◯ 7 登ったら降りなきゃいけないんです その6
大きな石の扉があった。
地上の祠にあった扉よりもさらに大きな、そして荘厳な彫刻が刻まれたそれは二つの大きな獣のようだ。いまにも動き出しそうな迫力に思わず息を飲む。
「……」
動き出してもおかしくないーー、突然低い声で「汝らに問う……」とか言い始めてもおかしくない出来だ。
というか、生き物じゃないことが不思議に思えるほどに「生々しい」。
まるでその獣たちが実在する生き物で、生きたまま「彫刻にされた」と言っても違和感がないほどに。
「これは……?」
エミリアも神妙な面持ちで二対の巨大な獣を見上げている。
「かつての黒の神獣と黒の魔導士様です」
「……ん……?」
確かに片側は見ようによっては猫にも見える。猫科、百獣の王、ライオンか神話に登場するキマイラかーー。
荘厳なタテガミを靡かせ、鋭い牙をむき出しに吠えている。
その四肢は逞しく、鋭く伸びた爪は如何なる物さえも切り裂いてしまえそうだ。
「……これが黒の魔導士……?」
対するもう一体の「獣」は二本足で立っているように「見える」ものの、やはりそれはどう見ても獣だった。
神獣が猫ならこっちは犬かもしれない。
狼を思わせる獰猛な牙に鋭い目、全身を覆う長い毛は流水を思わせるほどに美しく流れている。
フェンリル。北斗神話に登場する月と太陽を飲み込んだロキの飼い犬を連想させるほどに巨大な顎は唸るように引きつけられている。
「……僕……変身とかできないよ……?」
今後のために、期待されても困るので釘を打っておく。
こんな大怪獣ヨロシク特撮映画みたいなのは流石にゴメンだ。
「あくまでも当時の人々がお二人の様子を描いたものですので……、『神をも屈服させる力を使いし黒の魔導士は夜と朝、昼を飲み込み、この世を支配する程に力を見せた』。かの時代から魔法を使える人は崇拝されていたようですので、恐らくは神格化してこうなったのかと……」
「はぁー……?」
あらためて見上げるが完全に怪物だ。
黒の魔導士は神様扱いされる程だった……?
初代国王を導いたとか、祭祀的な立ち位置なのかと思っていたけどこれでは鬼神に近い。
畏れた結果が信仰につながり、怒りを抑える為に生贄や祈りを捧げるーー。
……とまでは言わないけど、エミリアが「目を煌めかせるほど」に輝かしい存在なのかは疑問に思えてきた。
この世界の文字は魔導書のものと同じようだし、やっぱり伝承について書かれてる書物とか見せてもらおう……。自分が何に間違えられてるのかは把握しておいたほうがいいだろう。人違いなのだとしても「そういう風に見られる」のは避けられないんだろうし。
「あかり、あかり」
「ん? どしたの?」
「……私たちの記憶って意識と脳、どっちに基づくものだと思う?」
「……んんん……?」
何だか急に現代チックな、ファンタジーに相応しくない話題が飛び出してきて頭がついていかなかった。
「そこはほらアカシックレコードに基づくとか魂に刻まれてるとか」
「記憶ってさ、脳に保存されてる電子情報でしょう? コンピューターの0と1の配列みたいに人の頭にも刻まれてる」
「ああ……うん……」
わかった。これ何か答えて欲しいわけでも何かに同意して欲しいわけでもないや。ただ会話で考えをまとめたいだけだ……。
「でも意識ってね、……私も専門に勉強したわけじゃないから分からないんだけど……魂ってものが存在せず『記憶の情報によって』価値観や経験則なんかが反映されたものが私たちで、意識と呼ばれるものなのだとしたら……、」
「……だとしたら?」
「『脳に刻まれた記憶』って意識に反映されるのかしら……」
「……」
「だから、この体の記憶って、私たちの記憶や意識に上書き、もしくは追記されてるのかしら……?」
結梨が言いたいことはなんとなくわかった。
僕がここに入った時から感じていた違和感を有利も感じていたんだろう。
ーーこの場所に来たことがある、……気がする。
異世界に飛ばされたのだから「来たことがある」なんてことは「絶対にありえない」。
現実世界のどこかに似ているのかと思っていたけど、こんなものを向こうの世界で見たことは「絶対にない」。
だとすればその「違和感」や「既視感」は「体に刻まれたもの」ではないだろうか? ということなんだろう。
転移したのは僕らの意識か魂と呼ばれるもので、この体の持ち主に入った。精神の交換か乗っ取りなのかはわからないけど、この体が以前ここに来たことがあって、僕はそのことを知らないけど「体は覚えていた」というだけの話。
「……少なくとも他の場所に見覚えはなかったかな」
「でも、私だけじゃなくて燈も既視感を感じてた。……平気よね……?」
体の記憶が意識を蝕むようなことがあるとすれば、それは知らずうちに「体の方に引っ張られていく」ことになるんだろうか。
いつのまにか「この体の持ち主」が「僕らの知識」を持つような状態にーー、




