◯ 1 僕が少女になった魔法 その4
「エシリヤお姉様!」
少し向こうのほうが落ち着いてるように見える……っていうか、多分同い年ぐらいだ。あ、僕の実年齢と。もしかすると向こうのほうが1歳か2歳年上かもしれないけど……。そう思わせるほどにエミリアよりも成長した部分が主張している。岩の上で寝転んでいた結梨がムッと顔を上げるのが見えた。何に敏感なんだよお前は……。
「あら? あらあら? そちらのお方は?」
当然僕らの存在に首をかしげる。その顔は笑顔だけど明らかな警戒が見れ取れた。
「アカリ様です。それがお姉様……どうやら記憶喪失になってしまわれているようでして……」
「あらあらそれはまぁっ」
「うっ……」
エミリアとは姉妹のようだけど似通ったところはあるものの醸し出される雰囲気はまったく違う。
所謂「お嬢様オーラ」みたいなものを全身にまとっていて、ほんわかしているようでチクチク刺さる物がある。
記憶喪失って点もなんというか疑っていて……、いや、当然だろうけど、それが当然の反応なんだろうけど……すごく、すごーっく嘘くさそうな目で上から下まで念入りにチェックされてしまった。
「……記憶喪失のお方が何故このような場所に?」
「……さ……さぁ……? それは俺も知りたいっていうかここは本当にどこなんですかって感じで……」
「なるほど、それはそれは大変ですねぇ」
「いや本当に……」
掴みどころが見つからない……!
取りつく島がないとはこのことで会話はしているのに踏み込ませてもらえないガードの固さをひしひしと感じていた。
クラスメイトの女子たちとはまた違った「話しかけるな」の態度にだんだん心が追い詰められていくかのようだ。
「後で遣いの者を越させますから事情はそのお方にお話くださいな。私達は他にすることがございますので」
お辞儀するとウェーブ掛かった金髪が肩から零れ落ちる。
それを優雅な仕草で整えると完璧な笑顔で微笑み返されてしまった。
ーーこれ以上のお話は無用ですよ、と。
「……燈、諦めよ」
「まぁ……うん……? 仕方ないよな……」
心細いのは確かだけど迷惑を掛けるわけにもいかない。
遣いの者を寄越してくれるって言ってるしどうにかなるだろう。……ていうか、どうにかなってくれないと困るんだけどさ。と、岩の上に干した服をどうにかしようと結梨に向き直った瞬間、「あららっ!?」エシリヤと呼ばれたお嬢様が僕を追い抜かして結梨に駆け寄る。
「……にゃっ、にゃに!?」
猫語になってるぞ、と突っ込む隙はなかった。
「くっ……黒の神獣様……!?」
ーーまたそれか。
「どっ、どうしてここに!? いやっ、でも……まさかそんな……!?」
「……オーィ……」
この世界では猫がそんなに珍しいんだろうか。それとも女の子の間で占いマスコットとかで人気なのか?
岩に手をかけて結梨を見つめる後ろ姿は獲物を狙う獣のようで、……いや、おもちゃを目前に「待て」をさせられてる犬みたいな感じだった。じっとしているのも耐えられないのか揺れるお尻に吊られてロングスカートが右へ左へフリフリと揺れて、まさしく「犬」だ。
「あっ、あかりぃっ!! なんか怖い……!!」
「わぁああっ!! にゃっにゃーっですわ!?」
……この人にも結梨の声は聞こえないのか。
冷静に判断したところで結梨が逃げ出しそうな勢いだったので助けに入る。
「……あー、えーとエシリヤさん……。結梨も怖がってますしその辺にーー、」
「……!!!」
恐る恐る話しかけた刹那ギロリとした目が振り返り、気がついたときには両手を掴まれていた。
「し、神獣様と言葉を交わせるのですか!?」
「え、あ……ヘぇぁ……?」
「おっしゃっていることがお分かりになるのですか……!?」
「あ、ああ……まぁ……」
「……!!!!!」
「!?」
目の輝きが増し、今にも飛び上がりそうなテンションでーー、ていうか飛び上がりながらエシリヤさんは喜ぶ。
「なんということでしょうなんということでしょう!! そんなことがあってよろしいのでしょうか……!!?」
俺の手を包んだまま飛んだり跳ねたり、何なら巻き込んで踊りながら彼女はその喜びを形にしていった。
「これは天の思し召し……! 運命ですわ!?」
「盛り上がってるところ悪いんだけどいや本当に、何が何だか……」
「間違いもなく、一片の曇りもなくきっと貴方様は竜王様がお遣わせになった黒の魔導士様なのですわ!? 間違いありません!」
「違うと思うけど……」
「記憶がないのはそういうことなのです!」
「いや違う……」
本当に、違う。だって嘘だから。記憶がないの嘘だから。あるから記憶。城ヶ崎高校に通う至って普通の高校2年生だから、陽陰燈って名前も覚えてますから。
「……燈」
「ああ……うん……?」
埒があかないと思ったのか結梨の機嫌がすこぶる悪くなってる。
「とりあえず落ち着いてくださいエシリヤさん。本当に俺たち右も左も分からない状態でして……」
「ええっ! それでしたら私達が街までご案内しますわっ? 何なら宿が見つかるまで屋敷にーー、」
言いかけてふと顔が険しくなった。それまで和らいでいた雰囲気からガラリと一変し、真剣な眼差しを崖の上へと向ける。
「……? 何だ……?」
「お姉様……?」
「ランバルト!! ランバルト!?」
森に向かって誰かの名前を叫ぶがその主が答えるよりも先に崖の上から「ドドド」と地響きが伝わってくる。
「なっ……、」
音の正体を探ろうと視線を向けた瞬間には静かだった滝の水が一気に増し、濁流とともに大量の岩や土が飛び出してきた。
「燈……!」
咄嗟に結梨が飛び出し、濁流から逃げようと僕も踵を返すけど視界の端に呆然と立ち尽くし逃げることもままならないエミリアの姿が映った。
エシリヤはそんな妹を抱きしめ、身を挺して守ろうとしているけれどあんなものに飲み込まれたらひとたまりもない。
「ッ……!」
結梨が後ろで名前を呼ぶのが聞こえた。殆ど条件反射みたいなものだった。
どうしようとか、どうすればいいとか、そういうのは後から込み上げてきて「助けないと」って気持ちが先走って気がついたら二人の目の前に飛び出していて、
「 『燃え尽きる事なき不死鳥の舞(エキューズ・エターナルフォース・フェニックス)!!』 」
頭の中に浮かんだ魔法陣とともにその言葉を発し、片手をかざした。