02 事実が体に染みわたっていく時間
「――ということです。繰り返します。ただいまの揺れにつきまして、津波の心配はありませんが、念のため沿岸部の方は高台に避難してくださいということです」
「そりゃそうだろ。今のは絶対地震じゃない。で、実はなんだったのかとか、被害状況はどうなってるとか、入ってきてないの?」
「えー……渋谷の。あ、つながってる? あ、失礼しました。渋谷の諫山さんとつながったようです。そっちはどうなってますかー?」
前の席の連中が教室のテレビをつけていた。民法では何局かで朝のワイドショーをやっていたが、司会が興奮気味にまくし立てている一局を視聴することにしたらしい。
画面の中では女性アシスタントの呼びかけに応えて、渋谷と言ったら必ず出てくるあのスクランブル交差点が映し出された。そこでマイクを握って立っているのは、お天気リポーターだった。街頭で天気情報をリポートする予定で待機していたのだろうと察する。
「はい、諫山です。こちらは毎朝お天気をお伝えさせていただいている渋谷の交差点ですが、自動車同士の接触事故が起きていて、現在通行止めになっています。また、上空をご覧ください」
リポーターの声に従い、カメラが空を映し出す。ゲリラ豪雨のときよりも濃い灰色の空だ。
周囲のビルよりもやや高い位置に、複雑な形状の何かがあった。もちろん、空中に静止しているという意味だ。
「ちょっとここからでは見えないんですが、ほかにもいくつか同様のものが確認できます」
カメラが謎の物体にズームする。画面の粒子が荒くなるほどに寄っても、ソレが何なのか皆目検討がつかない。
たまご型の何かから、およそ規則性なくさまざまなものが突き出している――そうとしか形容できなかった。棒状、コブ状、翼状、グネグネ曲がった何か。じっと見つめていると、うごめいているようにも見えてくる。
「こちらでは、引き続き様子を見ていきたいと思います。変化があったらすぐスタジオに――」
次の瞬間、画面に映っているのは灰色の空だけだった。
直後にドーンという爆発音。映像が激しく乱れ、切れ切れに人々の悲鳴が。
ああああーっ!
怒号はこっち、つまり学校にも飛び火した。
下の階から絶叫が聞こえる。およそ学校内では想像できないような、荒々しい音が鳴り止まない。たとえば校内にバイクでも乱入してきて好き勝手暴れまわっているとしたら、こんな音もするだろうか。
俺は素早く席を立ち、窓際から離れた。そのまま廊下に飛び出そうとして、考え直す。
暴れまわっているのがバイクにせよそうでないにせよ、廊下に出たところで接触なんて展開は勘弁してほしい。
仕方ないので、教室の中央に突っ立つことにした。もちろん今現在、教室中央の席にはその持ち主が着席しているわけで、俺に怪訝な眼差しを向けてくる。それに対しては、カンストしているスルースキルで気づいていないフリをした。
そうこうしている間に、下から聞こえてくる物音はいよいよヤバげになってきた。
悲鳴、怒号。
椅子や机がひっくり返る音は止むことを知らない。
ひたすらに、鬼気迫った様子で右往左往する足音。
何かが壁や柱にぶつかる鈍い音。
恐らく、教室のドアが吹っ飛んだであろう音。
下で何が起きているかなんて、はっきり言って想像もできない。
バタバタという足音が一つ、教室の前で止まった。直後に聞こえたキュッという音は、後ろを振り返ったときのものだろうか。
あーあ。よせばいいのに、最前列左端席のやつが、教室のドアをそろそろと開けてやった。
ドアの向こう、廊下には、一年生らしき女生徒が立ちすくんでいた。ただ、彼女のみてくれはかなり凄惨だった。
真っ白なブラウスに、自身のものか他人のものか定かではない血が、勢い良くしぶいている。何をひっかぶったものやら、髪は白い粉とホコリまみれだった。一体、何をどうするとそんなことになるんだ?
女生徒がウチらのクラスの視線に気づき、ゆっくりと顔を向ける。
何かを伝えようと口を開きかけた、そのとき――
廊下の向こうからとんでもない質量の物体が轟音とともに押し寄せ、彼女の姿を跡形もなくかき消した。
さすがの俺も、ヒュンとなったさ。女生徒をさらっていった物体はあまりにも速く、結局正体はわからないままだったが、廊下の縦横にみっちり詰まるくらいの大きさだった。その瞬間、頭が考えることを放棄したんだと思う。
だってあんなの、真正面からやりあったら戦車だって勝てるかどうかわからないぞ。
そして一拍遅れて、教室が絶叫に包まれた。女子だけかと思ったら、男子も少なくない人数がぎゃあぎゃあわめいている。バカか。
こういうときこそ落ち着いて、状況把握に務めるのが尊敬される良きリーダーだ。ただし、決断は速くなければならない。
戦闘中に別の敵が参戦してきてパーティが危機に陥った場合、最初に叩いている敵を先に倒すのか、新しい敵を先に倒すのか、新しい敵に何らかの足止めをするのか、それとも一目散に逃げるべきなのか、瞬時に判断して指示を出さなければいけないからだ。
「ふーん、なるほど……」
読めてきた。周囲の騒音がひどすぎてイマイチ考えがまとまらないが、それでもわかってきたことがある。
さっきの揺れをきっかけに、今まで地球上で確認されていなかった何らかの脅威が跋扈するようになったらしい。
それが未知の生物なのか、宇宙人に関するものなのか、そこまではまだわからないが。
そしてどうやら、我々人類との戦力差はあまりにも大きいようだ。
さらに俺は、もう一つ――いや、二つの事態に気づいていた。
一つは、ついさっきまで下階から聞こえていた阿鼻叫喚の地獄絵図を連想させる音が、今はまったくしない。
そしてもう一つ。これはほとんど勘だが、担任はもう二度と俺らの前に姿を表さないであろうということ。
あの圧倒的質量の何かは、下階からやってきた――おそらく、最後に逃れてきた女生徒以外を全滅させて。
ここもいつまで安全かわからない。
そろそろ移動すべきだ。