15 なにかは にげだした!
ゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリ
「な、なんだありゃ?」
「うわっ、キモっ! あれ足音なの?」
「どうやらそのようだ」
見た感じ足らしき器官もないようだが、ガタガタの道路をすべるように、そいつは移動してきた。
何をどうするとあの音が出るのかはまったくわからないので、考えないことにする。
見かけによらず、スピードがある。
そいつはどうも、巴御前をターゲットにしているようだった。
巴御前の構えるモップの先に、凛とした気迫がみなぎっていくのが感じられる。
彼女の間合いのギリギリの距離で、フライドチキンは停止した。ゴリゴリ音も止む。
互いに相手の力量を推し量っているのか、動きはない。
そして一秒かそこら後。
ゴッ
という音と共に、フライドチキンが跳躍。
どの部分を使って地面を蹴ったというのか。
巴御前が、目にも留まらぬ速さでモップを突き出す。
そこへ、横に面積の広がったフライドチキン――もはや俺自身、何を言っているのかわからん――が、モップを圧し包もうとする。
これが薙刀だったら、巴御前はフライドチキンを見事仕留めていたのかもしれない。
だがフライドチキンは、ゴトンという結構いかつい音と共に地面に落下し、再び距離をとった。軟体なのかそうでないのかすら判然としない。
ならば、と俺は巴御前とフライドチキンの前に割り込んだ。
「おっ、やる気だね。それならお手並み拝見といこうか」
「隊長ッ! やっちゃってくださいッ!」
黒帯と衛生兵の声を無視して、シャベルを構える。
するとフライドチキンの様子がおかしくなった。何やら文法がおかしい気がするが、気にしては負けだ。
体を構成する不規則なパーツが、今までにないくらい忙しなくのたくり始めたのだ。
「げえっ」
「なんなのもう、気持ち悪い!」
「今気づいたんだけど、アタシの髪、硫黄臭くない?」
なんて声にも気を散らさず、目の前のフライドチキンをひたと見据えていると――
ゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリ
そいつは唐突に後退していき、出現ポイントの路地に吸い込まれていった。
呆気にとられたが、追いかけて行ってもしょうがないので、俺は黙って見送った。
「……どういうことだ?」
「さーね。逃げたんじゃないか?」
二刀流にしたホウキの柄をバトンみたいにクルクルさせながら、黒帯が呑気な声で言う。
言うまでもなく、フライドチキンが逃げたことくらい、わかる。
だがその理由に思い当たる節がないことが、逆に俺を不安にさせた。
こういう場合、よくあるのが、近くにより強大な敵が待ち受けているというパターン。
もしくは、俺が何らかの理由で実は死にかけており、手を下すまでもないと判断されたパターン。
それから……。
どちらにしても俺に死亡フラグが立っているではないか。
なんということだ……。
急に怖くなった。
今朝――ほんの数時間前に、自分の命が脅かされることすら忘れて「テロリストが学校を占拠すれば云々」などと思っていた自分が遠い。
無邪気だったな、俺。
最愛の妹は、まだ無事だろうか。
お母さん、せっかく作ってくれたハンバーグを生焼けとかイチャモンつけて残してごめん。
とはいえ、俺の命が尽きるまでは、リーダーとしてこのパーティを維持する責任がある。
無様な姿は見せたくなかった。
「嫌な予感がする。もしものときは、学校まで逃げるんだ」
「隊長ッ! 何を言って――」
「聞け。逃げるにしても、背中を見せて一目散に走るだけでは餌食になるだけだ。敵を近づけないように牽制しつつ、ゆっくり後退するんだ。ダッシュするときは地形を利用しろ。絶対にコケるな」
「宮沢、あなた……」
ナビ女が泣きそうな顔で言い、声を詰まらせた。
どうした、情緒不安定か?
確かに、俺の情緒もいささか安定を欠いていた。
嫌な汗のせいでずり落ちた眼鏡の位置を戻し、俺は気持ちをリセットした。
「よし、セブンはすぐそこだ」
これがネトゲなら顔文字でも使って和ませることができるのだが……。
今のは冗談、みたいな雰囲気はうまく伝わっただろうか。
とにかく、バケモノの徘徊するフィールドのど真ん中で立ち止まっていなければならない理由はない。
俺はパーティメンバーに再び陣形を組み直すよう促し、行軍を再開した。
道中、明らかに俺たちを観察している視線を感じつつも襲撃を受けることなくセブンに到着した。
入り口から雑誌棚にかけてのガラスは、ものの見事に木っ端微塵。
さして広くもない店内を全員で一周してから、それぞれ必要な物資を調達しているのだが……。
ここも無人だった。店員はもちろんだが、先ほどちらりと考えたように、略奪している奴もいない。
それどころか、異変があってから今まで、誰も立ち入っていないような気さえする。
開ければすぐに食べられるパン類。絶対に必要になってくる飲料水。
それらがごっそりなくなっている状況を想定していたのだが、もしや俺の想像力が素晴らしすぎたのか。
セブンにはすべてがあった。水も食料もティッシュペーパーなどの消耗品も、手つかずで残っていたからだ。
揺れと衝撃波のせいで、カップ麺や菓子類が棚から雪崩落ちてはいたが、俺たちは無事に今回のクエストの目的を達成することができた。
受け取る人間はいないが、俺はレジに財布の中身をすべて置いてきた。
こうなってしまった世界では、金なんぞ何の役にも立たないことは百も承知だったが、それでも俺は文明人を気取りたかったのだ。