために突き出したままになっていた指先をほどき、包み込んでくれるのが分かった。
連れて行かれた、……結梨を。
その事実だけが僕の頭の中を駆け巡っていた。
次回、服を着る。
(ここまで読んでいる方がいるのか分からないので一旦掲載を中断しています。読んでくださっている方がおられるなら、連載を再開しようと思っているのでコメントなりなんなりでどうぞ)




