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◯ 12 伝承の黒き魔導士 その2

 そのままベットの上で話を聞いてくれて構わないとのことだったが、流石にそれは遠慮して場所を移すことにした。エミリアとエシリヤさんは席を外し、結梨は相変わらず戻ってこない。

 アルベルトさんの仕事部屋らしい書庫に通され、僕が着替えている間に用意してくれてたのであろうお茶をテーブルに置きながら告げる。


「彼奴は逃げ出しました」


 簡潔に。感情を押し殺すようにして老兵は告げ、その表情が全てを物語っているかに思える。


「アカリ様にご尽力いただき、捕らえたところまではよろしかったのですが、……なにぶん城内は人手も足りておらず、ドラゴンの血を引いている彼奴を縛り続ける事は難しかったのです」


 これ以上の損害を出すぐらいならば逃亡を見逃すしかなかった。それは苦渋の選択であり、捕らえたその場で処刑しなかった時点で決まっていたようなものだった。

 もとより、そうなるであろう事は僕にだって分かってる。しかしそれを突き通すかどうか、最終的にはこの父親アルベルトに掛っていたと言う話だ。

 自分の主人を裏切り、国を傾けさせたことには変わりなくーー、そして、それを処する覚悟すら抱いていた。しかし、寸前のところでやはり踏みとどまってしまった。

 それは人が人である理由でもあり、弱さでもある。

 そう簡単に切り捨てられるものでもないんだろう。


「……時には感情が論理を超越するってこともあるとは思います」


 一応僕なりの慰めでもあった。伝わるかどうかは別にしてそのことに関して僕は特に思う節もない。

 全身を電撃で貫くような刺激的な殺し合いをした仲だとは言え、どうしても彼奴のことをそう嫌いになれなかった。好きだの好みだのとぶちまけてくれた件に関しては虫酸が走るが、それを差し置いても彼奴は彼奴なりにこの国を思ってのことだったんだろう。手段は別にしても、おそらくは。


「ドラゴンは……神の遣いだと彼奴は言っていました。……儀式は元々神に対する生贄を捧げる場でもあったと。ーー今回の騒動、……いえ、この国の置かれている現状はこのままメデタシメデタシとは行かないんですよね……?」


 最後の瞬間、あの黒いドラゴンを飲み込んで行ったものの正体。

 そして、伝承の魔導士として僕が召喚されている事。何もかもがまだ片付いていない。


「相手は……神ですか」


 空想上の存在。

 ドラゴンが存在するのであればその上も存在してもおかしくない。

 天地創造の神々。地域によってその姿の描かれ方は様々であり、一神教から八百万の精神までその在り方は多岐に渡る。

 しかし、それが実在し、この地を総ているのだとすればーー、


「……敵うんですか」


 これからの戦いは、ドラゴンとのそれを遥かに超える。

 僕の記憶では神々と人との争いにおいて、人は逃げ惑うことでしか生き延びていない。

 天を目指したバベルの塔は打ち砕かれ、ラグナログにおいては巨人族が神と戦うことになった。ヨハネの黙示録などでは天使によって焼き殺され、新天地の誕生を祈るばかりだ。

 この世界の神がどんなものなのか知らない。

 この世界の教会が何を崇めているのかも。

 しかしそれが敵対するのであれば恐らくは神話をなぞることになる。


「…………」

「アルベルトさん」

「……なんとも言えませんな」


 冷めないうちに、とティーカップを勧め、香りを味わいながら彼は窓の外へ目をやった。


「神、……と呼ばれる存在を持たない国はありません。どの地においてもそれぞれの神がおり、我々においても竜神と呼ばれる存在がおります。……しかしながら、それはあくまでも偶像的な存在。如何に、ドラゴンが神聖なる存在と称されていても生物上、彼らも私たちとは変わりませぬ。……莫大なく魔力と類いまれなる生命力を持った偉大な生命体。それが彼らドラゴンです。……それが神に仕えし存在だというのはお伽話の中でのコト……神が降臨した所など、私は見たこともありません」


 言葉で否定し、しかし否定すればするほど否定しきれないということが否応無しに伝わってくる。


「神は……存在するのでしょうか」


 僕に否定してほしいのだと言いたげに、アルベルトさんはこぼす。

 もし仮に、そんな存在が僕たちを気にかけているのであればよくもまぁ暇なもんだと笑ってしまいそうになる。たかだか人の国一つが自分を崇めなくなったからと言って滅ぼしにくるものか……?


 その自己顕示欲の強さには呆れる他ないが、それが災いを振りまくというのであれば無視はできない。

 ここから先は、神話に抗う他ない。

 そんな境遇に置かれるのだとすれば、誰かに救いを求めたくなるのも分かる気はする。

 例えなんの確証もなくとも、否定して欲しいという気持ちも。

 だけど、それを責任ある貴方がいうべきじゃない。とも思う。

 弱ってしまった国を、これから立て直さなければいけない立場である貴方が。


「僕には……なんとも言えません」


 姿形は確かに伝承にある魔導士だ。

 意識の底の方には「本来の彼女」も眠っているであろうことは分っている。

 けれど、僕に彼女とやりとりする方法はない。

 一方的に、彼女が表に出てくるのを待つしか。

 だから僕は否定する他なかった。


「相手が神だろうがドラゴンだろうが、止まることが許されないのは明確だと思いますが」


 どれだけ打ちひしがれていようが、もう、戦線からは身を退いた身であろうが、国に携わっているということはそういうことだ。


「僕は、あの黒いドラゴンを追います」


 一度関わると決めたということは、そういうことだ。


「アカリ殿……」

「彼奴とは……まだ話す事が残っている気がするんです」


 意識が飛ぶ刹那、戻った世界の中でドラゴンの咆哮を聞いた。

 かつての魔導士にかけられたのであろう懺悔の言葉を。


「このまま忘れることなんてできませんから」


 この世界に飛ばされて、何の縁もない国に関わることになり、命を掛けさせられた。

 痛い思いもしたし、苦しいのだってもう散々だ。

 けど、だからって見捨てる事が出来なかったように。

 一度知ってしまったからには目をそらすことはもう、出来なかった。


「あのドラゴンを追います」


 繰り返し、意思を固める。

 この件についてはまだ結梨にも相談していなかった。けど、目が覚めてから何となく考えていたことだ。

 この国の行く末、この体の意味。

 それはきっとあのドラゴンとの因縁の先にあるんじゃないだろうか。

 そんな気がしていたから。


「……そうですか……、」


 随分と応答までに間があったように感じた。

 紅茶を口に含み、優雅に時を味わいながら溜め息を一つ、こぼす。

 アルベルトさんは僕の返答まで予測していたように、そして何処か諦めたように告げた。


「ならば姫さまを宜しくお願い致します」


 そっと置いたティーカップはすでに空で、いつの間にか太陽が傾き始めている。

 赤く染まり始めた部屋の中で僕はその意味を計りかねる。


「それって……どういう……?」


 少しだけ嫌な予感がしつつ、後ろでそっと開いた扉に振り返る。

 静かに姿を現した「彼女は」、そっと音を立てることすら躊躇うように僕の元へと舞い落ち、


「詳しくは私がお話いたしますわ?」


 エシリヤさんは僕の耳元で囁いた。

 耳の裏から背筋まで、カッと熱くなるのを感じた。

次回、お風呂。

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