◯ 9 リアルとファンタジー
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ーーこの世の終わりだ、……ていうかこういうシーンをゲームか何かで見たことある。
ぼんやり見上げてそう思った。もしかしたら映画だったかもしれない。次々を待ち受けていた困難に立ち向かい、ようやく辿り着いた安息の地で主人公たちは空を覆う「怪物たち」と出会う。
戦いは終わらず、生き続ける限り彼らはその「脅威」と戦うことになるのだ。ザ・エンド。
……なーんて。
「大天使の結界領域……」
バチバチと痺れる指で魔法陣を二つ描き、エシリヤさんとエミリアを守るように結界を張る。
「つ……て……」
体を起こすと足元にランバルトが呻いていた。どうやら意識はあるらしい。
「ドラゴンには効かなかったけどハーフだから有効だった……的な……」
正直僕だけがダウンする可能性だってあったから危険な賭けだったけど……結果オーライってことでーー、
「まるで別物だ」
「……!!!?」
ザラリ、と首筋を舌で舐めるような感触に跳び上がり、思わず振り返った。しかし、
「何処を見ている。私はここだ」
「ーーーー」
その声は空から降ってきていた。
……いや、おそらくは頭の中に……、あの主様と同じように「頭の中に直接」話しかけてきている。
空の暗の中でひときわ大きな姿をしたドラゴンを見つけた。赤というよりも黒く変色した肌。あの狼たちと同じように禍々しい「何か」を身にまとい、ゆっくりとこちらに向かって降りてきていた。
「まぁハナから敵うとは思ってはいなかったが、それでも期待には応えねばなァ?」
「すみま……せん……」
ボロボロの状態でもランバルトは膝をついて立ち上がり、降りてきたソイツを見上げた。
まるで神でも降りてきたみたいだと思った。着地と同時に大地が揺れ、その巨大さが足下から伝わってくる。
ーーんだッ……こいつッ……?!
息が詰まった。
呼吸を忘れた。
自分の存在がそいつに飲み込まれたような錯覚に陥る。
「どうした、お主らしくない」
「……!!?」
ビクリ、と反射的に、いや生理的に全身が緊張し、跳ねる。
上手く息が吸えず、不自然なリズムで不安定な呼吸を繰り返し、「燃え尽きる事なき不死鳥の舞!」思わずパニックになって浮かんだ魔法陣をそのまま突き飛ばす。
「懐かしいな」
舞い上がった不死鳥は一直線にそのドラゴンに向かって急降下し、空から全身で以って焼き尽くさんと雄叫びを上げた。
しかし、其れも束の間、その炎が巨体を捉えようとした瞬間に「逆に」ドラゴンの牙が「炎で出来た不死鳥の首筋を」捉え、地面へと叩きつける。
「しかしまるっきり別物だ」
そのまま踏みつけ、いや、踏み潰し、炎の鳥は四散する。
宙を舞う炎がヤケにゆっくりに見えた。
ーーヤバイ、ヤバイヤバイヤバイ。
焦燥感が積み上げられていく。
ドクンドクンと心臓の音が耳元で鳴り響く。
このドラゴンが何なのかわからない、ーーわかりたくない。
ただわかるのは「早く逃げないと殺される」ってことだけ。このままここにいちゃマズイってことだけ。
早く、早く逃げないと、早く。
思考回路が焼き切れるほどに逃走を命じているのに身体はビクとも動かない。
縛られているわけでもないのに指一本、瞬き一つするだけでも泥の中で溺れているような重みがあった。
「主の魔力を感じて駆けつけてみればなんともまぁ……時間の流れとは残酷なものだな」
「あ……あ……?」
「どうした、言葉すら忘れたのか。老いぬとはいえ呆けるには余りあったようだな」
目でドラゴンがランバルトにエミリアの回収を命じる。
ふらふらと彷徨うように歩きながらも展開されていた結界に顔をしかめ、しかし剣の一刀でそれを切り裂いた。
僕はただ、散って消えていく光を見ている事しかできずにいる。
……何なんだ……これ……?
目の前で起きていることが分からない。
だってそうだろ。現実的じゃないーー。
こんなの、無茶苦茶だ。
魔法が使えたって通用しなきゃ意味がない――、力があっても倒せなきゃ意味がない――。
目の前にいるのはドラゴンだ。到底人間じゃ太刀打ちできそうもない巨大な生物だ。もはや「生物」にカテゴライズしていいのかさえ迷うような「神」が体現したような存在だ。
そいつに僕が何をできるっていうんだ、魔法が通じなかった、「ただの高校生でしかない」僕がーー、
「ーーなにぼさっとしてんのよバカ!」
手を伸ばしたのは反射的にだった。
敵うわけがない。逃げたほうがいい。そう思ってたから、危ない目にあって欲しくなかったから、だから、
「やめろ結梨!!!」
必死に幼馴染に手を伸ばし、
「どいてろ」
「……!!!」
切り捨てられ、宙を舞う体に息が止まる。
ランバルトの薙ぎ払った一線はその小さな体を切り上げ、黒い毛と血が舞い上がった。
パシャっと音を立てて顔に血が飛んでくる。
「っ……あっ……あ……!!」
思考は止まる。
体だけが惰性で前へ、前へと生き急ぎ、転がるようにしてその体を抱きかかえて地面に這いつくばる。
「結梨……!! 結梨!!!」
ドクンドクンと心臓がうるさい。ランバルトが何かを言っている。ドラゴンが嘲笑うのを感じる。手の中でぬくもりが、広がるのを 感じる。
「ぁ……」
赤く、塗り潰されていく。
黒く、遮られていく。
世界が、感覚が、僕自身が、
「……!!!!!!」
込み上げてきた感情を僕は知らなかった。
睨み上げたドラゴンに吐き捨てる言葉を、僕は持ち合わせていなかった。
こんなものは知らない、こんなことは分からない、こんなものは経験したこと、ないーー。
ただ浮かび上がるのは許せないと叫び続ける怒りで、ただ込み上げてきたのはどうしようもない涙だった。
頭の中を埋め尽くした言語化できないソレが魔法陣であったことを発動してから僕は知る。
周囲を埋め尽くしていく幾つもの光の正体が魔導書に記された108の魔法であることを僕は理解する。
光が、衝撃が、「ただの破壊が」世界を襲った。
僕の世界は、僕の魔法で塗り潰された。
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