45 映画が恋愛パートに入るとトイレタイムな俺には辛い一夜
俺はナビ女に手を引かれなが、暗く湿った地下世界を歩いている。
おじいちゃんか。
俺の仕事といえば、大きめの懐中電灯で雑に前方を照らすだけ。
たまに灯りの中に突然昆虫人間がフレームインしてきて、俺は無言でビクッとなり、ナビ女は盛大に悲鳴を上げた。
ナビ女よ、お前は昆虫人間の居場所がわかっているはずなのに、どうして毎度キャーキャー喚くんだ?
そんな俺たちに、昆虫人間――中の人はプチ子だが――は無表情の昆虫顔のまま手を振ってくれる。
何というか、暇だ。
3DSにダウンロードして昔のダンジョンゲームをいくつかプレイしたことがあるが、まさにあんな感じ。
一歩進むごとに方眼紙に地図を描いていくという行為が謎の充足感を与えてくれる、スルメゲーだな。
ただ、今は本当に退屈極まりない。
理由はわかっている。ゲームのような、いわゆる敵が現れないからだ。罠もない。探していないからわからなが、恐らく宝箱もないだろう。
ツール使用で敵のエンカウント率をゼロにして冒険しているような味気なさだ。
「ときにナビ女」
「何よ?」
「思ったんだが、こんなことをしなくても」と言いながら、つまんでいるナビ女の指先を上下に軽く振った。「お前が先を歩いて、俺がその五メートルくらい後ろをついてけばはぐれる心配もないし、いいんじゃないか?」
「どうしてそんなに離れるのよ!」
「じゃあ二メートルでいい」
「そうじゃなくて!」
ちなみにこれ、三時間ぶりの会話だ。
出発当初、ナビ女はもっとウザいくらいにマシンガントークをしてくるのかと身構えていたが、実際のところそうではなかった。
淡々と俺を誘導してくれた。かなり雑な説明しかしていないにもかかわらず、しつこく目的を尋ねてくるわけでもなく。
だから俺はちょっとからかってはみたものの、彼女の手を振りほどいたりはしなかった。
ところどころ真横に燃えた岩盤みたいなのがむき出しになっている道があり、めちゃくちゃ暑かったりもしたけれどな。
さらに時間が経過した。
今は上向けた懐中電灯を挟んで二人地面に座り、休憩をとっている。
何か、話題を提供したほうがいいのか?
だとしたら、何を話す? たとえば……好きな色とかか?
こういうときこそ、パーティメンバーに極自然に会話を振れていたオートリーダー時代を思い出すんだ、俺。
イメージするのは……そうだ、かつて体験した史上最強にギスギスしたパーティ。
必死に獲物の取り合いをして、ようやくクエストのトリガーアイテムを入手し、臨んだエンドコンテンツ。
バトルエリアの前には長蛇の列。突入まで二時間コースだ。
格パーティからリーダーが代表して並んでいるが、そんなの知ったことかと横入りしようとするパーティもいて、前室エリアには怒号が飛び交う。
やっと順番が回ってきて突入できる間際になって、メンバーの一人がステータスブースト用の薬品を間違えて持ってきたと告白。
順番を抜かしてもらっている間に、知人に薬品の配達を頼んで事なきを得る。
しかし、知人が薬品を持って到着するまでの十分間に寝落ちしたのか、別のメンバーが動かなくなる。
思い出しただけで変な汗がこめかみを伝う、ストレスてんこ盛りの状況だ。
何度呼びかけても不動&無言のメンバーに、パーティ内にブリザードが吹き抜ける。
こんなとき、ギスるのも限界突破して沈黙が支配するパーティでリーダーがすべきことは、まず場を、空気を和ませることだ。
無難に今の状況を取り繕おうとしても、お通夜状態継続の確率が高い。
そんな状況を打破できる、強力な武器。それは、誤爆だ。
予想外の方向から突然放ってこられる簡潔でインパクトの強い言葉は、限界まで張り詰めていた緊張の糸を切断せずにたわませる力を持っている――本物の誤爆ならな。
お通夜ムードをひっくり返すため、あえて誤爆を装う……これは非常に危険な賭けだ。
つまらないことを言えば、当然いつも以上にスベる。
さらに誤爆が意図的に行われたとバレた場合、ネトゲであればキャラデリ――つまりキャラクターをデリートしてゲームから引退する決断が選択肢に挙がるほどのダメージを受けるだろう。
「宮沢ってさ……何かいいよね」
「ほう」
どうやらパーティ内の空気が張り詰めていると感じていたのは、俺だけだったようだ。
ナビ女が俺のことをどう思っているのか、聞けるのなら聞いておいたほうがいいのかもしれない。
実際、好意を持たれるというのは悪い気はしないからな。
「何ていうか、いつも自分の世界を持ってるじゃない? 他のだれともつるんだりしないで。だから気になってたの。今は純粋に、すごいな、私なんかにいつまで声掛けてくれるかな……って、ちょっと不安もあるけど」
早く言えよ。
少なく見積もっても三日遅いだろ。
どうか世の中の女は恋に落ちたら一秒後には告白してほしい。世界というのは気まぐれでね一秒後には豹変しないとも限らないんだから。
今となっては、ナビ女に告白されたからといって世界がまともなままだったとは思えない。
それでも俺が「学校爆発しろ」と思わずに日々を過ごせたかもしれないという可能性はなきにしもあらずだ。
ただ、今そんなことを言われても、妹以外の三次元の女に興味のない俺にはいかんともし難い。
せいぜい、今までみたいにあまり雑に扱わないでおこうとか、多少の奇行は見逃してやろうとか、その程度しか譲歩できないぞ。
ナビ女のスキルは実際にこうして非常に役立つので、パーティからキックすることも、現段階ではまったく考えていない。
それから交代で仮眠を取り、目覚めたらカロリーを摂取し、再び歩き続けた。
ある狭い横穴から広い穴に出たとき、俺は懐かしさのあまり思わず「おお」とつぶやいていた。
白い壁に青のアクセント。大江戸線の勝どき駅だ。
ここまでくれば、もうナビは必要ない。
「俺は地上に出る。何がいるかわからないから、お前は下で待っていろ。ここのが安全だ」
「えっ……でも……」
「何もなければ一時間で戻る」
しおらしくうなずいたナビ女をホームに残し、俺は階段を駆け上がった。
気のせいか、地上が騒がしい。
地響きのような振動が、地下にいても感じられる。
俺は急に不安になって、いっそう足を早めた。
ようやく地上。
駅からまっすぐの方角に、俺の家はある。
しかしその方角には今まさに、急速に膨張するドーム状の爆炎があったのだ。