19 何を言っているかわからんと思うが、気づいたら王になっていた
大蛇の口吻が俺の鼻先をかすめ、軽く地面にめり込む。
結構な風圧とともに、濃厚な鉄の臭いが吹きつけられた。
ちなみに地面はコンクリートだ。
そして大蛇から、変な音が鳴り響いた。
さっきから何度か耳にした、金管楽器の低い音。あれで会話をしたらこんな感じになりそうだ。
たまにドイツ語っぽい発音が入るから言葉のように聞こえるのか。
同時に、声が――日本語が頭のなかに流れ込んでくる。
「王よ。ご挨拶が遅くなり、申し訳なく……」
それが大蛇の声なんだろうなと想像できるくらいには、俺の脳は純粋だった。
とりあえず、奴に俺を殺す気がなさそうで安心する。
でもこの事態、どうすりゃいい?
俺はまず、ナビ女を見上げた。
彼女は泣き止んでいたが、同時に魂が半分抜けたような顔をしている。使えない奴だ。
もう少しはましそうな衛生兵も似たようなものだったので諦める。
黒帯と巴御前は、目が合った瞬間に高速で首を横に振った。
俺にアドバイスできることはない――そう言いたいのか。丸投げか。
まあ、頭を上げろよ。お前に敵意がないならゆっくり話そうじゃないか。
そう言いたい。しかし、どうすればこの大蛇に伝わる?
ウーヴェーヴシュース、ドドゥーグンクターシェッ、ウグムーヴ――頑張ってさっきの大蛇のセリフを再現した――とかなんとか、俺は喋れないんだが?
「なあ」
「はい、王よ」
おお、こいつ……日本語がわかるぞ!
相変わらずシューシューヴーヴー言っているが、それを丸っと無視すれば意思の疎通は問題なさそうだ。
「誰かと人違いしてないか?」
「滅相もない。私は王に会いに参った」
うん。こいつ人の話を聞かないタイプだ。
だが今のところ敵意やら食い気やらはないようなので、俺は心底ホッとした。
ずり落ちた眼鏡を押し上げる余裕さえあるぞ。
わずか数分前、限りなく死の際まで追い詰められたあの状況を経て、生きた心地がする。
「話せる奴がいて助かった。俺たちを食い殺しに来たわけじゃない……んだよな?」
「王は人であらされるか? この人どもが王の所有物であるなら、我ら手出しは致さぬ」
確かに異変からこっちチヤホヤされてはいるが、だからといってみんなを俺のものなどと言ったら袋叩きに遭うのは目に見えている。
さて……どう答えたものか。
俺は首を曲げて黒帯と巴御前にアイコンタクトをしてから大蛇を指差し、口パクで「聞こえてる?」と尋ねた。
巴御前はうなずいた。
黒帯も「聞こえてる」と口パクで返してくれる。
「聞こえておりまする」
「お前も聞こえてるんかい!」
大蛇からのテレパシー的なものに、思わずツッコミを入れてしまった。
よし、とりあえずこのテレパシーは、俺を含む周りの人間にも聞こえているらしいことがわかった。
それなら……わかってくれるだろう。この状況で俺が、みんなのことを「俺の物」扱いせざるを得ないということを!
「そうだ。彼らは俺の軍勢だ。危害を加えることは許さない」
「御意」
「それで……」順番が前後したが、そろそろ訊かないわけにはいくまい。「俺が王って、どういうことだ?」
「王は、先王を倒された」
「あ、顔上げていいぞ」
大蛇は粉砕したコンクリートから顔を上げ――鱗の一枚でも剥がれているかと思ったら、まったくの無傷だった――巻いたとぐろごと後退し、改めて頭部を地面に置いた。今度は平行に。
「先王ってのはどいつだ?」
「シャ……グムッシュドロロロロロ――」
うん、要するに人間には発音できない名前なんだな。
「名前はいい。そいつがどうなったって?」
「王によって倒された。雷の理を操る王が、先王を倒された」
「雷って……あのほぼアドリブで感電させたやつか」俺は顎を撫でながら、巨大な塊が階段をぶち壊しながら襲いかかってきた情景を思い出して身震いした。「あいつがこの一帯のボスで、お前が二番手といったところか」
「いかにも」
「先王がいなくなったんだから、お前が繰り上がって新しい王になったりはしないのか?」
一度もまばたきすることなく凝視してくる大蛇に、プレッシャーを感じないと言ったら嘘になる。
確かに、先王とやらに比べると、この大蛇は圧倒的に質量がたりない気がする。だが、俺に比べたら二百回殺してもお釣りが来るほど強そうじゃないか。
だったら普通、下克上を狙うよな?
「私は王には勝てぬ」
「俺なんか、ひと飲みだろ?」
挑発するように俺が一歩前に踏み出すと、ちょっと信じられないことが起きた。
大蛇の奴が、瞬時に数メートル後退したのだ。
まさかとは思うが、ビビったのだろうか。
「王は先王を倒された。したがって、先王の力は今や王のもの。さらに、先王とその多数の配下を倒したという栄光、そして経験が、さらなる力を王に与えている」
それは、つまり……。
先王が持っていた力を丸パクリした挙句、巻き添えで倒したザコも含めて倒した経験値が入り、レベルアップしたと考えてよろしいか。
問えば大蛇は大きくうなずき、それだけではないと続けた。
「地上にも地下にも、未だかつて雷の理を得し者はなし。唯一にて無二の力」
え?
もしかして俺は、電気を操れるようになったのか?
じっと手を見てみた。
電気来ーい。
実際のところ信じちゃいないので、ふざけてそんなことを念じてみたらできた。
俺の手に、青白い稲光がまといつく。
若干痺れている感じがあるが、ほとんど気にならない。
しかし大蛇は、今度こそ笑っちゃうくらいのスピードで校庭のほうまで逃げ去った。
「王よ、私は忠誠を誓う。何卒、何卒」
「すまんすまん。もうしないよ、少し試してみただけだ」
鉄臭い大蛇が、何だか少しかわいく思えてくる。
見たところ強そうだから雑魚どもから拠点――校舎を守るのに役立ちそうだし、かなり知識もあるようだ。
俺たちの世界に何が起こったのか、バケモノどもはどこから来たのか、どうすれば元通りにできるのか……。
これから少しずつ聞いていこうと思う。